第52話 VS理性 ファイナルラウンド

「……」


「……」


 加恋の細かな息遣いが、これでもかというくらい鮮明に聞こえてくる。

 俺はそれに胸の鼓動を早くしつつ、それを抑えようと必死に現実から目をそらした。


 そう、きっとこれは——夢である。


「(……なわけねーだろ俺! こんなに息ができないくらい苦しいんだし、万一夢だとしてもこんな夢を見てしまう俺がキモすぎるだろうが!)」


 そんなことを心中で思っていると、加恋が少し動いた。

 この閉鎖空間で少し動くだけでも俺の体に接触してしまい、また加恋がピクリと動く。

 その繰り返しで触れ合う肌。


 男ながら、今すぐにも悲鳴を上げそうだった。


 さすがにそろそろ、この状況になったことの弁明をしてもらおうと思い、口を開く。


「なんで試着室に俺を連れ込んだんだよ。もう出ていいか?」


「それはダメ! はっ……」


 急に大きな声を出したかと思えば、ひっそりと試着室の外を見て、胸をなでおろす加恋。


「実はさっき見たんだけど、どうやらクラスメイトがいるみたいなの」


「ほぉー」


「もし私と律が一緒にいるところをその子たちに見られたら……そのぉ……大変、でしょ?」


 勘違いされたら弁明するのがめんどくさい、ということだろうか。


「まぁ、確かに」


「だから、いなくなるまでこのままにして」


「このままって……このままか?」


 下から上まで見てから、もう一度加恋にそう問う。


「ちょっと、あんまりジロジロ見ないでくれない?」


「うるせぇ嫌でも目に入んだろうが」


「ちょっと嫌って何? 私の体がそんなに不満?」


「不満だったらどうする?」


「目を潰す」


 加恋なら本当にしてきそうなので、不満なんてもちろん言えない。 

 だから、


「満足です」


 と満面の笑みで言ったら、腹パンを食らいました。

 なるほど、これが世の理不尽というやつかなるほど。

 

「で、さすがになんか上に着たらどうだ? ほんとに目のやり場に困るんだけど」


「……無理よ。私が少しでも動こうものなら、律に当たってしまうもの」


「少しくらいは我慢してやるから」


「我慢?」


「何でもないですすみません」

 

 やっぱり女の人って強いよね。

 ほんと将来、尻に敷かれる運命しか見えない。


「しばらく……このままよ」


「……はい」


 加恋と普通に会話したからか、少しばかりか動揺がなくなったように思える。

 それでも、目と鼻の先に水着姿の美少女がいるという状況は、男として大変ヤバい状況だけど。


 俺は必死に耐えた。

 ここで加恋の背中に腕を回しても、男ならみな「しょうがない。いや、むしろ手を出さない方がおかしい」と言うだろう。


 ただ、俺は一度加恋を諦めようとした身。

 まだ少しだけ気持ちが残っているとはいえ、中途半端な気持ちでやっていいことではない。

  

 そんなこと、分かってる。

 だから俺は、拳にグッと力を入れて堪えた。

 すぐにこの状況から解放されると。そして、目の前にいるのは仏像であると自分に言い聞かせながら。


「そろそろじゃないか?」


 密着した状態のまま五分ほどたった後、俺は耐え切れずにそう言った。


「そう……ね」


 加恋が隙間から辺りを見ようとした瞬間、女子の声が響いてきた。


「この夏はやっぱり、いい男をゲットしないとねぇ~」


「そうだね。だからこそ、この水着選びはすごく重要なのだ! この夏を決めるといっても過言ではないっ!」


「だねっ! よしっ! 試着するぞ!」


「うん!」


 マズイ……この加恋の「ヤバいオワタ」と言いたげな表情から察するに、隣に入ってきた女子はクラスメイトっぽい。

 しかも、どうやらこの水着選びに相当力を入れているっぽい。


「これ……ステイ?」


「……ステイ」


「ふぅ~」


 ……オワタ。


「バレたらマズいから、あんまり声出さないでよ?」


「へ、へい……」


 小声でそう言って、俺は天井を見つめた。

 ……これ、どんな拷問だよ。


 俺はその後、ニ十分ほど自分の理性と格闘する羽目になった。




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