FILE14「終わりと始まりの夜」
鉄の牢獄の中で、手足を吊るされている男がいた。彼はどこか諦めたような顔でうなだれていたが、目の前にいる青年に気がつくと、獣のような雄叫びを上げながら暴れ始める。
青年は何も言わない。ただ怯えるような目で男を凝視しながら、少しずつ後ずさっていく。
「俺を……ここから、出せッ……」
出してやれるのならすぐにでもそうしてやりたい。そう青年は思ったが、牢を開けるための鍵を持っていない。それを知ってか知らずか、男は更に激しく暴れ始めた。
「何故俺が縛られなければならない……!?」
嘆くような悲痛な怒声が、青年を戸惑わせる。けれど彼を解放する手段はない。青年はその場へへたり込むと、男から目を背けてしまう。
「俺だって……どうにかしてやりてぇよ……」
青年の絞り出すようなか細い声は、男の怒声の中に飲み込まれていった。
昼下がりの七重探偵事務所。ソファで昼寝していた家綱は悪夢にうなされて目を覚ます。まだ意識が夢の中から抜け切っていないのか、呆けた様子でキョロキョロと辺りを見回した後、家綱は額の寝汗を拭ってため息を吐く。
「……軽い仮眠のつもりが、がっつり寝ちまったな……」
寝ている間に訪問者がいなかったことが幸いだ。居眠り中に依頼人が来ていれば失礼なことになっていたし、それが家光にバレれば怒鳴り散らされることになるだろう。
もう、ここで探偵業を手伝うようになってからかなり時間が経つ。相変わらず失っている記憶は戻らないが、居場所も仕事も、全てこの事務所にあった。
「ったく……アニキの奴、早く帰ってこいっつーの」
頭をポリポリとかきながらそんなことを呟き、家綱は立ち上がる。顔を合わせば憎まれ口を叩き合ってばかりだが、そんな相手でもいないとなれば寂しく感じてしまう。家綱は退屈そうにあくびをすると、普段は家光が座っているデスクへどっしりと座り込む。
座ったところで別にどうということはなかったが、なんとなく自分がここの探偵になったような気がして気分が良い。自分もいつかは一人前になり、家光に認められてここに座れる日が来れば……などとぼんやり考えることもある。しかしいつイメージしてもしっくり来ない。家綱にとってこの場所は、家光が座ってこそ映える場所なのだ。
そんなことを考えていると、不意に事務所のドアがノックされる。すぐに軽く返事をして家綱の方からドアを開けると、そこにいたのは白衣を着た中年男性だった。
「えーっと、ご依頼ですか? アニキ……いや、七重家光は今いないんで中で待っていただくことになるんですが……」
少し生え際の後退した短髪の、平凡な男だ。小柄で、少し肥満気味に見えるその男は、かけている眼鏡の位置を直しながら家綱をジッと見つめる。
「あの……何か?」
その視線を不快に思いながらも何とか抑え、家綱が問うと男はニヤリと笑みを浮かべた。
家綱が事務所で昼寝をしている頃、七重家光は陸奥峠の自宅を訪れていた。陸奥峠の家は和風の屋敷で、家光は客間に通された。
「悪いな陸奥峠さん、忙しいのに調べてもらってよ」
出されたお茶を飲みつつ家光は、軽く頭を下げる。
「そう思うならちったぁお前も調査を進めろってンだよ」
ぶっきらぼうにそう言いながら、陸奥峠はファイリングされた資料を机の上に置いた。
「……こいつは?」
資料を見て最初に目に止まったのは、眼鏡をかけた中年男性の写真だ。
「そいつの名前は
「マッドサイエンティスト……ってわけだ」
「まあそんなところだ」
そう答えてから陸奥峠はお茶をすすり、再び口を開く。
「うちの下っ端に見張らせたところ、その男が例の研究所を出入りしている姿が何度か目撃された」
「……陸奥峠さん、アンタ探偵向いてるよ」
「そりゃ良い、代わるか?」
茶化すような陸奥峠の問いに、家光は肩をすくめながら笑みをこぼす。
「勘弁してくれ。俺ァヤクザなんか向いてねえよ。嫌だぜ入れ墨なんて」
「ま、そうだろうな……。話を戻すが、とりあえず鯖島についてわかったことは資料にまとめてある。目ェ通しとけ」
「ああ、恩に着るぜ。アンタにゃ貸しが多過ぎる」
「今のうちに返し方を考えとけよ。俺が本気で取り立て始める前にな」
「おーこわ。とりあえず今度一杯奢らせてくれや」
そんな他愛もない会話をかわしながらも、家光はざっと資料に目を通す。
