FILE16「未来の名探偵へ」

 小林くんからコピーさせてもらった被害者のリストを持って、ボクらは事務所へと戻る。被害者リストは細かく書き込まれており、細かなプロフィール(流石に身長や体重までは書いてないけど)も記載されていて小林くんの熱意がひしひしと伝わってくる。


「……友達に聞いて回ったって言ってたけど、多分ほとんど女子だよねこれ……」


 言動は面白いけど、少なくとも学校の皆からは少なからず信頼されているのだろう。


「……よし、じゃあお願い出来る?」


 リストをデスクの上に置き、そこに座る人物へそう問いかけると、”彼女”はムスっとした表情でリストを見やった後ボクを睨んだ。


「……雑ですわ!」


「えぇ!? そんなことないよ! 小林くん、すごく丁寧に細かくまとめてくれてるよ!」


「そういう話ではありませんわー!」


 顔を出してからわずか数分、彼女――ロザリーは腕を振り上げて怒り始める。


「わたくしの扱い、少々雑ではありませんこと!? どうしてこんな、わたくしの勘にだけ頼るような呼び出しをされなければなりませんの!? それも二度も!」


「いや、まあそれは……うん……ごめん……」


 ぶっちゃけこれは家綱の提案なんだけど、当人が実質同一人物である以上、平謝りしないといけないのはボクである。


 そう、家綱の提案とは、ロザリーの勘による次の被害者の予測だ。これ以上犠牲者を出さないために、そして早く犯人を見つけ出すために……家綱が最も手っ取り早いと判断したのがこの方法だ。探偵としてどうかとは思うけど、使える以上は使った方が良い、と言い張って家綱は事務所に戻ってすぐロザリーと交代した。


「何でもかんでもわたくしの勘で当てて、それのどこが探偵業というのかしら! いっそのこと占い師かなにかにでも転職なさればよろしいのではなくって!?」


 うっわキレてる……。しかも正論だ……。


「ま、まあまあ落ち着いてよロザリー……。確かにそうかも知れないし、家綱は探偵としてはダメダメだけど、今回は人の命がかかってるんだよ」


 本来なら地道に調査しないといけない案件だけど、そんなことをしている間に被害者は増え続けてしまう。それに――


「ロザリー、ボクが思うに今回、犯人は超能力者だと思うんだ。超能力者相手に普通の調査なんてしてたらかなうわけがない……それはロザリーだってわかってくれるよね?」


「そ、それはそうですけれど……」


「あ、そうだ! 今度家綱に頼んで休日交代してもらおうよ! ボク付き合うよ、買い物でもなんでも!」


「…………まあ、それは……」


 よし、後ひと押し。


「そういえばこないだ星川さんとばったり会ってさー、おいしい紅茶を淹れてくれる、姫様に相応しいキレイな喫茶店を教えてもらったんだよー」


「……約束、してくださいますわね?」


「も、勿論……イギリス人じゃないけどボク嘘つきませーん……」


 思わずアントンごっこに興じてしまったけど、何とかロザリーはこれで首を縦に振ってくれた。


「……では、少々お時間をいただきますわね。リストに目を通しますわ」


「うん、お願い……。ねえ、ロザリーの勘って犯人を直接言い当てられないの?」


「……それは、かなり難しいかも知れませんわね」


 リストには一応目を通しつつ、ロザリーは顔をしかめて答える。


「わたくしの勘はあくまで選択肢の中で成立するものですわ。今回のリストのように、ある程度絞っていただかなければ……それに、選択肢が多ければ多い程わたくし自身にかかる負荷が高まってしまいますの」


「そっか……でも犯人って、この町の中の誰かだよね?」


「……さあ、どうかしら。それを決定づけるもの、或いは仮定するに足るもの、それがなければわたくしは国内全員、絞って精々県内全員の中から絞らなくてはなりませんわ。数学の問題、アレも結構疲れますのよ?」


 際限なく使える能力なんてない。わかっているつもりだったけど、ロザリーの勘にもきちんと成約があったのは少し意外だ。確かに数式の答えを導き出す選択肢って結構あると思うし、ちょっとしたブルートフォースアタックだったのかも知れない。あの時癇癪を起こしていたのはそのせいだったのか……とも思えるけど、それなら尚の事自分で解いた方が良かったんじゃ……。


