つかめない男

志央生

つかめない男

 もはや戦争だった。手に入れるためには、他者を蹴落とす。そんな無慈悲な世界だった。

「マスクはひとり一つまで、となります」

 開店と同時に入り口は人が溢れる。私も負けじと人に埋もれながら、数少ないマスクの山に手を伸ばす。だが、その手にはつかめない。

 世間は予期せぬウイルスの蔓延により、マスクの受給不足に陥っていた。そのため、薬局に仕入れられたマスクに人が群がるのは必然とも言える。 だが、予想以上の人の密集には驚かされる。こんな状態になってしまえば、ウイルスの感染リスクも倍増しになるというのに、本末転倒と言っても過言ではない。

「落ち着いてください、押さないように。商品はまだございますので」

 後ろから押され、詰まっている前方との間に挟まれる。おかげで「ぐぎゅ」と無様な声をあげることになった。

 諦めずに伸ばし続けた手に、マスクの箱が触れる。その瞬間、力を入れて箱を握る。なのに、私の手からマスクはすり抜けていく。

「マスクは売り切れました。すいません」

 その言葉が店内に響くと人の群れが散っていく。私はその場から動けないまま、マスクを握っていたはずの手を見た。やはりその手には何も残っていなかった。

                                     了

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つかめない男 志央生 @n-shion

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