小覇王の暗殺者6

「許貢様。俺、やっぱり今回の戦で弓兵として……」


「駄目だ、絶対に許さん」


 許貢は雲嵐の希望を言下に否定した。


 最後まで言わせてもらえなかった雲嵐は、眉根を寄せて表情で抗議した。


「そんな顔をしても駄目だ。戦には連れて行かんぞ」


 許貢は妻に手伝われ、自宅で鎧を着込んでいるところだった。今日、呉郡太守として兵を率いて出陣する。その準備だ。


 孫策が以前に言っていた通り、配下の朱治シュチが攻めて来ている。それを防ぐための戦だ。


 雲嵐はそれについて行こうとしていた。戦が現実味を帯びてから、ずっとそうしたいと言っている。


 それを許貢は許さない。


 雲嵐は許貢の役に立ちたかったし、役に立てる自信もあった。


「自分で言うのもなんですが、俺の弓は結構すごいです」


 許貢は袖を伸ばしながら、首を横に振って答えた。


「そんなことは関係ない。俺は家族に幸せになって欲しいんだよ。戦うのが上手いからといって、戦えば幸せになれるというわけではないはずだ」


「上手くできる事と、幸せになれる事……」


 雲嵐は許貢の言うことを自分なりに考えて、つぶやきを返した。


「そうだ。お前も許安も、戦に向いているとは思えない。お前たちの望みはまた別の所にあるはずだ」


「望み……」


 雲嵐はまたつぶやきつつ、自分の胸に手を当てた。そこに己の望みがある気がする。


 それを感じながら、自分の望みを口にした。


「……ですが俺は、大切なものを守りたいと思います。だから戦いたい」


「お前のそういう気持ちを、俺は理解できているつもりだ。しかし許靖は俺のことを『門』だと言い、お前のことを『盾』だと言った。雲嵐はきっと、俺よりも守りたい範囲が小さいのだろう。お前は家族さえ守れればそれでいいと思っているんじゃないか?」


 それを言い当てられた雲嵐はすぐに反論できなかった。許貢の言った通りだったので、そこは否定できない。


 しかしいったん言葉を詰まらせながらも、まだ食いつき続けた。


「許貢様は、俺の大切な家族です」


 そう言う雲嵐へ、許貢は優しく微笑んだ。この子を家族にして本当に良かったと思った。


「ありがとうな。しかし戦というのは、個人を守るという視点で見るには少し規模が大きすぎる。お前のような望みを持つ者は、戦に参加するよりも家族を連れて逃げることを考えるべきだ」


「それなら、許貢様も一緒に逃げましょう」


 雲嵐は郡の太守に対し、当たり前のようにそう言った。


 許貢としても苦笑するしかない。


「そうだな、それができれば本当に良かったんだが……さっきも言った通り、俺の守りたい範囲はお前よりも少し広い。呉郡の民も守りたいし、できれば天下の民全てを守れればいいと思っている」


「天下、ですか」


 雲嵐はその大きさを想像しようとして、出来なかった。自分の中に、その像が結ばない。


 しかし、許貢には出来るのだろう。それが二人の『守る』違いだった。


「そう、天下だ。そして実際に会ってよく分かったが、小覇王・孫策はこの乱世を長引かせる。あの男は本質的に戦人いくさびとなのだ。もし孫策の創る世があったとして、それが良いものかどうかは分からん。しかしそれを創る過程で多くの民が苦しむことになるだろう。だから、まだ勢力が小さな内に止めなければならない」


 正直なところ、雲嵐にはそこまで考える許貢の気持ちは分からなかった。雲嵐は自分の手の届く所にいる者だけ守れればいいと思っている。


 許貢はそんな雲嵐を責める気はない。むしろ家族を守りたいと思う雲嵐を、えらいと思った。


 だから幸せになって欲しいのだ。


「もしお前が孫策のような戦人で、戦の中に生を見いだせる人間であったならば兵として連れて行く。しかし、お前の望みは違う。そして俺とも少し違う。だから戦には連れて行けない」


 雲嵐はこんな思いやりのあつい許貢が大好きで、どうしても役に立ちたいと思った。しかし戦の手伝いは禁止されてしまった。


(この人のために俺ができることは、何もないのか……)


 そう思うと悲しくなり、雲嵐の眼に涙が溜まった。


 それを見た許貢は雲嵐の背中を勢いよく叩いた。


「そんな顔をするな。俺はお前に期待しているんだぞ」


「……期待?」


「お前ならきっと、俺の一番大切なものを守ってくれる。もしもの時には俺の家族を頼んだぞ」


 先ほどの天下の民の話とは異なり、この言葉は雲嵐の胸にピタリとはまった。


 だから雲嵐は、自信を持ってうなずいた。


「任せてください。もし敗戦の折には、俺が家族を導いて避難します。許貢様もそうなったらヤケを起こして突撃などせず、帰って来てください。一緒に逃げましょう」


 雲嵐がやけにはっきり答えたので、許貢は何か具体案があるのだと感じた。


「頼もしいな。一体どこに逃げるつもりだ?」


「山賊の所です」


「山……賊……?」


 眉根を寄せてそう言ったのは、許貢ではなく着替えを手伝っていた妻だった。


 当たり前だろう。自分たちの避難の話をしているのに、その避難先が山賊の所とはあんまりではないか。


 しかし残念ながら、この時に妻の抱えていた不安はその多くが実現してしまうことになる。


 許貢は攻めてきた朱治と由拳ゆうけんという地で鉾を交えることになるが、結果は孫策の断言していた通り、朱治に軍配が上がった。


 許貢は敗れたが、討ち取られることもなく、捕らわれることもなく、降伏することもなかった。


 朱治の軍から逃げ切り、家族とともに避難した。


 その避難先は、山賊と呼ばれる男が治める土地だった。

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