第4話  鰯



掌編小説・『鰯』


 私はイワシの女の子でー名前は「サーディン」て言うんですけどー

 こんなの直訳よね笑

 イワシというのは集団を作る回遊魚でー水揚げするとすぐ弱るので、「よわし」と言っていて、それがなまって「イワシ」になったと言われているそうです。

 煙みたいにしか見えない無数の微小な魚卵の一つとして生まれた私は、神様の恩寵を得たのか、奇跡的に「シラス」の段階まで生き残って、さらにタタミイワシとかにもされずに、何億分の一とかの確率で、瑞々しいイワシの成魚になれて、今は晴れて大海原を仲間たちと一緒に、縦横無尽に遊弋している毎日なのです。

 鰯の集団というのを描写すると、たーくさんのほぼアイデンティティとか個性とかそういうものと無縁の、殆ど似通っていて判別不能のたくさんのイワシが、鰯雲みたいに重層的に折り重なって、それ自体が鯨みたいな大きな生物体であるかのように、見るものを錯覚させる巨大な規模の群れを作って、転々と優雅に外形を変幻して、弱い魚たちを守る動く要塞となっている…

それは鰯類に特有の、なにか不思議でもある、一糸乱れぬ付和雷同的な集団行動なのです…

 そうしてそれは、海底を彩る、おなじみの壮観なページェントの一つになっているのです。

 私は、そういう場合には、群れの皆と完全に心を一つにしているという、快い感触に包まれて、アーティスティックダンスを踊っているかのごとくにだけど無意識的本能的に、青くて美しい海底を背景にして「幻影の巨大魚」というテーマの自然詩を表現するというか、「集団舞踊」を繰り広げている…そういう感じになります。

 一心に遊泳しながら私たちはオキアミやらのさまざまなプランクトンを貪(むさぼ)って、おなかを肥やします。海は豊饒で、無尽蔵で、いつもたっぷりとミルクを与えてくれる優しい母親なのです。

 私たちの群れは集団思考をしていて、何も言われなくても統一的に行動できる。

 なんとなく多数決で、でも一番賢い行動を自然に選択していく…そうして弱いイワシも生き残ってきたのです。繁栄すらしているのです。

 これは大いなる自然の智慧の産物である行動だと思います。

… …


「ザバッ」と波音がして、次の瞬間に「サーディン」の独白は途切れた。

 シロナガスクジラが、いつものように鰯やらの雑魚の捕食のために、一回、口を開閉したのだ。サーディンたちの群れは「一網打尽」にされて、あっけなく、跡形もなく消え去った。

 大魚、小魚を食らう…

 それはつまり、自然淘汰の、弱肉強食の、ダーウィニズムが順調に円滑に実行されただけだった。

 食物連鎖と生態系の昔から変わらない健康的なダイナミクスが、今日も着々と機能しているだけだった。

 そこでは個々の存在、というものは無意味であり、リチャード・ドーキンス氏のいう「利己的な遺伝子」のみが、乗り物としての生物体を鼻歌交じりに操縦しているだけなのかもしれなかった…

 

<了>

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