『短編』8cmのピンヒールでかける恋

小夜華

チャットモンチー 8cmのピンヒールでかける恋

[夜景を見に行きたい、今日の夜]

おやすみって電話を切ってから一時間後に送ったメッセージだった。

いつも通り、先輩は今起きてないってわかって送った。

いつも通り、朝起きてから来た返事は[喜んで]だった。


仕事で少し遅れるという先輩を、授業終わりいつものカフェで待つことになった。

デートする時のお決まりの待ち合わせ場所。だけど、こんな遅い時間にここにいることは新鮮。

注文してから、外が暗いおかげでよく映る窓ガラスの自分をチラチラ何度も見た。

イヤリング、大丈夫可愛い。

ワンピース、大丈夫可愛い大人っぽい。

髪型、ちょっと巻きが取れかけてるけど、ゆるっとしてて逆に良い感じ。

そして普段履かないヒールの高いパンプス、最高に大人っぽくて良い。あとは歩く私の力量次第。

ちゃんと全部確認して、注文したカフェオレが届いてからメッセージを送る。

[いつものカフェで待ってるね]

[待たせてごめんね。変な人に付いて行っちゃだめだよ。]

[私もう大学生なんですけど?]

先輩はすぐ私を子供扱いする。

ううん、正しくは世話を焼きすぎる、かな。

いや、もっと正しく言うと、彼女を甘やかしすぎ。

完璧すぎるのだ。彼氏として。

私がどんなことを言っても、喜んでって全部叶えてしまう。

何がしたいもどこへ行きたいも、容易く行動に言葉にされてしまう。

私のことは全部わかるんだよって。

あまりにも完璧すぎてなんだかムカつくから、なぜか意地になってわがままを言い続けてしまう。

だけど、先輩は私のことまだまだわかってないって思う。

私は先輩が思ってるよりもっと大人だ。

毎晩送るわがままだって意地になって送ってはいるけど、本当はこんなこと言って呆れられないかなって朝までずっとそわそわしちゃうし。

待ってる間レポートを進めるつもりだったけど、やはりそわそわしてそれどころじゃなかった。

視界に映りがちな窓ガラスとスマフォのせい。

メッセージ受信のバイブ鳴った瞬間、飛び上がりはしなかったけど、きゅっと胸が締まる感覚がした。

[着いたよ]



「ごめんね、お待たせ。」

もう何度開けたかも分からないのに、変わったことは何もないのに、助手席のドアを開けた瞬間のいい匂いではっとなる。

なぜか車内に広がる先輩の香水の匂いを感じる度に、この人の彼女なんだって実感する。

スーツ姿の先輩は、仕事帰りに見えないくらい、疲れとか一切感じない穏やかな笑顔で迎えてくれた。

ああもう、ほんとに。

「そんなに待ってないよ、お疲れ様。」

好き。スーツかっこいい。最高。

何か話さないと、動かないと、気持ちが言葉になって漏れそうだから、急いで話して、急いでシートベルトを締める。あっぶない。この瞬間はいつもあっぶない。

「これから向かう場所、ちょっと遠いから寝ててもいいからね。…あ。」

運転し始める前、ふっと思い出したように自然に先輩の手が頭に触れた。

「今日ハイヒールだ、可愛いね。」

左手で頭を撫でてから、右手で私にアイスコーヒーの缶を渡す。

ぎゅっと心臓が縮んだ。

あまりにも自然に、缶を渡すついでみたいなあったかい手。

…いや、私にとってはこの手がメインで、先輩にとっては本当に缶を渡すついでなんだろうけど。

渡された缶は買ったばっかりなんだろう、逆にひんやり冷たい。

気持ちがあまりに漏れそうになると逆に動けなくなる。

「…いつも、いいのに。」

「またカップが可愛いからってカフェオレとか飲んでたんでしょ。全部わかるんだって。」

ほら、こう。こういうとこ!

