エッセイという名の何か

秋野トウゴ

コロナとボッチと閉塞感

 新型コロナウイルスが蔓延して、ものすごく閉塞感を感じている。

 外に出る時にマスクを着けるという物理的な息苦しさもあるのだけれど、それだけではない。

 スーパーに行った時にマスクを着けていない人を見かけて、「なんでマスクをせずに出歩くのか」と思ってしまう自分の心の持ちようへの失望みたいなものもある。

 ただ、この閉塞感は東日本大震災の時に感じた「これからどうなるのだろう」という先の見えない不安だけでもないと思う。


 何なのだろうかと、いろいろ考えている。


 ただ、ふと思いついただけにすぎないけれど、たぶんこの閉塞感の理由の一つは、人との距離を離すように言われていることなんじゃないだろうか。

 僕はどちらかと言うと、家に引きこもって本を読んだりして過ごすことの方が好きな方だ。

 それでも、もちろん家の外には出る。

 それは必要に駆られてということもあれば、ただそうしたいからということもある。


 そうして思うのは、結局のところ、ボッチとは言っても、人とのつながりを求めてしまうんじゃないかということ。

 それは、「俺ガイル」の比企谷八幡がボッチを自認していながらも、奉仕部を守るために行動したことにも表れていると思う。


 所謂「3密」の回避に求められている人との距離は、物理的なものだけれど、物理的な距離があれば、どうしても精神的な距離も開いてしまう。

 知っている人との距離はSNSとかで縮めることはできる。

 でも、普段はただすれ違うだけの関係だった人との距離は縮まらないどころか、もっと開いている。


 では、どうすればいいのか?

 その答えはまだ出せていない。

 たぶん考え続けるしかないんだと思う。

 もしかするとそれがコロナ終息後に一番大事なことになるのかもしれないから。

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