1-42.終わりの始まり。

〇望〇


「――唯莉さん?」


 そこには赤い長ズボンに着替えた美怜が、驚きで眼を見開いた立っていた。

 上ジャージは後で着ようとしたのか手に持っている。


「これは唯莉さんではなく、そのそっくりさんだ」

「やぁ、ひさしぶりやな、美怜ちゃん。

 どないや、調子は?」


 僕のヘルプを無視して普通に話しかける唯莉ゆいりさん。


「ぇえ、望を送ってくださって有難うございました。

 家族として、楽しませてもらってますよ。

 他人の唯莉ゆいりさんでは出来ませんでしたし」


 意外だった。

 いつも、家族というのは唯莉ゆいりさんから聞いたと根拠にする際は楽しそうに言う。

 けれど、ソラ君相手にすら敵意を出さなかった美怜が憎しみを露にしている。

 それほど、彼女の中で『捨てられた』ということは根が深くなっているようだ。

 家族観に対して、今の美怜が僕によって満たされていることに相反しているようにも見える。


「なぁ、望、これほんまに良い子ちゃんを演じていた美怜ちゃんか?

 少し、想定外や」


 驚いたのは僕だけではなかったようだ。

 僕の耳を引っ張り屈ませた唯莉さんが囁いてきた。

 こっちも流石に裏話を聞かれては不味いと、美怜に聞かれないようにヒソヒソ。


「自分の書いた台本を読み直してください、シナリオライターさん」

「まぁ、それはわかっとるんやけど変わりすぎやで。

 何というか、周りに合わせようとして良い子を演じていたのを治したかったのはあるんやけど、なんやちがうでこれは」


 ――さておき、っと唯莉ゆいりさんは繋げる。


「車には発作が起きてもええ用に準備はしてあるんやけど、暗示かけとらん。

 あんたにも会うことも予想外で変装もさせとらん。

 せやから一度、トイレに逃げて引き止めるわ――突発遭遇だけはまだあかんなにが起こるかわからへんさかい」

「了解」

「望、私を捨てた唯莉さんから離れて!」


 僕の手を力強く引っ張り、唯莉さんから引き剥がす美怜。


「エライ恨まれたもんやな、悪い唯莉ゆいりさんはずらかりますわ」


 そう言い踵を返し、どうとでもないという仕草で教員用男性トイレに入ろうとした時だった。


「唯莉、どうしたんだ?」


 その影から出てきてしまった。

 何とか美怜をその人から見えないように隠そうと体が動いていた。


悠莉ゆうり――?」


 しかし、それは無駄で、呆気なく倒れる、お義父さん。

 頭の中が真っ白になる。どうすればいいかが浮かばない。


「すまん、すまんすまん、すああうあすうす――」


 お義父さんの痙攣が始まってしまった。

 呼吸すら危うい状況なのが判る。

 僕や美怜も持つ、フラッシュバックだ。


「――っ! 望! 

 美怜ちゃん連れてはいけ! あと、救急車呼んできいや!」


 一番初めに自分を取り戻したのは、唯莉ゆいりさんだった。

 言われ気づいた僕は美怜の手を掴んで、そこから脱出しようとする。

 だが、美怜は硬く体を強張らせたまま、そこから動こうとしない。


「誰なの、この人? 

 ――お母さんの名前呼んでたよね? 唯莉や『ゆり』じゃなくて悠莉って。

 『ゆり』という名前で通していた筈。

 それが本名だと皆思っていたと唯莉ゆいりさんは言っていたし、『ゆり姉』と言っていた」


 僕を強い視線で捉える美怜。

 眼を背けるしかなかった。


「望、この人は誰なの?」

「美怜ちゃん、今はそんなんはどうでもええ、はよ!」

「どうでもよくない! 他人は黙ってて!」


 美怜の強い怒号は唯利ゆいりさんを尻もちつかせるには十分だった。


「唯莉さん、僕が説明します! 

 だから車まで早く運んで――そこで手当てと救急車を!」


 僕は呆然とした唯利さんを見て、何とか正気に戻そうと言葉を投げる。


「唯利さん!」

「――あぁ、判った、頼むわ!」


 しばらく呆然としていた唯莉さんは正気を取り戻すとお義父さんを担いで駆けていく。

 小柄な体型からは考えられないほどの力だ。

 それを追いかけようとする美怜の手を今度はこちらが逃がさない。


「望、放して」


 僕に対して、必死な赤い視線を送ってくる美怜。


「放さない」


 それでも僕は拒否する。

 今の状況で放すのは、お義父さんにとって危険すぎる。


「……望にとって重要なことなんだね?」


 僕は首を縦に振ることしか出来ない。


「説明してくれるんだよね?」

「あぁ、それで追いかけるのを諦めてくれるのなら」


 美怜の手から力が抜ける。

 その分、こちらを向く視線は更に赤くなる。


「――あの人は僕の義父、そして君の足長おじさんの九条さんさ。

 彼は君に君の母親の面影を見てしまい、自分の罪を認識してしまうと倒れてしまうんだ」


 嘘を一つも混ぜずに述べた。

 声の調子も悪くなかった。


「――何か、言ってないよね、それ」


 それでも気付かれた。相変わらずの洞察力だ。

 何とも言えないわだまかりのような感情が僕の心中に浮かんだ。


「望――本当にそれだけなの?」


 それだけ、と言えてしまえば楽なんだろう。

 しかし、僕はそれを言う事が出来ない。

 どんな言葉でも発したら今の彼女には気付かれる、今の応対でそう確信した。


「二択だ」


 僕は深呼吸する。


「一つは僕とこのまま、何も知らずに家族を続けること」


 もう一度、ゆっくりと深呼吸し、美怜から目を背けた。


「もう一つは、酷い真実だ」

「――望、家族を続けられないと言う事? 

 ――あ、あれ、なんで涙が。望が他人だなんて――どうしてこんなことを考えちゃったの」


 賢い子だと思う。

 もうここまで来たら誤魔化しようがない。

 歯噛みをし、美怜を見据える。彼女が前者を選んでも、何も知らずにはいられない。

 変わらずにはいられない。

 だから、もう選択肢は決まった。前倒しをするだけだ。


「そうだ、僕は他人だ」


 美怜から手を放す。

 それは呆気なくなされ、僕から彼女の熱がなくなる。


「――の、望?」


 美怜が唖然とする。

 窓の外――空はこんなにも昼もまだで快晴なのに、彼女は夕焼けの雨の中におり、段々とそれは青紫色の夜になっていく。

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