ようこそ、地獄へ
さあさあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい、傍観者の野次馬どもめ!
お前らの目には何が見えている?
原型を留めぬ鉄とアルミニウムと樹脂の塊と、原型を留めぬ血液と骨と残骸か?
その目にしかと焼き付けよ!
石の壁と人間と自動車のサンドウィッチを、わたしの目の前で殺された、わたしの大好きな人の死を。
ああ君は、原型を留めぬ人間、血と肉と骨のかたまりになって石の壁と鉄屑の間にいる。
わたしを見ていたアーモンド型のきれいな目はひどい衝撃で目を見開き、眼球が眼窩から零れそうだ。
わたしに触れたことは未だ無い薄くて柔らかい質感の口元は、たくさんの血と胃の内容物を吐き出しきって赤黒く染まっている。
君がわたしを庇ったせいで!
直接の被害を免れてしまったわたしは、野次馬どもを睨みつけるしかない。
苛烈な死の現場で腰を抜かしたわたしは、君が破壊され潰されていく様を目の前で見ていることしかできなかった。
何もできずにただ君が殺されていく様を見ていただけのわたしの、その涙を、絶叫を、耳をかっぽじってよく聞いているがいい、野次馬どもめ!
せめて、君の死が穏やかであることを、願えたらどれほど嬉しいか!
せめて、君の安らかな死に顔を見ることができたのならまだ心が楽だったのに!
限界まで見開かれた目は、血で染まった身体は、まるで地獄の鬼のようだった、君が地獄に落ちる必要など皆無なのに!
どれほど叫び喚き暴れまわりし尽せど、君の笑顔を思い出せない。
君はどんな顔でわたしを見ていたの?
どんなに頑張って、必死になって、君を思い出そうとしても、君の笑顔を思い出せない。
君の、本当に綺麗だったような気がするその顔はどこを見渡しても目に入らない。
大好きだったその顔の記憶は、鉄屑に潰された最期の顔の記憶に塗り替えられた。
人間って、こんなにも形が崩れてしまうらしいよ。
わたしも今知った。
自動車だって、こんなにも大破してしまうんだね。
わたしも今知った。
この光景をよく覚えておくんだ!野次馬どもめ!
そこのちびっ子よ。
今日の晩ごはん、食べられるかな?
そこの学生諸君。
今晩は夢で会えるといいな。
ああ、地獄のような光景だ。まさしくここは地獄に他ならぬ。
君が「死んだ」瞬間を見たわたしは、君が「生きていた」ことを証明できる最後の人間だ。
この地獄を背負う覚悟をしなければならない。
わたしの喉はもう声にならない叫びを絞り出すことしかできていない。それは地獄に落ちる亡者の声だ、そうに決まっているのだ、わたしはまだ死ねていないのに。
君のいない世界で、君がいなくなる瞬間の記憶を何度も何度も思い出しながら叫び続ける、そんな
「地獄へようこそ」
地獄の鬼のような様相を呈した君が、わたしを地獄にいざなった。
ああ、ああ。耳鳴りか、自分の声か、空耳か。んな訳あるか、野次馬の煩さよ。
わたしたちを見て悲鳴をあげる暇があるならば、誰かこの人を助けてよ!
誰か手伝ってよ!
散らばった肉を拾い集めてよ!
飛び散った血飛沫を掬ってよ!
この人、どんどん散らばっていっちゃうの!
わたしひとりじゃ掻き集められないの!
ねえどうして、どうしてこんな姿になってしまったの?
ぺしゃんこに潰れた胴体と飛び散った破片は、妙に明るい前衛芸術みたいになっていた。
わたしは君の体温をもっともっと感じていたかったのに。
手を繋いで口付けをして、そしてその先まで。
深く君のことを感じたかったのに。
それなのにわたしが知っている君の温もりは、
『ふたり視線を泳がせながら、ぎこちなく、やっとの思いでそっと繋いだ、わたしの右手の温もり。君の左手の温もり』
それで終わった。
多少の切り傷ならばわたしでも血を止められたが、潰れた肉塊から溢れる血飛沫を止めるには、それをもとの形に戻すには、わたしじゃ力不足なのだ。
この固いアスファルトの地面は流れる大量の血を吸収することすらしない。
誰かこの人を助けてよ。
助けられないなら、せめてわたしを助けてよ。
記憶というものはひどく残酷なものでして。
ひどく耳障りな車の急ブレーキの音に気付いた君が、自動車に乗り上げて、自動車のフロントガラスが割れて、ガラスの破片と血にまみれ君が滑り落ちて、石の壁と自動車に挟まれて、執拗なまでに破壊され続けたあの何百億年にも感じた立った一瞬の出来事のことが。そうつまり『君の死』の一部始終が!
まるでスローモーションのように!
鮮明に思い出されるの!
拳を堅く握り締める。手のひらに爪が食いこむ。唇を強く噛み締める。下唇が嚙み切られ新鮮な血の味を嗜む。固く目を閉じる。流していたことも忘れていた涙を押し出し吐き出す。
そうやって必死に身体を強ばらせても、どれだけ必死に脳みそに抗おうとしても、君を思い出すことをやめられない。
誰か、助けてよ、お願いだよ。お願いします。お願いします。お願いします、どうか、どうか。
助けてください。
散らばった肉片を拾い集めてください。
飛び散った血飛沫を掬ってください。
ああ、どうか。どうか。どうか。
助けてよ!
掠れた声で叫び続ける。
もうとっくに乾ききった涙腺から涙を絞り出す。
誰か助けてくれないか。時間を戻してくれないか。
ああ、ああ、知っているとも!
君は死んだってことくらい!
こんなことを思うのももう何度目だろうか。
君は死んだのだ。
そして君は最初に前衛芸術になった。
赤黒い色調の、無機物と有機物の中間になった。
次にゴシップになった。
殺したいくらい大勢の人間がひしめく大通りに突如現れた前衛芸術は、泣き喚き暴れ回るほどに心酔した評論家の姿とともに一過性の話題と噂になった。
次に君は形骸化した。
惨状を邪推する第三者が君を何度も品評し、誰が見たよりもずっと惨く哀れな作り話の原典になった。
そして君は、わたしが供えるだけの花となった。
もうだいぶ昔のことになってしまった。
君が死んだ場所にはいつだってわたしや君の家族が置いた花束が置いてあるが 、
もう『君』はわたしや君の家族の中にしか遺っていないのだ。
やがてわたしの中からも消えてしまうのだろうか?
いや、それだけはない。
だって、まだ、毎晩君が死んだ日の夢を見るのだから。それはあの日、地獄へ連れ去られた君のために、わたしが課せられた責務であり、ただ一つの褒美である。
君が「死んだ」瞬間を見たわたしは、君が「生きていた」ことを証明できる最後の人間だ。
君が「死んだ」瞬間を見たわたしは、君が「生きていた」ことを証明できる最後の人間だ。
君が「死んだ」瞬間を見たわたしは、君が「生きていた」ことを証明できる最後の人間だ。
君が「死んだ」瞬間を見たわたしは、君が「生きていた」ことを証明できる最後の人間だ。
君が決して帰ってこない世界で、君の残虐な死に様を何度も何度も思い出しながら。それでもなお君を愛することをやめられない。君への愛に呪われた、君という名の地獄に堕ちたわたしは、これからもこの地獄で生き続けるんだ。
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