可愛いって言葉を口にするのも、本当は甘い物があまり得意じゃない私への気遣いも、あまりに大人すぎてむかっとする。

私は言葉に漏れるのをこんなに抑えているのに。

自分を可愛いなんて思えないけど、今日はちょっと頑張っている。

少しでも、動揺してくれたらおあいこになるのに。

ハンドルを握って前を見る横顔にも、動揺なんて微塵もない。また私の負けだ。




スムーズな運転で予定より早く着いたのは、先輩が穴場だと言う公園。

私がハイヒールを履いているからって、歩き回らなくてもいいように夜景スポットの近くに車を停めてくれた。

瞬時にこうした気遣いができるところも本当にずるい。

遅い時間だし、穴場というだけあって静かな場所だった。

人混みが好きじゃない私の要望通り。またずるい。

「お望みの夜景だった?」

「…うん。」

完璧すぎる。悔しいって言いたいところだけど、本当に綺麗な夜景に言葉が何も出なくなった。

あまり目が良くないことは、私としては逆にちょうど良かった。

霞がかったような光が重なって幻想的に見える。

「夜景もいいけど、今日はこっちもいいかもね。」

そう言いながら先輩が見上げたのは、まんまるな月だった。

確かに満月は綺麗だった。けどそんなことより、月を見上げる先輩の横顔の方から目を離せなくなった。

いつでもにこやかな先輩の、月を見上げる目があまり笑っていなかったから。




私の一目惚れだった。

私が入学してすぐ、たまたま遊びに来たサークルのOB。

あ、この人好きって思ったらもう連絡先を聞いていた。二人で会いませんかってお誘いをしていた。

あの時の私はちょっとどうかしていたと思う。

だって普段の私だったら絶対できないような行動力だった。

それ程に自分の感情に突き動かされるのは、恋って力を借りていたからかもしれない。

あまり女の子らしくない格好ばかりしていた私がおしゃれするのも、好きな人に積極的になるのも、恋という不可抗力を言い訳に変身できるみたいで楽しかった。

今まで疎かった、周りの女の子が普通にしている恋愛というものに参加できたみたいで嬉しかった。

でも私は調子に乗っちゃった。

しかも、調子に乗った結果が許されてしまった。

恋を言い訳に大胆になれた私は、先輩に告白するまでに調子に乗った。

失恋することを前提に。

どこかで私は、ここで振られて、失恋って過程を踏んでみたかったんだと思う。

憧れの先輩に振られて友達に慰めて貰うっていう、女の子らしい恋愛のイベントを経験したかったんだと思う。

だけどあっさりと、当たり前のような顔で、俺もだよ付き合おっかと言われてしまった。

しまったと思った。急にはっとした。

———どうしよう、私彼氏なんていたことないんだけど。

どうやら私は片思いがしたかったらしい。

彼女ってどうしたらいいの?なんて質問、友達の誰も教えてくれなかった。

片思いが実ったと喜んでくれる友達の横で、本人である私はただ困っていた。悩んでいた。

恋という力を借りて調子に乗っていい範囲を越えてしまった、と思った。





「…先輩?」

「うん?」

声をかけても月から目を離さない先輩はやっぱりちょっといつもと違った。

だって、いつもだった絶対私の目を見て返事してくれる。

やっぱり。

今日の私は先輩に勝ちに来たのだ。

やっぱり、今日はチャンス。

「先輩。」

「どうした?」

やっぱりこっちは見ない。

「先輩は泣くの下手そうだから、私が代わりに泣いてあげるね。」

「え?」

やっとこちらを見る気配がしたけど、それより先に私はカバンを抱えてうずくまる。顔を伏せてぎゅっと目を閉じる。

「…えっなに、どうしたの?どっか痛い?」

こんな時まで私の心配ばっかり。

いつもいつも、私のことばかり。

だから私はいつも負けちゃうんだと気付いたのは、昨日。




彼女という立場にただ戸惑っていた。

戸惑う自分にも戸惑っていた。

好きな人と両思いってもっと嬉しいはずだよね?