鯖島勝男は罷波町とは関係のない人間で、学会を追放されたのはわずか数年前の出来事だ。陸奥峠の言う通り、クローン人間を作ろうとしていたらしく、理論上クローン人間は生み出すことが出来る、という論文を発表したことで物議を醸していたようだ。やがて鯖島はクローン人間を生み出すことにこだわるようになり、強引に実験を行おうとして学会を追放されている。
「……この鯖島とかいう男、相当危ねえ奴だが……こいつが黒幕なのか?」
「どうだろうな。小規模とは言えあんな研究所を持てるような力がこいつ自身にあるとは思えん……やはり裏で糸を引く大物がいると考えた方が良いんじゃないか」
鯖島を雇い、研究所を建てて中で好きに研究をさせるられるような人物。確かにかなりの大物である可能性が高い。
「ああそれと……」
不意に話題を変えつつ、陸奥峠は小さな箱を机の上に置いて見せる。
「頼まれてたモンだ。渡してやれ」
家光は数秒程いぶかしげな表情で箱を見つめていたが、やがて思い出したのか声を上げて喜んで見せた。
「まさかほんとに仕入れてくれるとはな……ありがてぇ、これで楽になる」
「まだ市場に出回ってない試作品だ。あんま人に見せびらかすんじゃねえぞ」
「ああ、アイツにもしっかり言い聞かせとくよ」
そう言って家光は箱を受け取って懐に入れてから、改めて陸奥峠に感謝の言葉を告げた。
家光が陸奥峠の家を出ると、外がやや薄暗くなっていることに気がつく。時間的にはそろそろ夕方、と言った時間帯だが、どうやら午後は雨が降るらしく空全体を雨雲が覆っていた。
「……こりゃ降られる前にさっさと帰った方が良いな」
そう言いながら門の傍に停めておいたバイクに跨がり、家光はヘルメットをかぶってそのまま事務所へバイクで向かう。
事務所へ真っ直ぐに向かうと、事務所の前に見覚えのない車が停められているのが見える。依頼人のものだろうか。
気にしながら駐車場へ向かっていると、事務所の中から眼鏡をかけた中年男性が出てくるのが見えた。
「あの顔……見覚えが……?」
バイクを止めてジッと見ていると、今度は事務所から男が二人、気絶しているように見える家綱を抱えて出てくるのが見えた。そしてそれと同時に、家光の脳裏を鯖島勝男の写真がよぎる。
「あいつ……鯖島――おい待て! 家綱をどこへ連れて行く気だ!」
すぐに家光は車の方へバイクを走らせたが、家光に気づいた鯖島達はすぐに車を出発させてしまう。
「クソッ……! このまま行かせるかよ!」
悪態をつきながらアクセルを踏み、家光はすぐに鯖島達の後を追いかけた。
鯖島達が研究所へ到着する頃には、しとしとと雨が降り始めていた。
「……撒いたか?」
車を降りながら鯖島が運転手に問うと、運転手はコクリと頷いてみせる。
「問題ありません。ですがここへ来るのは時間の問題かと」
「奴が来る前に九号を運び込め。奴は研究所へ一歩も入れるな」
鯖島がそう指示を出し、運転手がもう一度頷いた――その時だった。
「――――ッ!?」
雨粒を弾きながら、一台のバイクが車の傍に停車する。バイクの主はすぐにバイクから降りるとヘルメットを外して不敵な笑みを浮かべる。
「貴様……ッ!」
「撒いたつもりになってるとこ悪いが、地元の人間を余所者が撒けるだなんて考えは浅はかだな。悪いがこの町は走り飽きてンだ、相手が悪かったな」
そんな家光を、鯖島はギロリと睨みつけた。
「鼠がッ……!」
「チュー! 鼠は仲間思いなんでな、返してもらうぜ、うちの助手を」
茶化すようにそう言うと、車の中で目を覚ましたのか家綱が慌てて車から降りてくる。
「あ、アニキ!」
「よう、知らねー奴にはついていくなっつったろ? 今日は飯抜きだ」
「言われた覚えがねえよ!」
そんな二人のやり取りを、鯖島達は忌々しげに見つめる。部下の男達は今にも飛びかかってきそうだったが、様子を伺っているのか動きを見せない。
「鯖島勝男だな、アンタ」
「だったらどうだと言うのだ?」
「ついでだ……聞かせてもらうぜ、この研究所のことをな」
そう言って真っ直ぐに視線を向ける家光だったが、鯖島は小さく息を吐いてからふっと笑みをこぼした。
「ここか? ここは私が個人的に持っている研究施設でね。何てことはない、個人的な研究を行っているだけだよ」
「個人的……ねぇ。例えばクローン人間とか?」
「カマのかけ方が下手だな。直球じゃないか」
「確信があるんでね。かけるつもりもねーよ。それにアンタも……もう俺らを生きて帰す気、ねえんだろ?」
家光がそう問うと、鯖島は目の前で芝居がかった調子でゲラゲラと笑い始める。
