夜の蛾

杉山実

第1話事件発生

「今夜も飲んだわ!」そう呟きながら自宅のマンションに戻った堂本聡子は、メイクも落とさずにパソコンの前に座る。

東京渋谷に在るスナック「銀のCOIN」が聡子の勤め先。

二ヶ月前から水商売に足を染めて、今開いたパソコンで見るのは自分の持っている株の価格。

少しでもお金が欲しい聡子は、店に来た男性に勧められて買ったが、昨日から下落が始まり不安だった。

昼間も学校が終わると急いで夜のバイトの準備をして店に行くので、ゆっくりと確認出来るのは深夜に成ってからだった。

横浜の国立大学を卒業して有名大企業に勤めた筈だったのに、何処かで大きく歯車が狂った聡子はバイトと勉強に追われる毎日。

生まれは神奈川県の横須賀、子供の頃から勉強は良く出来て兄の孝一とは全く異なり、いつも成績はクラスでトップ。

反対に孝一は全く勉強が出来ずに、私立の大学に辛うじて入学した。

聡子に大きな人生の転機が訪れたのは、聡子大学二年生の冬だった。

兄は大学の三年生で就職も決まり、後一年と云う時に父治が病に倒れて入院をしてしまった。

余命一年のステージ四の大腸癌が発見されたのだ。

呑気な兄孝一は自分の就職が決まったので、後一年の大学生活を満喫しようと考えていた。

母の昭子は孝一の学費の工面、治の病院の費用とお金の捻出に苦労していた。

堂本家は一気に波乱の冬が始まってしまった。

聡子に相談する母昭子、癌保険が使えるが取り敢えずは立て替えで沢山のお金が必要に成る。

就職の決まった孝一に大学を諦めて欲しいとはとても言えない。

相談をされた聡子も昼間のバイトで書店の店員をしていたが、もう少し高額の給料を得られるバイトを捜す為、友人に相談をした。

背に腹は変えられないので、渋谷のスナックを紹介されて働く事に成った。

インテリホステスとして人気に成って、特に外人客に得意の英語力が役だってママに喜ばれた。

だがお酒が不得意の聡子は、二ヶ月でスナック勤めに限界を感じ始めた。

株に少しのお金を増やそうと投資したが、無意味に終り決断を迫られる。

父の治は放射線治療と抗ガン剤治療で、外科的手術は行なわずに治療する事に成るが費用が沢山必要だった。


それから数年後の秋の早朝、

愛犬イチの鳴き声で目を覚ます美優。

寝ぼけ眼で「一平ちゃん!携帯が鳴っているわよ!起きて!事件よ!イチのあの鳴き方は間違い無いわ!」

最近では携帯を台所の横に置いていて、その直ぐ隣の部屋にトイプードルのイチが寝ている。

ベッドで寝返りをして隣の美優に抱きつく一平。

「何しているの?」静岡県警捜査一課主任野平一平の自宅でのだらしない姿だ。

「キス」美優の身体を抱き寄せるが「一平!事件よ!起きて!」そう言って美優が飛び起きる。

「あっ!」驚いて再び布団に潜り込み服を捜す美優。

気が付けば全裸で眠っていた事をすっかり忘れていた。

昨夜一平が酔った勢いで、抱きついてきてそのまま愛し合って眠ってしまった二人。

「きゃーーー」衣服を捜していた美優が、一平の股間の物を触ってしまった。

朝早く元気溌剌の一平の股間に驚いてしまい「馬鹿!早く起きて!」と思い切り引っ張る。

「わーーー」の声と同時に飛び起きると「事件よ!」美優の声に漸く目覚める。

「携帯が鳴ったのか?」

「イチの鳴き声だと殺人事件だわ」

急いで支度をすると、既に同僚の伊藤純也が玄関先で待っていた。

同じマンションの一階上に住んでいるので、呼び出しの時はいつも伊藤が一平を誘いに来る。

「おはようございます!変死体ですが殺人事件の様です」

「被害者は?」

「東南物産常務、桂木洋三六十二歳です」

「身元が判っているのか?東南物産は大企業だな!そこの常務か?何処で発見されたのだ!」

「浜名湖の舘山寺温泉の近くです、浜松の警察では青酸性の毒物による自殺の可能性も有ると言っています」

「自殺の可能性って、動機が必要だろう?有るのか?」

「それは判りません」

車に乗り込み高速に入ると、話しを止めて眠ってしまう一平は、昨夜の疲れが今頃に成って出ていた。


その日の間に家族が浜松警察署に到着して涙の対面と成り警察の死因説明に、俊子は現物を見た事は無いのだが洋三が若い時取引先で手に入れたと話した事が有ると言った。

夕方に成って娘の真悠子が自分の亭主小南義則とやって来た。

義則は東南物産大阪支店勤務で、妻の親父の死は今後の出世の妨げに成ると顔面蒼白でやって来た。

洋三にはもう一人息子の洋介が居るが、現在は東南物産中国支店に勤務しているので、今日には戻って来られなかった。


捜査員が現場の聞き込みを始めて、車はレンタカーで亡く成る前の日に静岡の新幹線乗り場近くで借りていた。

その時に同乗者は誰も居なくて、自動車の保険も一人分に成っているので、一人だろうと思われた。

だが翌々日次の事件が起って、静岡県警は大忙しに変貌してしまった。

熱海の梅林で中年の女性が同じく青酸性の毒物での変死体で発見されたのだ。

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