1-55.お母さん。

〇望〇


 美怜が扉に手をかけた。

 

「――っ、待ってくれ、それは違う!

 それは僕にはどうしようもないことなんだ」


 僕らの背中に思考が追い付いたお父さんが引き止めの言葉をかけてくる。


「私はそれで怒っているわけじゃないんだよ。

 それを言ったのはただの意地悪だよ。

 既に唯莉さんから、そうで無いことは聞いてるから。


 ――どうして貴方は選択権を私に委ねたのか、それ一点に私は怒ってるんだよ。


 欠けた部分を取り戻したいのなら、娘になって欲しいとかそう言うのが普通なんじゃないかな?」


 お父さんに隠した美鈴の顔は、無表情だった。

 ただ、涙を蓄えた瞳だけは赤くなり、自分の感情を抑えているのが判る。


「遠慮をする必要があるの? 

 気遣いをする必要はあるの? 

 そういう相手に押し付ける甘え同士をすり合せ、お互いにムリが出ないようにする。

 それが家族だよね?」


 美怜の震える声から発せられたそれは僕の言った言葉、僕の家族観に似た物だった。

 美怜の手が僕を更に強く求めてくる。『合っているよね?』と、まるで確認してきているようだ。

 だから、僕は手を強く握り返すことで『そうだ』とそれに答えた。


「――すまないな。

 諭されたようで誠意が無い、そう思われても仕方ないと思う。

 ――娘であってくれ、頼む」

「『あってくれ』――その言葉が出たから許すよ。

 ここで『なってくれ』だったら、私は貴方を許さなかった。

 過去の自分を無いものにして進むなら、足長おじさんでの好意も今までの努力も全部捨てて、元に戻ることは諦めるってことだからね?

 それならわざわざここに私を連れてきてくれなんて言わないでと返してたよ」


 美怜がお父さんの方を向き、僕もぐるりと回ることになる。


「そう言ってくれた、だから思い出させてあげるよ。

 ――お母さんてどんな人だった?」


 そして扉に背をつける美怜は僕と手を繋いで無い方の手で、扉を軽く三回叩いた。


「……覚えていない」

「私は知ってるよ」


 美怜がにこやかに笑う。

 それと同時に病室の扉が反対側から叩かれた。


「来たみたいだね。

 ――お母さんが」


 そして開かれた扉から一人の女性が現れた。

 長髪の白い女性だった。

 僕と美怜に一度、柔らかに笑う。


「――っ」


 雰囲気かなんだろう? 物凄い意思の強さを感じる。

 身長は美怜よりも低く妹でも通りそうなのにとても大人びており、美怜が兎ならこの人は白虎のような猛々たけだけしさ。

 たしかに、その人は美怜に良く似た女の人だった。

 白い髪をしている点もそうなのだが、顔の作りがとても似ており、服装も白いワンピースで美怜と同じだ。

 背は美怜よりも一回り小さく、唯莉さんより一回り大きい。なお、胸は無い。

 黒紫色の目は柔らかい印象をこちらに与えてくる。

 それもふまえて、全体的な外見との印象を絡めていくとチグハグという印象だ。

 唯莉さんも小学生の外見に関西おばさんがインストールされていて相当にチグハグではあるが、一層だ。

 左手は包帯で固定されており、怪我をしているようだ……?


「お久しぶりですね」


 お父さんが口を開けたまま、目を見開く。


「あら、死人を見たような顔をしてどうしました?」

「それはジョークだよね……。

 お母さんが中学時代の姿で来たから吃驚しただけだよ」

「少しだけ背が縮んだだけなのに、酷い人」


 膨れながらお父さんの前にカツカツカツとヒールを鳴らし、進んでいく。

 そして、軽く一回ビンタ。


「ゆうり――?」


 そのまま頬っぺたを抓り上げられたお父さんは弱弱しく、でも、確実にその名前を呼んでいた。

 お父さんの狼狽振りにニコニコと笑む悠莉さん。

 そしてまたビンタ。


「だ・れ・が・あ・ん・た・の・お・も・に・に・な・り・た・い・っ・て・?」


 苛烈な人だというのが感想に浮かんだ。


「ぇえ、全く下らない、下らない。

 愛が重すぎるって言われたことは唯莉にもあるし、

 貴方に色目を使ってた唯莉を舞鶴湾に沈めたり、

 愛宕山から転がしたり、

 北の船に詰め込もうとしたこともあるし、

 私に変な色目を使った鳥のとこの息子に折檻したりとか色々したけど、

 重荷になる気はこれっぽちもありませんでしたよ。

 そもそもに私は貴方についていくと決めていて、その結果を満足に受け入れられない未熟者にする気?