「ですから――」


 言いつつ、ロザリーはペン立てから万年筆を取り、勢い良くリストの中の名前の一つに下線を引く。


「あまりわたくしにばかり頼らないでくださいまし。なるべく探偵らしく捜査した上で、最後のダメ押しか、どうしようもない時にだけわたくしに声をかけなさいな」


「……あ、はい」


 何故か最終的に説教を受けてしまうボクだった。










 ロザリーが勘によって予測した次の被害者の名前は、明野芽衣。罷波第二中の女子生徒だ。流石にいつ襲われるかまでは予測出来なかったため、ボク達はなるべく常に彼女を尾行することになる。警察に連絡をしようかとも思ったけど、勘で次の被害者がわかりました、と説明するわけにもいかず、結局ボク達だけで明野さんの尾行をすることになる。


 そして尾行を始めてから大体三日程。ボクは晴義と一緒に明野さんを尾行していた。


 最近の家綱は安定しないのか、何故かほぼ毎日人格が切り替わる。全員調査自体には協力的なため、家綱は特に問題ないと判断してそのままにしてしまっている。


「……しかしそれにしても、こんな時間うろつくのは良くないねぇ……。悪い大人に捕まる前に、僕がさらってあげようか?」


「……ボクにそれを言ってもナンパにはならないし晴義は悪い大人みたいなモンでしょ」


「由乃ちゃんに言ってるよ」


「さらわなくても帰るだろお前らの事務所に!」


 一応小声でやり取りしてるんだけど、物陰でこんなに喋ってて大丈夫なんだろうか……。


 今時刻は午後七時過ぎ。明野さんは放課後に学校周辺で友達とくっちゃべり、こんな時間にようやく帰路についている。事件のことについてはあまり真面目に考えてないみたいで、まさか自分が被害者候補になっているだなんて考えてもいないように見えた。


 そんな会話をしている内に、ふと異変に気づいた晴義が反応を示す。


「……晴義?」


「由乃ちゃん、見てよ」


 晴義に促されて明野さんの方をしっかり見てみると、いつの間にか背後に仮面の男が迫ってきていた。体格や背丈から男性のようだけど、服装は黒尽くめで他の特徴も掴めない。


 ジっと意識を集中させて見ていると、仮面の男はそっと右手を明野さんへとかざす――――そしてその瞬間、晴義のモデルガンがBB弾が放たれ、男の右手に直撃する。


「――ッ!?」


 突然のことに狼狽える仮面の男と、振り返って悲鳴を上げる明野さん。すぐに晴義は物陰から飛び出してモデルガンを男へ向け、ボクもそれに続いて物陰を出て明野さんへ駆け寄った。


「やあ、君が町を賑わす宝石泥棒か。女の子はみんな美しい宝石……盗みたくなる気持ちはわからないでもない……けどね」


 男は何も答えなかったけど、晴義は整った顔を怒りで歪めて言葉を続ける。


「壊すのは許さない。僕はお前のやっていることを絶対に認めないよ」


 言い終わるやいなや、容赦なくモデルガンを撃つ晴義。男は飛んでくる弾を避けられなかったけど、それでも声を上げずに持ちこたえる。そして今度は、右手の平を自分の身体へと向けた。


「……?」


 それを見たボクと晴義が眉をひそめたのも束の間、男は即座にその場から姿を消してしまう。


「い、今のって……?」


「……超能力、だね。間違いなく」


 モデルガンをポケットに収めつつ、晴義は小さく息を吐く。その後、ボクと晴義は怯える明野さんを何とか慰めつつ警察へ送り届けた。


 明野さんを送り届けた帰り、ボクはあの仮面の男について考えていた。晴義にモデルガンで撃たれた時、ボクはあいつの右手をハッキリと見ている。特徴的な右手で、手の甲にくっきりと残ったあの傷痕は……


「ねえ晴義、あの仮面の男って――」


 言いかけて、ボクは絶句する。何故なら横にいたのは晴義ではなく、晴義の服を着たままの葛葉さんで、何故か熱心にボクのバッグを漁っていたからだ。


「……何してんの……」


「ごめんねぇ、ちょっとお腹が空いてきちゃって……。何か持ってない?」


「ああ、うん……着替えよりも先にそっちが来るのが葛葉さんらしいや……」


 ため息を吐きつつ、ボクはバッグの内ポケットからカロリーメイトを取り出して葛葉さんに手渡す。すると、葛葉さんは満面の笑みを浮かべてカロリーメイトを受け取り、すぐに開封し始めた。