「肝の座った探偵だな! 気に入ったよ!」
「そりゃどーも。嬉しかねーけどな」
「だが一つ訂正させてもらう。我々が作っているのはクローンなどという模造品ではない……人造人間だ」
「何……?」
人造人間、という突拍子もないフィクションじみた言葉に、家光は眉をひそめる。
「彼はその貴重な実験体でね。そもそも我々のものなのだよ。返してもらうのは当然ではないかな」
そう言って鯖島が指さしたのは――事態が飲み込めずに戸惑う家綱だった。
「…………え?」
「なんだお前、本当に自覚がなかったのか。私はてっきり、私から逃れるために何も知らないフリをしていたのかと思ったよ」
「どういう……ことだ!? 何だよ、人造人間って!」
「お前、おかしいとは思わなかったのか?」
鯖島の言葉に、家綱はゾクリと寒気立つ。
「一向に戻らない記憶、人格に応じて変化する身体……超能力で片付けるにはやや異質だとは思わなかったか?」
「そんなわけねェ! 身体が変化する超能力者なんていくらでもいるだろ!」
「そうだな……だがお前のように様々な姿と人格に変化する超能力者なんぞそうはおらんだろう……?」
家綱は、家光がこれまでに確認しただけでも家綱自身を含めて六つの姿を持つ。その上その一つ一つに固有の能力と人格がある。家綱自身にはうまくコントロール出来ていないようだったが、一人の人間に六つの能力、と考えると明らかに常軌を逸していた。
「お前に以前の記憶などない……何故ならお前は、この研究所で複数の能力を持つように作られた人造人間だからなァ!」
「人造……人、間……俺が……?」
水しぶきを上げながら、家綱がその場で膝から崩れ落ちる。身体はブルブルと震え、目の焦点は合っていない。
家光は鯖島の語る真実についてある程度予測が出来ていた。しかしそれでも、鯖島の語る真相には驚きを隠せない。
「落ち着け家綱! アイツの言葉に耳を貸すな! 例えお前が何者だろうと、お前は俺の――」
言いかけて、家光は絶句する。
「家綱……?」
どろりと。家綱の身体が溶ける。そして徐々にその姿を変えていく……家綱が別の姿へ変化する時のシークエンスだ。
「おい、家綱!」
家光がそう叫んだ頃にはもう、そこにいるのは家綱ではなかった。
「……チッ」
ゆっくりと、家綱が――赤毛の男が立ち上がる。それを見て鯖島は舌打ちし、部下の男達は銃を構える。
「オオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」
赤毛の男は咆哮すると、すぐさま鯖島の方へ飛びかかる。それと同時に部下の男達がすぐさま発砲したが、赤毛の男は立ち止まろうともしない。
「家綱ァッ!」
雨の中、家光の絶叫と共に銃声が響く。しかしすぐに、重い金属音がして弾丸が地面へ落ちた。
「何……!?」
そのまま部下達は赤毛の男へ何度も発砲したが、赤毛の男には傷一つついていない。それが男の能力なのか、鈍い音がするだけで弾丸は一度も赤毛の男を貫かない。
「う、うわあああああッ!」
その異常事態に耐えかねた部下達が悲鳴を上げても、赤毛の男は止まらない。部下達を順番に殴り倒すと、既に逃げ始めていた鯖島に背後から飛びかかる。
「九号ォォォォォォッ!」
叫ぶ鯖島へ、赤毛の男の拳が容赦なく振り下ろされる。血を吹き出しながら派手に吹っ飛んだ鯖島をチラリと見てから、赤毛の男はもう一度雄叫びを上げる。
「お前……家綱、なのか? 落ち着け、一体どうしたんだ!」
家光がそう声をかけると、赤毛の男は家光の方へ視線を向ける。声が届いたのかと家光が安心したのも束の間、異常な殺気に気がついて家光は顔を引きつらせる。
「誰だ……お前、は……」
「……俺だ、家光だ……。わからないのか?」
「俺を騙そうとしているのか!? コイツらの仲間だろう!?」
「何だと……!?」
家綱と他の人格は基本的にある程度リンクしており、記憶も大抵は共有している。しかしこの赤毛の男は違うのか、家光をあろうことか鯖島達の仲間ではないかと疑っているのだ。
「おい、待て……家綱!」
赤毛の男はすぐに家光の方へ駆け出すと、乱暴にその拳を振り上げる。何とか回避する家光だったが、かなりの速度で繰り出される拳に対して徐々に反応が遅れ始める。
「運動神経にゃッ……自信が、あったんだがなァッ!」