こんなに不安しかないなんて、付き合っていけると思えない。

不安しかないから、そもそも本当に先輩のこと好きかも自信持てなくなってきた。

付き合い出したらなんか思ってた人と違くて別れたとか、よく聞くし。

だけど、先輩は普通と違うみたいだった。

あまりにもスマートすぎて。

困ってる時不安な時は、ちゃんと言うんだよって教えてくれる。

授業が難しいところは教えてくれる。

デートの場所も決められなかった私に提案してくれて、行きたい場所やしたいことを聞き出してくれる。

会うたびに褒めてくれる。

告白した日は目隠しされたまま放置されたみたいな気持ちだったけど、手を引いて誘導されるみたいに、自然に一緒にいられるようになった。

目隠しみたいな不安がなくなった時、もう私はすっかり先輩に甘やかされた彼女に成長していた。本当の本当に先輩のことが好きだって改めて思った。

悔しいと、なんかムカつくと怒ったのはそこからだ。

いつだって先輩は完璧すぎる。

私ばっかり甘やかされて、好きになってて、全部知られていて。

そんなわがまま聞けないよって言わせたくて。

なんでもできちゃう先輩の、できないとこも見つけてやりたくて。

躍起になって無茶なことをたくさん言っていたけど、昨日の夜先輩と電話していてやっと気付いたのだ。

先輩だって完璧じゃないこと。

私が、意地になって完璧じゃない先輩を知りたい理由。




先輩は私のことは全部わかるって言うけど、ほんとは知らないことだってあるのだ。

例えば、今日私がハイヒールを履いてきた理由。

例えば、今日夜景を見たいと言った理由。

例えば、今泣いたフリをしている理由。

「…あーわかった。泣き真似だよね?急にどうしたの。」

気付かれてもまだ蹲ったまま、

「先輩は完璧人間だから、泣きたくても泣けないんじゃないかなと思って。」

「別に完璧じゃないよ。泣きたいこともないはずだけど。」

「昨日電話でなんでもないように話してたけど、お仕事でミスしてもなんでもないようにしか言えないんじゃないかなって。」

「…大したことでもないよ。」

「落ち込んでる時は夜景見たくなるって前言ってたなぁー。」

「…。」

誰にとっても先輩は完璧な人間だと思っていた。

でも、そう思っているのは私だけって昨日気付いた。

完璧だと思っているのも、完璧じゃないところを知りたいのも、私が大事にされているからだ。

だから、私も大事にしたい。

「はい。」

すくっと立ち上がると、予想通り。

いつもは少し見上げている先輩の目線が、私と同じ目線にある。

目が合う位置がいつもと違うことに、我ながら照れる…けど、先輩が驚いた顔したからちょっと誇らしげな気持ちになる。

立ち上がったと同時にカバンから取り出して先輩に差し出したのはアイスココア缶。

落ち合う前に買ったから、先輩がくれたように冷えた缶ではなかったけど。

「綺麗な夜景と、好きな甘い物と、可愛い私で元気出して。」

可愛い私、なんて頑張ってふざけて言ってみてよかった。

月を見上げる先輩顔は珍しかったけど、ぽかんとする顔はもっと珍しい。

その顔が、段々にやりと笑う。

「気付いてたの?」

「いつもかっこつけて私とおそろいのコーヒー飲んでるの、わかってるんだから。」

勝ったなって思った。勝敗なんて本当はないけれど。

やっとやっと私の力で笑顔にできた。

最初から知っていた。本当は、先輩はけっこう可愛い。

私のためじゃない、初めて会った時に見たひとめぼれした時の飾らない笑顔だった。


きっとこれからも私はたくさん転んでしまう。そのたびに何度も先輩に手を引いて貰うと思う。何度も完璧な様を見ると思う。

でも先輩が転んだ時は、私だって私なりの方法で先輩の手を引いていこう。

本当の恋の力の使い方を教えて貰えたから。


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『短編』8cmのピンヒールでかける恋 小夜華 @soyoka517

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