「……なんかほんとポンポン切り替わるね。家綱大丈夫なの?」


「うーん、大丈夫だとは思うんだけど、ちょっと前より緩い気がするわねぇ」


「緩い?」


 問い返すボクに、葛葉さんはカロリーメイトを咀嚼しながら頷いて答える。


「今までは家綱君がかなりコントロールしていたんだけど、最近は私や皆が出ようと思えば結構すぐに出られるようになってるというか……。今だって、お腹空いたなぁ、なにか食べたいなぁ、って思ってたら出てきちゃってたわけだし」


「そっか……。やっぱそれって、あの時のことと関係があったりするの?」


 あの時のこと、というのは前にセドリックが現れた時のことだ。猿無との戦いの中でピンチになり、コントロールが出来なくなって抑え込んでいたセドリックが身体の主導権を握ったあの日……。


「そう、かも……。よくわからないけど……そんな気がする」


「……あいつもまた、出てくるのかな……」


 セドリックのことを思い出すと、今でも少し身震いしてしまう。セドリック自身が恐ろしかったのもあるけど、あの時は家綱の傷も酷くて、本当に死んじゃうんじゃないかって思って怖かった。


 そんなボクの思いを察したのか、葛葉さんはカロリーメイトを食べ終わるとボクをジッと見つめて穏やかに微笑んで見せる。


「心配しないで。彼のことは家綱君がしっかり抑え込んでる……それに、家綱君はきっと、あなたを置いて死んだりなんかしないわ」


 抱えている不安を暖かく溶かしてしまうような葛葉さんの微笑みに、ボクも思わず頬をほころばせる。


「……そうだね、きっと」


「うん! それで……そういえばさっき何か言いかけてなかった?」


「あ、そうだ! あの仮面の男なんだけど……ボク、見たんだ。アイツの右手の甲に――火傷の痕があるのを」


 ボクがそう言うと、今まで穏やかに微笑んでいた葛葉さんも表情を引き締める。


「じゃあ、犯人は……」


 ボクも葛葉さんも同じ結論にたどり着き、これからどうするかを話し合いながらそのまま帰路へついた。










 その翌日から、ボクと家綱は犯人と予想される人物の周囲で張り込みを開始した。数日見張ったところ特に怪しい動きはなかったけど、ロザリーによれば犯人は”彼”で間違いない。この段階で情報を確定させることが出来るのは本当に頼もしい。


「……一つ質問して良いかな」


「おう、なんだ」


 今日の張り込み開始前、コンビニで軽い買い物をすませ、隣りでレジ袋を提げて歩く家綱をボクはジト目で見つめる。


「なんでいつもあんぱんなの……飽きない?」


 ボクは毎回別のものを買ってるんだけど、何故か家綱は毎回あんぱんと牛乳のセットだった。


「あァ? そりゃお前張り込みっつったらあんぱんに牛乳だろーがよ」


「そうなの……?」


「おう、俺も昔は何でだよって思ってたけどな。今じゃ数少ないアニキとの思い出の一つだ。こうしてあんぱんと牛乳を見てるだけでもちょっと懐かしくなっちまう」


「あ、それ、家光さんの受け売りなんだ」


「ま、そういうことだ。そろそろ飽きてきたけどな」


 そう言って少し照れ臭そうに笑う家綱を見て、ボクも釣られて笑う。家光さんの話をする時の家綱は楽しそうで、懐かしそうで、でもやっぱり寂しそうで……。話して少しでも紛れるなら、ボクはずっと聞いていたいと思う。


 そのまま張り込み先に向かっていると、途中で小林くんに出会う。彼はボクらを見つけるやいなや、シャーロックハットをクイッと意味もなく動かして不敵な笑みを浮かべた。


「やあ諸君、進捗の方はどうかね」


「バッチリだよ、おかげさまでな」


 直接受け取ったのが家綱ではないとは言え、あのリストをくれたことには感謝しているみたいで、家綱はそんな言葉を返す。


「それは良かった。犯人の目星はついたかい?」


「……いや、まだだ。それより、お前はそろそろ手を引け。もう十分調査には貢献してンだ、よくやってくれたよ」


 ボクらの想定している犯人が間違っていないのなら、本当にこれ以上小林くんを関わらせるわけにはいかない。そもそも相手は連続殺人犯だ。犯人がどんな人物であろうと、これ以上は小林くんが関わって良い領域じゃない。ボクだって微妙なくらいだ。


