第80話 クライマックスへ走れ


 帰り道。


 目を真っ赤に腫れさせた神之木さんと歩く。

 もしかしたらもうこんな風に二人並んで歩けないのかなと思ったら、少し寂しくなった。


 だから私はその代わりに、体に刻み込むように息を吸う。

 この時間をまた思い出せるように。


 私たちの間に会話はなかった。


 いつも割と会話は続く方だけど、今は沈黙が心地いい。

 秋の風がビューっと吹けば、ノスタルジックな気持ちになる。


 私は少し冷えた手を擦り、はぁーと息を吹きかけた。

 まだ息は白くない。

 きっと息が白くなった時、私は冬を感じるのだろう。


 しばらく歩いて、家の近くの公園で足を止めた。


「もうここで大丈夫です。送ってくれてありがとうございました」


「いや気にすんな。むしろ今日は俺がお礼を言わないとだよ。ほんとありがとう」


「神之木さんの役に立てたのならよかったです! まだ目の下にクマはありますけどね」


「今日はちゃんと寝るわ……」


「そうしてください」


 ちゃんと寝る、ということは神之木さんの中で問題は解決したということなのだろう。

 心なしか今日初めにあった時より、神之木さんの表情は清々しい。


 私はそのことを嬉しく思いながらも、どこか胸がチクリと痛む。


「その……ほんと、ありがとう。これでようやく、前に進める」


 そう言う神之木さんは、もう私のことを見ていないようだった。

 遠く……そう、私の見えないような遠くを見ている。




 ――あぁ、好きだな。




 一切の迷いがない、堅い決意の現れた表情は勇ましくて、見惚れる。

 脳内の永久保存フォルダに、そんな神之木さんの姿を保存した。

 これも又、いずれ思い出す。


 そしてこの初めての恋心も、その景色と手を繋いで思い出されるのだ。


「よかったです!」


「あぁ。このお礼は、いつか必ず!」


「はい!」


 そのお礼を受け取るころには、きっと私は終わりを迎えているのだろう。


 だとしても、私はその終わりを拒んではいけない。

 神之木さんのためにも、私自身のためにも。


「じゃあ、またな」


 手を上げて、そして無邪気に微笑む神之木さん。


 そんな神之木さんの目はやっぱり赤く腫れていて、泣き崩れた後の子供みたいだなと思った。


「はい、また!」


 私も胸の前に小さく手を出して、神之木さんに向けて手を振る。

 わずか数秒の間視線が交わった後、神之木さんは踵を返して前に歩き始めた。


 私はその場に立ち止まって、あっという間に進んでいく神之木さんの背中を見つめる。


 なんて残酷な初恋なんだろう。


 こんなの叶うはずがない。


 そう、叶うはずがないと分かっていても、それでも私は拳を握る。


 

 私はこの日、恋は乙女を強くするのだと知った。




   ***




 覚悟が決まった。


 俺が今何をすべきなのか。そのすべてが分かった。

 あとはあいつらの背中を追いかけて、走っていくだけ。


 もう迷いはいらない。

 直線を、最短で。


「まだ加恋、帰ってきてないよな」


 今日確かクラスメイト達と前夜祭的なことをすると言っていた。

 そのため加恋は家にいない……はず。


 俺は地面を蹴って、息を切らして加恋の家の扉を開けた。


「光さん!」


「あれ律君? どうしたのぉ~?」


 ちょうど玄関先に、エプロン姿の光さんがいた。

 

 俺は息を切らして、夏から連れ出した汗を拭う。

 呼吸を整えることすらもせずに、俺は言い放った。




「約束のものを、受け取りに来ました!」




 さぁ始めよう。


 もう迷うのなんて終わりだ。

 

 この恋に、俺の青春に決着をつけよう。











 クライマックスは――もう始まっている。








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