世界の更新のはてに
黒麒白麟
第1話 神々の蠱毒リーンヴァウムにて
ぼくが
ぼくがまだ、皆と出会い「ここ」に来る前のお話。
ぼくはまだ、生きれると思っていた
世界に認められていると信じていた
だけどあの日、空高く佇む次に繋がる世界への扉は閉じてしまった。
あの頃のぼくは、なんて呼ばれていただろう。永い永い間、時間が止まった世界で
風化、或いは枯れた何かに変わるのを待つだけの身だったから。名前は忘れてしまったよ。
そうなる前の随分と昔の話を水槽の中で思い出す。
ぼくが住んでいたのは、海の園(国を園と表している)の領域にあるマーレ ディ ノルヴェジア。
その海から続くとある場所に、森が絡み谷となった絶え間なく湧き水が湧く泉があった。
泉の周りにはその谷の隙間に花が咲き、
天井は3つの穏やかな太陽が通り過ぎていくのが見える。
とても静かで、訪れる者は少ない。
ぼくだけの、癒しの水で満たされた大切な場所。
泉の中には骨が透けて見える翠の魚と白い鉱石がまばらに見える。
ぼくは、この水の中で眠る。
薄く空気の卵の殻を作って、ゆるゆると今日も気持ちよく眠っていた。
ある日、マーレ ディ ノルヴェジアから
(園とは国、国を唯一守る役目にある、所謂王様。ただ政はなく、他園との争いがあった時に、園の代表として戦う戦士として存在している。故に、園の中で1番強くなければ何も守れない) 園令が来た。
ぼくは水の中から出て少し浮かびながら相手が話しかけてくるのを待った。
「相変わらず居眠りかい?」
園令、ワダツミは微笑み声をかけた。
珊瑚を身にまとい、大きな鯨のようなヒレ。
頭から先にかけてイルカの被り物。
大きさと姿はセイウチで、装飾品は海の中や陸地でも素早い移動で取れる事はない。
彼、ワダツミは海の中を優雅に泳ぐ。
およそ美しいという意味の優雅さではなく、
穏やかさを表したような、ゆったりと海の中を好きに漂う姿は見ている方も穏やかになる。
「ねむりは大事だからね。貴方がここに来たということは、急患?」
ワダツミは少し目を伏せて頷く
「娘が、近付いてはならない赤の境界に近付いてしまってね。どうやらそこから毒気を貰ってきてしまったらしい」
赤の境界とは、海のどこかにあると言われている、一部分だけが錆色に染まった場所。
そこは同じ海なのに熱いと噂がある。
焼けただれて溶けていく熱だと言われている。
どの園も不可侵の場所として誰も近付かない。たまにどこかの園が観察を続けていると聞く。
「毒気…海全体に広がってはいませんか?」
赤の境界から園寝、園令が住まう、巨大な鉱石で出来た場所はパライバトルマリンで出来ている。
他にヒスイ、シーグラス、ラリマール、オレゴンオパールが周りを彩る。
庭園水晶とも呼ばれ、成長して実になると
民は自由に食べる事が許されている。
そんな美しい場所に、赤の境界からどのように戻ってきたのか。そもそも園令の娘は何をしに行ったのか。不安がよぎり、園令ワダツミを見つめる。
「説明は後でしよう、まずは園寝へ」
ワダツミは踵を返すと、泉から海へと続く水路を潜り移動し始めた。
ぼくも後に続いて海へと向かう。
ぼくの役割は…ただ
ワダツミの後ろ姿を見ながら思う。
海の穢れを祓うだけ、だから他の民より優遇されてるし、気兼ねなく話す口調で許される。
今までも、これからも。
「ぼくは…」
これから待ち受ける憂いに溜息をつき、口からコポリと気泡が漏れた。
園寝に付く前からも皮膚が焼けるような温度の流れを感じる。ねっとりした何かが時折まとわりついて心地が悪い。
いつもならこの周りは住人達が思い思いに泳いでいで楽しんでいる時間帯だった。
それが誰もいない。心無しか、まわりの鉱石に透明な輝きはなく、くすんで見える。
そのまま中に入り、園寝の奥へと進む。
蒼い光の螺旋が導く地下深くへ潜る。
ぼくは深く潜るのは得意じゃない。
水面近くに身を任せたり、深くない場所の真ん中でぼんやりといるのが好きだ。
ワダツミはそんなぼくの事を知っているので、頭の飾りの尾びれに捕まるように言うと、そのまま水底に連れて行ってくれた。
そのままワダツミの娘がいる空間へ辿り着く。
ワダツミの娘、メル・レイア
首長竜、つまり竜族の生き残り。
この世界の始まりには沢山いたと言われている。それが世界の更新の度に姿を消して
数が減ってしまっていた。
首長竜はとても美しく、半透明の体に
夜の海の輝きや、朝の波間から差し込む光を
身体の中に抱えていた。
薄く広い布をひらつかせるように、優雅で
節目がちなアルビノの目は、今は赤黒く染まってしまっていた。
「メル様…」
ぼくは痛々しい姿を見て名前を呼んだ。
ワダツミに促され、そばに行くと
半透明の体は海に溶けかけた海月のようにふやけ、糸を引いている。
赤の境界からまとわりつ付いてきた何かは、主に園の外に濃くありワダツミの娘の命が溶け出たものにより園寝内は中和されているようだった。
「メル、×××を連れてきたよ」
メルと呼ばれたワダツミの娘はぐったりとしながら首をこちらに傾けた。ぼくは長い模様入りの尻尾を揺らして
挨拶をした。
「ご面倒を…おかけします」
悲しそうに口の端から粘液を漏らしながら
水中を小さな振動で気持ちを伝えて来た。
「ご心配召される事はありません。
ぼくは…いえ、ワタシは昔から全ての傷と穢れを癒す為に存在しているのです」
そっとそばに泳ぎ沿って、痛ましい赤黒い目に小さな手をかざす。
赤の境界が、一体何で出来ているか分からない。どんな風に訪れた者を変えてしまうのか、何があるのか、何も知らない。
ただ、ワダツミが言った毒気というものは確実に竜種を蝕み、熱でまわりが揺らいでいる。
溶けて、溶けて、それはどんな痛みなのだろう。痛がる様子もなく、ただ身を任せるように項垂れる姿は生きる気力をなくし、海の一部に還ろうとしているようだった。
「×××、治せそうか?」
不安そうに尋ねるワダツミ。溶けかけた娘に触れる事も出来ず、ただ心配の眼差しを向けていた。
「海の浄化までは出来ません。
メル様だけで精一杯です」
「そうか、海の穢れについてはなんとかしよう。娘を、メルを頼む!」
静かに、それでいて力強く心が伝わって来た。
ぼくはメルの顔を軽く抱きしめて、長く平たい尾を揺らした。
お腹の下にある、紐のようなヒレを二つ
竜の首に少し差込んだ。
「メル様の持つ全ての傷と穢れを引き受けます、傷移植開始」
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