絞り出した軽口を止めるかのように、家光の顔面に男の拳が食い込む。その強烈な威力で吹っ飛んで仰向けに倒れた家光に、男はすぐさま馬乗りになった。
そこからは一方的で、抜け出そうともがく家光を抑え込んだまま、男は何度も拳を叩き込む。
「やめろ……! 家綱ッ……目を覚ませッ!」
家光の言葉は、男へ届かない。何度も振り下ろされる拳を避けることが出来ず、家光の顔はどんどん血にまみれていく。雨は次第に強まっていたが、それでも血を洗い流すことが出来ない程に。
「家……綱! 家綱ァァァァッ!」
それでも家光は、家綱を信じて声を張り上げ続ける。そして家光の喉が悲鳴を上げ始めたところで、男はピタリと手を止めた。
「……家……綱……?」
男の姿がどろりと溶けて、徐々に家綱の姿へ戻って行く。それを見て安心する家光とは裏腹に、家綱は今にも泣き出しそうな顔で家光を見つめていた。
「あ、アニキ……俺……俺……ッ!」
「……ったく……助手……ってのは、……呼びつけたら……すぐに、出てくる……モンだぜ……教えたろ……」
「そんなことよりアニキ! その怪我……俺のせいでッ……!」
たまらずに涙を流す家綱を見て、家光はなんとか身体を起こすとその身体を抱き寄せる。
「気に、すんな……ツバつけときゃ、治んだろ……」
「ンなわけねえだろ!」
泣き叫ぶ家綱の背を叩きながら、家光はその向こう側に目を光らせていた。
「家、綱……」
「何だよ……!?」
「伏せてろ」
家光がそう言った瞬間、家綱はそのまま押し倒される。わけもわからず家綱が混乱していると、銃声が鳴り響き、家光の背中が血を吹いた。
「アニ……キ……?」
「チッ……順序が逆になったかッ!」
悪態を吐いたのは、鯖島勝男だ。家綱が元の姿に戻り、身体を硬化させる能力を失っているのを見てすぐに始末しようとしていたのだ。
「これ……を……」
家光は家綱に覆いかぶさったまま、懐から一つの小箱を出して家綱へ押し付ける。
「アニキ! アニキ……血が!」
「受け……取れ……これ持って……逃げろ……」
「アニキィッ!」
無理矢理押し付けた小箱を、家綱が受け取ったのを確認すると、家光は血にまみれた顔で無理に笑って見せた。
「……頼ん……だぜ……」
それだけ言い残し、家光は糸の切れた人形のように倒れ込む。そのままピクリとも動かなくなった家光に覆いかぶさられたまま、家綱は目を見開いた。
「嘘……だろ……なあ、アニキ……おい、返事しろよ!」
もう、家光は何も答えない。悲痛な声も、雨音に飲み込まれるだけだった。
しかし家綱に悲しむような余裕は与えられない。研究所からぞろぞろと研究員達が現れ、一斉にこちらへ視線を向ける。恐らく騒ぎを聞きつけて出てきたのだろう。
「アニキ……アニキィィィィィィィィッ!」
家綱に何かを考えるような時間はもうない。がむしゃらに家光の身体を押しのけると、小箱を握りしめてそのまま一気に駆け出す。後ろから誰かが追いかけてくる足音が聞こえたが、振り向かずに家綱は走る。
手にこびりついた血も、顔中に貼り付く涙も、雨は洗い流してはくれない。
無力な家綱を、責め立てるように勢いを増すばかりだった。
命からがら逃げ延びて、家綱は何とか事務所へと戻る。汗や血でぐしゃぐしゃになったまソファへ倒れるように座り込み、家綱は呆然と小箱を見つめる。おもむろに中を開けると、中にはスマートフォンに似た端末が入っていた。
「これ……は……?」
その端末の名は――クロスチェンジャー。ボタン操作一つで着ている服を切り替えることが出来る、現代の最先端技術の結晶である。かつてこのクロスチェンジャーの話を新聞で見た時、これが欲しいと家光へ冗談半分にねだったのを家綱自身よく覚えている。
たまらず、涙が溢れた。
また、もらうだけだった。
家光は家綱に全てを与えた。欲しいものも、居場所も、名前も、全て。
恩人だった。家族だった。尊敬していた。そんな人物を傷つけたのは自分の手で、死に至らしめたのも自分を守るためだ。それがたまらなく悔しくて、家綱は呻くように嗚咽を漏らす。
「俺はッ……俺はまだ……アンタに何もッ……!」
返せなかった。追いつくつことも出来なかった。何も出来ないまま、ただ――――
「うわあああああああッ!」
悲痛な叫びが部屋中にこだまする。
それでもまだ、雨は止まない。
そして七重家光は、二度と事務所には戻って来なかった。
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