第37話 孫堅

「お初にお目にかかる、別部司馬べつぶしば(独立部隊の指揮官)の孫堅ソンケンという。こちらは息子の孫策ソンサク孫権ソンケンだ」


 孫堅と名乗った男が許靖宅の門を叩いたのは、曹操が訪れた翌日だった。


 曹操に『もう二組の人物鑑定をして欲しい』と頼まれていた内の一組だ。


 曹操からはあらかじめ『昨日の今日で申し訳ないが』との連絡が入っていた。


 あまりに急な来訪ではあったが、迎える側の許靖も仕方のないことだと思う。今日の来訪者も、曹操と同じく反乱鎮圧の英雄なのだ。


 しかも、曹操以上の大戦果を挙げていた。凱旋後の予定はぎっしり詰まっていることだろう。


侍郎じろうの許靖です。孫堅殿の目覚ましいご活躍はかねがね耳にしております」


「こちらも月旦評の許靖殿のお噂はかねがね、だ。お会いできて嬉しい」


 孫堅は精悍な顔つきをした三十前後の男で、小さな子供二人を連れて来ていた。


 子供たちのあどけない瞳が許靖をまっすぐ見つめている。


「子連れで申し訳ない。まだ小さいから失礼があるかもしれないが、ご勘弁願いたい」


 孫堅の声からは身を震わせるような覇気が感じられた。そして、その眼差しには威厳と優しさが同居している。


(孫堅殿は叩き上げの武人ということだったな。黄巾の乱以前から戦においてかなりの実績があったはずだ)


 許靖は孫堅の前歴を思い返した。


 実績からその能力は折り紙付きといってよかったが、外見からも優秀な武将であることがうかがわれる。


 ただそこに居るだけで、兵たちが『この男について行きたい』と思ってしまうような、そんな何かを持っているように感じられた。


「孫策と申します。お邪魔いたします」


 父に紹介された息子の孫策は礼儀正しく頭を下げた。


 許欽と同じくらいの歳だろうか。武人の息子らしく、しっかりと教育されていると感じられた。


 もう一人の息子、孫権はまだ一、二歳くらいだろう。孫堅の太い腕に抱かれてじっと許靖を見つめていた。


 お互い丁重に挨拶と自己紹介を済ましてから、客間へと通した。


 孫堅は座につくと、朗らかに笑って見せた。


「曹操殿から美味い茶が飲めるとうかがってお邪魔した。突然のことで申し訳ない」


「大したものではありませんが、ご賞味下さい。しかし、お子様連れとは思いませんでした。何のお構いもできませんが、私の息子もちょうど同年代です。せっかくなので同席させましょう」


 そう言って許靖は許欽キョキンを呼び寄せた。


「許欽と申します。ようこそお越しくださいました」


 許欽も先ほどの孫策と同様、礼儀正しく挨拶をした。一人っ子で甘やかしがちとは言え、この辺りはきちんと花琳が教育している。


 孫策と許欽はお互いを測るようにチラチラと見ていたが、口は開かなかった。もう何歳か小さかったら子供同士すぐにでも遊び始めるものだが、さすがに十にもなるとそうもいかないようだ。


「もともと戦に出る時に家族は寿春じゅしゅんに置いてきたのだが、一段落ついたので洛陽を見せておこうと思ってな。凱旋に合わせて呼び寄せておいたのだ」


「しっかりされたお子ですね。さすがは『江東こうとうの虎』のご子息だ」


 孫堅は地方の行政官を歴任してきた男だが、そもそもは海賊退治や反乱鎮圧で名を上げて出世した武人だ。


 その武勇から『江東の虎』の異名を持つ。


 黄巾の乱の鎮圧にもその力を期待されて呼び出され、期待された以上の大戦果を上げて凱旋した。


「息子に関してはよく褒められるのだが、私は戦などで家族と離れている時間が長い。それに父親としてのひいき目もあるから、正直なところ息子の器が分からん。どうだろうと思っている時、ちょうど曹操殿から面白い話が聞けたのでな。息子のことも聞きたいと思い連れて来た」


「あくまで茶の席の座興です。話半分にお聞き下さい」


「ああ、そうだな。座興として聞かせてもらおう」


 そう言う孫堅の目からは、言葉とは裏腹に座興というほどの軽い物は感じられなかった。


(曹操という男は、詐欺やまやかしなどを信じるような非合理的な頭を持っていない)


 孫堅はそう承知していた。


 それがわざわざ勧めて見てもらえと言ったのだ。孫堅自身、それだけの価値がある物なのだろうと判断している。


 そこへ花琳が茶と菓子を持ってきた。


 孫堅には昨日曹操に出したのと同じ茶葉のみで煎れた茶を出したが、子供の孫策には乳と蜂蜜をたっぷり入れた甘い茶を出した。


 一口飲んだ孫策は少し驚いた顔を見せ、そのままゴクゴクと一気に飲み干してしまった。それを見た孫堅は軽くたしなめた。


「こら策、はしたないぞ」


 花琳は孫策の様子に嬉しそうに笑った。


「いくらでもありますので、好きなだけ飲んで下さい。うちの息子も大好物なんですよ。そうよね?」


「はい。私の友人たちも好きで、それでよく遊びに来てくれます」


 母に問われた許欽は笑顔で答えた。


「かたじけない。しかし、本当に美味いな。これを飲みに来ただけでも十分価値がある。後で私にも子供が飲んでいる物をいただけますか?これだけ食いついていると気になる」


「はい、甘い物が苦手でなければ気に入っていただけると思います」


 その場はしばらく茶の話で盛り上がったが、花琳が二杯目の用意に奥へ下がると、孫堅はさっそく本命の話題を切り出した。


「……それで、だ。曹操殿から許靖殿は人の瞳に『何か』を見るのだと、そう聞いたのだが?」


「座興として、そのような妄想を口にすることがあります」


「それは本人の過去や経歴なども見通せるものなのかな?」


 孫堅の問いに、許靖は首を振った。


「いいえ。私が瞳の奥に見るのはその人の人格や器、そこから類推される能力の一部、といったところでしょうか」


 そこまで言って、許靖ははたと思い出した。


「そう言えば、孫堅殿は孫武ソンブの家系ということでしたね。しかし、基本的にそのような事までは分かりません」


 孫武とは、孫子の兵法で有名な軍略家のことだ。


 孫堅はその子孫であることを自称している。本当ならば大変に名誉ある血筋だった。


 許靖の返答に、孫堅はどことなくほっとした表情を見せた。


「分かった。では私の瞳の奥には何が見えるのか、教えてくれ」


 許靖は孫堅の瞳をじっと見た。


 玄関先で顔を合わせた時から、この偉丈夫が曹操と同様に尋常の人物でないことは分かっていた。


 それを確かめるように瞳の奥の「天地」を凝視する。


「……虎に率いられた海賊が見えます」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る