 挙句の果てには自分が独身だって?

 舐めてますよね?」


 そして、茫然としたままのお父さんの胸倉をつかみ、揺すりまくる悠莉さん。


「……唯莉、悠莉の変装はやめろ。

 発作が無いから判った」

「……思い出せたんやね?」


 お父さんが合点を得たかのよう目に力強さが戻る。

 それを見た悠莉さんの笑みがニシシという擬音が良く似合うモノに変わる。


「せや、言動、性格、笑い方――あんたが発作を起こす以外の全部を真似れるのは双子である唯莉さんだけや。

 中高時代、ちょくちょくからかったしな?」


 そしてポケットから氷砂糖を取り出し、口に放り込むのを見てようやく唯莉さんの変装であることに脳が追いつく。

 美怜に変装術を教えた唯莉さんなら出来るし、今までもやったことがあるとのことで聞いていたが、状況が違う。

 今回は思い出させるためにやったことだ。

 美怜を見た時の発作を抑える練習の為ではない。

 現に正気を取り戻したお父さんは従前結果の通り、唯莉さんでは発作を起こしていない。


「美怜ちゃん、あんたの策は当たった。

 後は自分でやりぃな」


 ならば、正気を取り戻したお父さんが美怜を見て、どうなるか。

 上手く行けば、さっきのように話してハッピーエンドに持ち込める。


「唯莉さん、有難う御座います

 ――さて、こちらを向いてください、お父さん」


 ここからが勝負だと嬉しそうに唯莉さんに微笑んだ美怜が、そのままの表情でお父さんに視線を向ける。

 お父さんと美怜の眼が合う。


「――っ!」


 お父さんの顔が驚きに変わり、そして徐々に、


「す、すま、ない、美、れい」


 苦しみに歪む。そして始まる発作。


「……発作が起きず、物事はハッピーエンド。

 ……とはいかんよな。

 ――お手並み拝見や」


 軽薄さを消し、唯莉さんは椅子に座る。

 まだ固定された左手――痛むはずのそれを右手で強く握るのは飛び出さないための自制なのかもしれない。


「お父さん、そう美怜だよ。

 お母さんでは無く、美怜だよ。

 お父さんがそう美しくさとしく素直であれるように名前をつけてくれたんだよね?」


 僕から手を離し、美怜は前へ一歩進む。


「暴れるってことは思い出してくれたってことだよね?

 お母さんの事、私の事――だから、ありがとうだよ。

 ――そんな状態なのに、私に会おうとしてくれてたんだから。

 それに今、すまないって言ってくれた。

 だから、私はやるよ」


 暴れだすお父さんの左手を美怜は両手で握り締めようとする――弾き飛ばされる。

 床に転がりそうになる美怜。

 火傷はほぼ直っているとはいえ、傷が剥けたら跡になってしまう。

 だから、僕は美怜を支えるために体が動いていた。


「ありがと――でも、私のことを心配しなくて大丈夫だよ、信用して。

 暗示とか何にも無くても普通に会える、普通のお父さんへと戻して見せるから。

 ――今もお母さんの名前じゃなく、私の名前を呼んでくれたんだから」


 美怜は嬉しさを浮かべ、取り付こうとする。


「判ってたよ、私を代理品なんかで見てないことは。

 ――それに唯莉さんが言ったとおり、お母さんはお父さんの重荷になりたくない筈だよ!」


 美怜がまた、突き飛ばされた。今度も倒れないように背中をキャッチし、支えてやる。

 その姿は健気で美しく思えた。

 美怜の眼は赤く、それでもとお父さんに視線を向ける。


 ――なのにお父さんはどうだ? 自分に負け、情けない。


「だから、そんな発作に負けないで!」


 また取り付くが、突き飛ばされる。

 それを支えた僕は、自分の目的を達するまで前に出ようとするだろう美怜を遮り、前に出る。


「いい加減にしろ、糞親父!」


 衝動的に体が動いていた。

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