「……そうか。わかったよ」


「えっ……?」


 てっきりそうはいかない、だなんて言い出すんじゃないかと思ってたんだけど、ボクの予想に反して小林くんはすぐに引いて見せる。これには家綱も驚いたみたいで、目を丸くしていた。


「僕も引き際がわからないわけではないよ。悔しいけど僕はまだ子供だからね、残りは大人に任せるとするよ。僕自身、子供に出来る範囲の精一杯をやったという自負もある」


「えらく聞き分けが良いじゃねえか。お前の言う通り、お前はもう精一杯やってくれたんだ、後は俺達や警察の仕事だぜ」


「ああ……。じゃあ、後は頼んだよ、この町の頼れる探偵さん」


 そう言って、小林くんは拳を握ってスッと家綱へ差し出す。意味に気づくまで少しだけ間があったけど、やがて家綱はニッと笑って小林くんの拳に自分の拳を軽くぶつけた。


「大人になったらまた連絡してくれや。そんときゃ一緒に仕事してやる」


「嬉しいお誘いだが、おそらく僕は自分の力だけでやれるだろう。仕事上がりの一杯という話なら別だがね」


「へっ、かわいくねーの」


 そんな軽口をかわして、ボクらは小林くんに別れを告げる。


「……良い子だったね」


「変な奴だけどな。ありゃ案外マジで大物になるかも知れねえ」


 この時ボクらは気づいていなかった。


 油断して談笑しながら歩くボクらの後ろを、小さな人影が尾行していることに。






 犯人の家は大きめの和風のお屋敷で、周囲は塀に囲まれている。ボクはアントンに持ち上げてもらい、アントン自身は驚異的な筋力で塀を上り、ボクらは毎回庭の中に潜り込む。


 その後の張り込みだと自分が力になれないことをわかっているアントンは、庭に潜り込むとすぐに家綱へ交代する手はずだ。


 庭に潜り込んでから程なくして、犯人が帰宅する。前に瞬時にその場から姿を消したことから、恐らく能力はテレポートの類だ。片時も気を抜けない。


 いつも通りならこのまま犯人は何事もなく生活して少し早めに就寝する。障子越しに見える影や、ちょっとした物音にも気を配らなければならない。


「……でもこれさ、もしかすると見えてないところで何かされないかな……? 音だってやろうと思えばどうにかなるだろうし……」


「かもな……。今のところ次の被害者が出てねえからまだ事は起きてねえんだろうが……」


 理想は現行犯での確保だ。犯人はほぼ確定しているんだからそのままゴリ押ししても良いのかも知れないんだけど、シラを切られた場合お縄につくのはボクらの方だ。きちっとした証拠を掴むまでは下手な動きは出来ない。


 そのまま見張っていると、ふと家の中からバタバタと足音が聞こえてくる。それを聞いた途端、家綱はすぐに飛び出した。


「家綱!?」


 家綱は躊躇なく縁側から入り込み、障子をぶち破って中へ入っていく。慌ててボクも飛び出して、その後に続く。


 中へ入ると客間らしき部屋で一人の少女が倒れており、家綱はその少女を抱き起こしているところだった。


「由乃……今すぐ戻れッ!」


 家綱がそう叫んだ瞬間、客間の戸が開いて一人の男が中へ入ってくる。仮面をつけたその男は、家綱を見てピクリと反応を示す。


「何故ここに……とでも言いたそうだな……。え? 甲田先生よォ」


 家綱の言葉に男は何も答えず、ただ右手を向ける。男はしばらく家綱に右手を向けていたが、やがて困惑した様子で自分の右手を見つめた。


「悪いが俺にゃ効かねえんだよ。アンタの能力……どうやら一度に移動させられるのは一人までみてェだな」


 少女をその場に寝かせ、家綱は立ち上がりながら言葉を続ける。


「だからアンタはあの時、被害者を連れて逃げずに自分一人で逃げた……そうだな?」


 男は答えない。しかし明らかに動揺しているのは確かだった。その隙を見逃さず、家綱は勢い良く男へ殴りかかる。


「そのふざけた仮面は剥がさせてもらうぜ!」


 男はすぐに避けようとしたものの、家綱の方が早かったせいで避け切れない。仮面のおかげであまりダメージはないようだったけど、砕けた仮面は男の――甲田佐久の顔から綺麗に剥がれ落ちた。


