星降る夜に
雪庭瞳
1《君の声が、聞きたい》
夜風は容赦なく僕の体温を奪って行った。吐息が白い。僕は慌てて薄手のジャンパーのチャックを上まで引き上げた。
10月と言えども、夜の裏山の気温は立派に冬だ。頂上に向かって歩いているうちにかすかに汗ばむが、すぐに冷たい風によって蒸発していく。
単刀直入に言うと、僕はここで命を終えようと思っている。
理由としてはありふれているが、生きていることが嫌になったのだ。
ガサガサと枯れ葉の音を立てながら頂上までたどり着いた。寒い。身震いしながら手頃な木を見つけ出す。
うん、丁度良さそうだ。…なんて、他人事のように思う。正直、死ぬことに何の抵抗もない。はやく、終わりたい。
リュックからロープを取り出し、枝に結わえる。かじかんだ手で結ぶのは難だが、どうにか上手くいった。
ロープの先は輪になっている。そう、そこに首を入れるのだ。
僕が選んだ方法は首吊り。
特にその方法に固執しているわけではないが、簡単に言うと消去法だ。
飛び降り自殺は僕は高所恐怖症なので到底難しい。高い所に行くことに躊躇するようでは自殺なんてできない。薬や毒を使うのは簡単そうだがそもそも手に入らない。入水自殺も考えたが、辛そうだからやめた。死ぬときまで苦しみたくない。太宰治を崇拝している訳ではないし。電車に轢かれるのも痛みは刹那的なような気がするし、親に多額の借金を負わせるのは魅力的だが、死んでまでも人に迷惑がられるのは嫌だ。僕はひっそりと死にたい。
これで準備はできた。そこで僕は初めて頂上からの景色を見下ろした。ギラギラとネオンが光る、明るい街。僕にとっては地獄の街。その光はよそよそしい。僕がいなくても、この街は変わらず輝き続けるのだろう。
遺書はもう机の引き出しの中に入れてきた。もう悔いはない。さようなら、僕の街。さようなら、僕自身。
僕はゆっくりと輪の中に首を突っ込んだ。このまま地面を蹴ればすべてが終わる。長いようで短かった18年間。楽しい記憶は何一つないけど。もう、これでおさらばだ―…
「ちょちょちょちょちょっと待ったあ!!!だめ、ストォーップ!!!」
騒々しい声を立てながら何かが突っ込んできた。その勢いで僕に猛タックルをぶちかます。
「うわああっ」
はずみで僕の足が地面から離れる。
やばい、これは死ぬ!死んじゃう!!
「…もしもーし、大丈夫ですか?おーい」
不意に誰かの声が聞こえた。うっすらと目を開けると、文字通り目の前に女の子の顔が!
「うわわわ!」
慌てて後ろに転がる。えーと、これは一体―…?
「わーよかったあ!このまま死んじゃうかと思ったよー。私が助けなかったらあのまま死んでたよ?よかったね!」
どうやら、しばらく僕の意識は飛んでいたらしい。いや、ちょっと待て、僕はそのつもりでここに来たのだが…。
落ち着いてきたら、目の前の無邪気な笑顔に無性に腹が立ってきた。
「おいっ、なんてことしてくれたんだよ!?余計なことしやがって…!」
よく、自分で死ぬのには勢いが必要だと言う。確かにその通りだ。なんというか出端を挫かれた気持ちで、もう1度チャレンジする気にはなれない。
「くそっ…!」
思わず吐き捨てる。この女、偽善者ヅラして何をにこにこしてるんだ!悔しくて悔しくてどうしようもない。
「死ぬのだけはだめだよ!だって、死んだらそこで終わりになっちゃうんだよ?」
ここに来てのまさかの説教。なぜ見ず知らずの女に諭されなきゃいけない?しかも、能天気そうなこいつに、何がわかるんだ…!
「うるさいっ、こっちの気持ちも知らないで―…!」
「うん、知らない」
反射でかみつこうとするが、予想外の返答に思考が止まる。え?いや、そうだけど。だけど、そこで普通そう来るか?そこは偽善者なりに「ソンナコトナイヨーワタシニハワカルヨー」なんて言うんじゃないんだろうか。
「だってさ、私と君、今初めて出会ったんだよ?君がどうしてそんなことしたのかわかんないし、ましてや気持ちなんかわかんないよー」
なんて返せばいいのかわからない。開いた口が塞がらないとはこのことか。
「でもね?」
ここでいたずらっぽくふふふと笑い、
「君の気持ちを聞くことはできるんだよ?…君の声が、聞きたい」
なぜか僕の目から涙が一筋、ポロリとこぼれ
た。
不本意なのに止まらない。いつもなら何だコイツとしらっとした目を向けるような茶番だと思う。でも、さっきの怒りはすっかりどこかに消えていた。ささくれだった何かが消えていくのがわかる。
…僕は誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
何も答えずにただただ泣いていると、女の子は優しく背中をなでてくれた。
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