第8話 公平性とは


 仕事から帰ると、そのまま礼人の部屋に行き、夕食を摂ってから涼子は部屋に戻る。

 礼人の方も、朝や昼は食欲が無いと言って抜くのに、自分の手料理を目の前で美味しそうに食べているのを見ると、満更でもない。

 それに、自分の前でだけは、撥ねたままの髪も平気で、警戒心なくリラックスしている様子なのも悪くない。

 そう。警戒心の強い猫が、自分にだけ懐くような。

 部屋に侵入していないのを確認し、涼子を家に上がらせると、

「じゃあ、鍵とドアロックを必ずかけて。宅配でも、絶対に開けないように」

と念を押す。

「はい。ありがとうございました。おやすみなさい」

 ドアを閉め、ロックのかかる音を確認してから自分の部屋に礼人は帰った。

 そして、

(明日は何にしよう。鮭のクリームシチューにするかな。有坂さんは、鮭とチキン、どっちが好きかな)

などと考え始めた。


 涼子は暖かな気分のまま、入浴を済ませ、ふと電話を見た時に現実を思い出した。

「そうだった」

 あの電話の主は、「公平でないと」と言った。過去に、不公平な何かで、自分に腹を立てているという事になるだろう。

 声の感じからは、年上だと思われる。

(先輩とか?就職先の希望が同じで、向こうは落ちたとか。

 でも、包帯と赤い塗料は?)

 ヒントが適当ではないと、文句を付けたい。

「わからないものはわからない」

 涼子はそのまま、寝る事にした。


 夢をみた。

 視線が随分と低い。3つ年上の兄は、離れたところで他の男の子達とブランコで靴飛ばしをしている。視線を転じると、小さい三毛猫が日向ぼっこをしていた。

 その猫に近付いて手を伸ばす。

 が、猫はピンと耳を立てて歩いていって、離れたところで座り直した。

 それを追って近付き、手を伸ばす。

 が、またも猫は距離をとる。

 それを4回繰り返したところで、背後に誰かの気配がした。

「お兄ちゃん?」

 振り返ろうとして、ふと、前にも誰かが立っているのに気付く。

「あ。森元さん」

 礼人はスッキリとスーツを着こなした上からエプロンをつけて腕組みし、

「ちゃんと飯を食え」

と言って来る。

「お母さん?」

「誰がお母さんだ、こら」

 そこで目が醒めた。

 涼子は起き上がりながら、笑っているのに気付いた。


 出勤し、しばらくしてから首を傾けた。野原さんがまだ来ない。

 同僚達も、時計とドアをチラチラと見ている。

「所長。野原さん、休みですか?」

「いや、連絡はきてないな」

 そんなやり取りを聞いて、心臓が撥ねた。

 まさか、でも、万が一。そんな言葉がグルグルと頭をよぎる中、所長の前に立って進言する。

「電話をかけてみていただけないでしょうか」

 所長も同僚達も驚いたような顔をしながらも、

「はい。そうですね、倒れているかもしれませんしね」

と、所長は電話を取り上げた。

 住所録を頼りにかけ、待つ。待つ。待つ。

「出ないなあ」

 そこで、皆が不安を表情に覗かせて、思い出したように涼子の顔を見た。

「念のため、警察に知らせてください」

「は、はい」

 所長はあたふたと電話をかけ始めた。


 野原架純の遺体は、自宅ワンルームマンションで発見された。包帯と赤い塗料で塗られた足先は同じで、今回も添えられていたカードに、


   有坂涼子

     死者達がお前を呼んでいる


と書かれていた。

 解剖は、同僚が受け持った。

 野原の両親が駆けつけ、泣いている声が聞こえる。

「どういう事なんですか。どうしてうちの子が?」

「有坂涼子という人のせいなんじゃないですか!?」

 そのヒステリックな声に、チラッと、全員の目が涼子に向く。

 その視線を遺族が追って、涼子を睨みつけた。

「あなたが有坂涼子なの?あなたのせいなの?」

 目を吊り上げた母親が詰め寄る。

「……」

「どういう事なんですか!?」

 父親が言いながら、腕を掴む。

「野原さん――」

「娘を返して!」

 母親が泣き叫び、思い切り平手打ちを涼子に食らわせた。

「野原さん!」

 同僚達は慌てて野原の両親を引き剥がし、涼子に席を外しているように目で促す。

 涼子は一礼して、部屋を出た。

 礼人が電話をしまいながら、足早に近付いて来た。

「どうしました」

 訊きながら、礼人は涼子を見た。

 そう変わった様子はないが、片頬が赤い。

「どうすれば公平になるんでしょうか」

 いつも真っすぐに目を合わせてくる涼子にしては珍しく、俯いている。

 礼人は、ハッと気づいた。

 いつも通りなのではない。平気なのではない。不安で、申し訳なくて、途方に暮れていたのだと。

 完璧で冷静沈着な女神様だなんてとんでもない。

 思わず、手を伸ばして頭を撫でていた。


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