「……ゲスな探偵風情が、私の屋敷に土足で踏み入るとはなァ……ッ!? これが我慢出来るか!? いいや我慢ならんッ!」


「……そいつがアンタの本性か。やれやれ、生徒が知ったらがっかりするぜ」


 甲田は、学校で会った時の穏やかな表情からは想像も出来ないような形相で家綱を睨みつけて怒りのままに殴りかかる。しかし格闘戦なら明らかに家綱の方に分がある。甲田の攻撃は全く当たらず、家綱の蹴りや突きがじわじわと甲田を追い詰める。


「一応聞いとくぜ。アンタは何のために生徒を殺した?」


 部屋の隅に追い詰められた甲田にそう問いかけながらも、家綱は甲田の両手を注視する。少しでも能力を使う素振りを見せればすぐに食い止めるためだ。


「薄汚い売女を掃除して何が悪いと言うのだね!? 神聖な学び舎であのような馬鹿共がゲラゲラと笑っているのには耐えられんなァ……!」


「ば、売女って……!」


 確かに被害者の少女達はみんな素行が悪く、夜遊びをすることもあるような生徒達だったけど売女は明らかに言い過ぎだ。


「むしろ”神聖な学び舎”でアンタのようなクソ野郎が教鞭取ってることの方が俺には胸糞わりーけどな」


「学び舎は常に美しく神聖な場所でなければならない! 学ぶ気もないようなマヌケ共が義務教育などというくだらん理由で足を踏み入れて良い場所ではないッ! クソッ! クソがッ! クソだッ! アイツらも貴様らもッ! クソがックソがックソがッ!」


 壁をどんどんと殴りつけながら、甲田は何度もクソがと言葉を繰り返す。その形相と理解不能な妄執に、ボクは思わず身震いしてしまう。


「あー……もういいぜ。アンタと話してもムカつくばっかりだ。むしろ聞いて悪かったよ、クソ野郎ッ!」


 グッと拳を握りしめ、家綱が甲田に殴りかかろうとした――その時だった。


「きゃあああああ!」


 意識を取り戻した女子生徒が、状況を理解出来ずに甲高い悲鳴を上げる。ボクも家綱も思わず彼女に気を取られてしまい、甲田から意識を少しだけ離してしまう。


「どけェッ!」


 甲田はすぐさま家綱を突き飛ばすと、すぐに自分にその右手を向ける。まずい、あのまま一旦逃げる気だ。襖を壊しながら倒れ込む形になった家綱は、即座に起き上がるのが難しい。


