ヴァンパイアキラーは吸血鬼しか愛さない~偽りの相談屋は救血に惑う~
千早 朔
第1話望まぬ会遇①
無機質なアスファルトに転がる、薄紅色のワンピース。女性だ。顔には柔らかなアッシュピンクの髪がかかっていて、表情は伺えない。
が、明らかな異常事態であることは一目瞭然だった。
季節を写し取ったような花柄の生地が、瞬く間に鮮血に染まっていく。
「……くそっ、タイミング悪すぎだろ」
俺――
後方で、重みを受けた路上が鈍い音をたてたる。
それもそのはず、あの中には三日ぶりに買い込んだ食料品を詰め込んでいた。
勿体ない。思ったのは一瞬で、即座に切り替えた俺は「すみません」と断りをいれ、動かない彼女の首元を確認した。
「……やっぱりな」
首筋に、"吸血痕"。被害にあってから、そう時間は経っていないようだ。
その肌も、線を描き落ち行く血潮も、まだ温かい。
("Vampire Virus"<
左手首につけた腕時計――もとい、腕時計型通信機を操作して、警視庁警備部特異機動隊の本部へと緊急要請連絡をする。
「――麻野です。新宿七丁目にて、女性の遺体を発見しました。
(……これでよし)
俺が発信した時点で、本部は時計に仕込まれたGPSを頼りに動き出しているだろう。
そう経たないうちに、"仲間達"がくる筈だ。俺は俺の"仕事"をしなければ。
視線を周囲に走らせると、路上に点々と血痕が落ちている。
(逃走に必死で気づかなかったのか? 白昼堂々と、こんな公道で"吸血"とは……衝動任せの初犯か)
刹那、
血痕の方向。おそらく、また女性だ。そう遠くはない。
俺は
これまで見てきた、数多の被害者と同じように。
「……すみません。寂しい思いをさせますが、もうすぐ仲間が迎えに来ますので。もう少し、辛抱してくださいね」
右手でそっと触れて、柔らかな瞼を閉じる。
手を退けると、陽光を受けた微細なラメが、動かぬ彼女の代わりにキラキラと瞬いた。
「必ず捕まえますから」
そう告げて、立ち上がった俺は今度こそ駆け出した。
点々と落ちる血痕は、途中で途切れてしまっていた。
が、恐怖に顔を歪めて走ってくる人々が、代わりに"ソイツ"へと導いてくれた。
短髪の、若い男。おそらく、歳は二十代半ばといった所だろう。
ジャケットもスラックスも、靴に至るまで全て真っ黒で、重力に逆らう銀髪やその肌の白さをさらに際立たせている。
その中で唯一、二つの瞳だけが燃えるような赤を――否、口端から伝う鮮紅の跡が、常人ならばあり得ない"吸血"行為の証明として、アスファルトに跡を作った。
男の足下には、首元を抑え
「あー……んだよ。こんなにうめーなら、もっと早く"生き血"を吸っとくんだったわ。あんなショッボイ"人工血液"なんかじゃ、満足出来るワケねーっての」
(……予想的中、だな)
"
八年前、イタリアのとある田舎村で、貧困者を救っていた慈悲深い神父が感染し、以降、世界的に拡散した『遺伝子変異』を引き起こすウイルスだ。
感染者に噛まれると発症し、驚異的な速度でDNAへの変化を引き起こす。そして感染者の多くは急激な変異に身体が耐え切れず、その場で絶命してしまう。
生存確率は三割。感染者は驚異的な細胞組織の活性化に伴い、十代から二十代半ば程度へと若返ったうえで、三桁を
肌の色は白く、瞳は赤。髪は月光を飲み込んだような、美しい銀の色。そして"ヴァンパイア"と付けられたその名の通り、"吸血衝動"が生まれる。
政府はこれを受け、感染者には"人工血液"と"サプリメント"を配布し、一日一度の"自己輸血"を義務化した。
現状、世界的にこうするしか"対策方法"がないからだ。確実なワクチンも、安全な治療法もない。
そしてこの"V-2"感染者は、Vコード保持者として、"VC"と呼ばれている。
「……やあ、こんにちは」
出来るだけ相手を刺激しないよう、慎重に声をかける。
"ソイツ"は不快を隠さず眉根を寄せ、
「あ? アンタ誰?」
「初めまして。俺は
野際巧人。それがこの任務につくにあたって俺に与えられた、"世間"での名だ。
免許証も、住民票も、全てにこの名が記載されている。
上から指示された"設定"では、両親の離縁により苗字が変わった、だそうだ。
まあ、よくある上に詮索するにはセンシティブ。おまけに実際の両親は既に他界済で確認のしようがないという点においても、一番最もらしくて都合の良い理由だろう。
「相談所? あー……なんかどっかで聞いたことあったな。いつ"餌"になるか身をもって実験中の、変人がいるって」
(そんな噂がたってるのか……)
だがまあ、"その程度の噂"なら放っておいても支障はないだろう。
相談屋、というのは建前で、実際は特異機動隊の諜報員としての任務なのだということは、国家機密だ。
俺はあくまで"無害な人間"を装って、「ひどいなあ」と弱ったように笑ってみせる。
「実験だなんてとんでもない。俺はただ、キミみたいな"VC"の人達の力になりたいだけだよ。共に生きるようになって八年も経つというのに、まだ"VC"への偏見や差別は根強いだろう? 元々は皆、同じなのに」
「……みんな同じ、ねえ」
「自己紹介も済んだことだし、そっちに行ってもいいかな?」
「あ? 別にいいけど、俺はアンタの実験に付き合うつもりなんてねーぞ。男の血を吸う趣味はねーんだ」
「いや、そうじゃなくて、彼女を保護したい」
苦痛のあまり気を失ったのか、命尽きたのか。
彼の足下に倒れこんだ女性を視線で示すと、彼は今やっと思い出したかのように「ああ……」と一瞥して、
「好きにすれば? 死んでるかもだけど」
「ありがとう」
俺は急いで駆け寄り、彼女の脈を確認した。
(…………生きてる)
即座にジャケットを脱ぎ、首元に強くあて、止血を試みる。
ポケットから取り出したスマホで、救急連絡――をするフリをして、本部へと繋いだ。
「すみません! 救急車を一台お願いします。女性が一名、"吸血"被害に合いました。場所は――」
それらしく救急要請を出して通話を切ると、手持ち無沙汰に黙って見ていた彼が「その子、まだ生きてんだ?」と話しかけてきた。
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