「おい、待ちやがれッ!」


 このままでは逃げ切られる――慌ててボクが駆け出そうとした瞬間、ボクの隣りを猛スピードで小さな影が駆け抜けた。


「えっ……?」


 そして甲田の能力が発動する寸前――――その影はかぶっていたシャーロックハットをその場に落としながら甲田に飛びついた。


「なッ……!?」


「うおおおおおおおおおおおおッ!」


 まだ幼さの残る雄叫びを上げて彼は……小林吉郎は甲田に組み付いて、その小さな手で何度も殴りつけた。


「何故貴様がここにィーーーーッ!?」


「僕の友達が泣いてたんだぞ……ッ! 友達が殺されたって! だから僕は、お前を絶対に許さないぞ、殺人鬼ッ!」


「邪魔をするなら貴様から飛べ! 探偵ごっこのクソガキがァーーーーッ!」


 甲田は今度は小林くんへ右手をかざしたが、その時には既に家綱は立ち上がり、甲田の眼前まで迫っていた。


「ごっこじゃねえよ……ッ! 俺が認めるぜ……こいつはッ……」


 右拳を思い切り振りかぶり、家綱は力を込める。甲田の能力が発動するより、家綱の拳が届くほうが速い。


「本物の探偵だッ!」


 家綱の右拳が見事にクリーンヒットし、甲田はその場でノックアウトされる。完全に気を失ったのを確認してから、ボクも家綱も小さく息を吐いた。


「……ふぅ。ありがとう、君のおかげで助かったよ」


 しばらく息を荒げていたけど、小林くんは一息ついてからそんなことをのたまう。家綱はしばらく黙って小林くんを見ていたけど、やがてその頭に容赦なくゲンコツを落とした。


「ッ……!? な、何をするんだね!?」


「ちょ、ちょっと家綱……!」


「この馬鹿野郎ッ!」


 止めようとしたボクだったけど、ものすごい剣幕で怒鳴る家綱に気圧されて思わず黙ってしまう。それは小林くんも同じようで、ボク同様黙ったまま家綱を見つめていた。


「何考えてンだお前は! 確かに今回は助かった、お前のおかげで甲田を止めることが出来たけどなァ!」


「な、なら良いじゃないか! 何故僕が怒られ――」


「どんだけ危険な奴だったのかわかってんのか!? お前、最悪アイツに殺されたかも知れねえんだぞ!」


 家綱のその言葉で、小林くんは家綱が本気で怒っていることに気がついたのか、再び押し黙る。


「はぁ……良いか?」


 家綱は落ちているシャーロックハットを拾い上げるとそっと小林くんにかぶせ、腰を屈めて視線を合わせた。


「お前はすげェよ。本気で目指しゃ間違いなく良い探偵になる。俺よかよっぽどな」


 そう言って小林くんの頭をポンポンと軽く叩いてから、家綱は更に言葉を続ける。


「けどそれは未来の話だ。今はそのためにしっかり勉強して、飯食って大人になれ。そんで探偵になったら……仕事上がりにでも俺ンとこに来い。そんときゃ一杯奢ってやるよ」


「…………うん」


 いつもはませたことを言う小林くんだったけど、今は年相応の子供みたいにただ頷いた。それを見た家綱はホッとしたように嘆息して立ち上がり、小林くんに背を向ける。


「そんじゃ、楽しみにしてるぜ。未来の名探偵さんよ」


「……僕が行くまで、続けていてくれよ」


「約束は出来ねえな。ま、善処してやるよ」


 そのまま、家綱は背を向けて歩き出す。


 珍しく素直にかっこいいのは良いんだけど、一応後始末しないとだからもっかいこっち来てくれないかな。










 事件の後、連絡するとすぐに警察は現場に駆けつけた。被害者と小林くんは保護され、甲田は拘束された。そしてボク達からの事情聴取と、家宅捜索によって甲田の罪は完全に立証された。


 事件を解決したボクらはお手柄探偵だの名探偵だのとしばらくちやほやされたけど、一週間もしない内にボクらの周囲は落ち着きを見せた。知名度自体は上がったし、なんやかんやで久しぶりにボクの給料も支払われた。




 事件から大体二週間程経った頃、昼過ぎに買い出しに出ていると帰りに中学生くらいの男の子に声をかけられた。


「やあ、かっこいいお姉さん」


「……あ、小林くん。久しぶりだね」


 一瞬小林くんだと気づけなかったのは、いつもかぶっていたシャーロックハットを外していたからだ。一言喋ればすぐにわかるけど、思った以上にあの帽子が彼の特徴として機能していたらしい。


「帽子はもうかぶらないの?」


 普通に気になって聞いてみると、小林くんはちょっと照れ臭そうにはにかんで見せる。


「……探偵ごっこは、もういいんだ。僕はこれからしっかり勉強して、ご飯食べて、大人になる。そしたら本物の探偵になって、家綱の奴に一杯奢らせてやるんだ」


「……そっか。良い目標が出来たね」


 誇らしげにそう語り、小林くんは大きく頷く。


「それじゃ、僕は帰って宿題をやらないといけないからね。またいずれ……」


「うん、またね。遊びに来てくれても良いから」


「それは……そうだね、考えておくよ」


 別れ際に、小林くんはポケットからココアシガレットを一箱取り出してボクに手渡す。


「それはもう、僕には咥える必要のないものなんだ。選別代わりにもらってくれ」


 そう言い残して、小林くんはその場を去って行く。ボクはしばらくその背中を見送った後、おもむろに箱を開けて一本だけ口に咥えてみる。


「……うん、おいしい」


 もっと甘い味をイメージしていたけど、少しビターな味わいだ。大人になりたい、子供の味。


 何だか気に入っちゃって、咥えたまま事務所に帰っていく。未来の名探偵に、心の中でエールを送りながら。

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