オタクと陽キャの恋

岩田八千代

第1話

オタクと陽キャの恋


 二〇二〇年夏、この年の2月頃から新型コロナウィルスによる感染症が世界中に蔓延し、東京オリンピックは元より様々なイベントは中止になり、経済が停滞する事態になった。人々は政府から自粛を要請され、それは夏まで続いている。


『引き篭もるのも一種の才能だよね』

 幼馴染の美弥からラインが来ていたのを僕は読んだ。

『私には才能がないみたい』

 美弥は陽キャなので引き篭もりに苦労していることは付き合いの長い僕には容易に想像がつく。

『樹生は原稿でしょ』

 今年の春休みが延期されて、夏休みが短くなるだろうと言われていたがそんなことはなく延期され、長々と家にいる僕たちにできるのは家でできる趣味くらいだ。まあ僕はもともと引き篭もる才能があるわけだが。

『でも今年どっちにしたって夏コミはないんでしょ? その原稿いつ本にする気なの』

 陽キャが夏コミを知っているのは、単純に僕がオタクで同人作家だからだ。美弥のいいところはオタクのことを小馬鹿にしても馬鹿にしない点にある。

 ここで僕はようやくラインに返信する。

『本にできなくてもネットにあげることだってできるし』

『でも前は「紙にしたときの感動!」みたいなこと言ってなかった?』

『なんでそんなに俺の発言を覚えているの……』

『とにかく退屈~。樹生の家に行って漫画読みに行くこともしにくいし』

『まあな』

 昔から、美弥はうちの父親が集めていた漫画の蔵書を読んでいた。ブラックジャックも火の鳥も読んでいる、将来有望な非オタである。

『樹生も原稿ばっかしてないで、たまには散歩とかしなよ。運動不足になるといいアイディアも浮かばないだろうから』

『そうだな。ありがとな』

 確かに、最近まともに外歩いていない。散歩は良いと国も推奨している。ちょっと歩きに行こうかと、出掛ける支度をして外行きのTシャツに着替えた。


「あっちいな」

 エアコンの効いた部屋から一歩外に出ると、汗が滝のように噴き出した。もうTシャツの色が変わるぐらいだ。

 夏コミ以外で炎天下に外に出るなんて正気の沙汰ではない。せめてアイスを買いにコンビニに行こうと歩き出したが、数十メートル歩いただけで頭がクラクラしてきた。こんな熱々のアスファルトでぶっ倒れたら、こんがり焼かれてしまうだろう。

「樹生」

 聞き慣れた声に振り向くと、水色のワンピースに白いサンダル、栗色の髪の頭には白い帽子を被った美弥が立っていた。佇まいが涼やかで、彼女の周りの温度が数度低いのではないか、などと思う。

「偶然会っちゃったなら仕方ないよね」

「あ、ああ。そうだな」

「これからどこ行くの?」

「コンビニでも行こうかと思って」

「じゃあ私も行く」

 一緒に歩き出す。

「美弥、お前こんな暑い中出歩いていたのか?」

「だって家にいるの飽きたんだもん。『どうぶつの森』も楽しいけど、ずっとやってる集中力はない」

「まあな。楽しいけどな、『ぶつ森』」

 久しぶりに見た美弥の顔は思ったより明るく、楽しそうだ。ラインで鬱屈している様子だったが、ひとまず安心する。

「元気そうだな、美弥」

「そう?」

「お前が元気ないのは、なんか変な感じがするから安心する」

「ふふ」

 美弥が意味深に笑う。こいつが可愛いことをまざまざと実感させられる。

「あたしね、引き篭もっていてストレス溜まっていたけれど、今日言っちゃおうと思うんだ」

「何を?」

「樹生のこと好きだよ」

「はぁ?」

 僕は間抜けな声を出した。

「マジで?」

「マジで」

 美弥はからかっている様子ではなく、真剣に大きな瞳を僕に向けていた。

 僕は、美弥に好きな人がいるんだろうなあということは思っていた。時折恋する乙女の顔をしていたから。しかし、それが自分に向けられていたという事実にビビる。

「お前は陽キャが好きだと思っていた」

「確かに樹生は陽キャではないけれど」

「少しはフォローしてくれ」

「だってあたし嘘はつけないもん」

「正直が美徳とは限らないぞ」

「うるせえ」

 口悪く、美弥が俺の脇をつつく。

「わー、ソーシャルディスタンシング! ソーシャルディスタンシング!」

「あたしは、陽キャでもないオタクだけれど樹生のことが好きなの」

「そりゃどうも」

「……それってオーケーってことなの?」

「それはちょっと待ってくれ。心の準備がなんにも整っていない」

「…………」

 少し不満そうに膨れた頬も可愛い。

「分かった。返事くれるまで待ってるから」

「おう」

 僕たちはアイスを買って別れた。


 自粛生活というのは、避ける気になればいくらでも相手を避けられる。会おうと思ってもなかなかリアルでは会えないのが今年の風潮だ。

 逆に言えば、テレビ電話など、顔を見たければ物理的距離があっても見られる。リア充の友達は、「顔を見ているのに触れられないのがもどかしい」とか言ってたっけ。

 美弥と付き合うのは楽しそうだと思う。あいつ明るいし。でもあいつは陰キャの僕と付き合って何が楽しいのかななどと思う。そんなことをウジウジ考えるのが陰キャの証拠かもしれないが。


『美弥は僕が同人作家でキモくないの』

 僕はずっと気になっていた疑問をぶつけてみた。

 三十分くらい後に既読がついて、

『いや、別に。ハードなエロ描いているわけでもないみたいだし』

『僕の描いているもの把握するのやめて』

『バレたくないならもっと本を隠して収納してよ、見ちゃうじゃない』

 以前はそうだったが、最近はそうでもないことは言わないでおこう。

『別に趣味があることは悪いとは思わないし』

 美弥からのメッセージが続く。

『たまに構ってくれるなら全然平気』

『へえ』

 それくらいしか言えなくて、返信する。美弥ってこんな素直な子だったか? 美弥のことが分からなくなる。

 僕は美弥のことは嫌いじゃない。一緒にいて居心地がいいし、オタクをいじったりしてこない。でも、じゃあ人を好きになるってどういうことだろう? どこからが親愛から恋愛に変わるのだろう。同人誌の中でいくつも恋愛を描いてきたが、僕には分からない。想像だといくらでもどうにでもなる。でも、今はディスプレイの向こうの美弥の本心が見えないと思ってしまう。

 美弥からメッセージが届く。

『樹生は他に好きな子いるの?』

『涼宮ハルヒは好きだ』

『そうじゃなくて』

 オイオイ、という猫のスタンプが送られた。

 僕は今の迷いを素直に伝えていいものか分からない。やっと絞り出せた言葉が、

『いないよ』

 の一言だった。

『そっか』

 今日の美弥のラインは言葉少なめだ。いつもは可愛い絵文字を駆使していろいろ送ってくるのに。

『じゃ、おやすみ』

『おやすみなさい』



「お前、そりゃ美弥ちゃんに惚れてるんだろ。さっさと返事してしまえこのリア充が」

 同人仲間の里中くんが僕の話をきいて即断でそう言い放った。

「他人事だと思って適当に答えてない?」

「二次元の恋に思い悩むなら真剣に悩むけど、人の恋路なんてそんなに興味ねえよ」

 里中くんはオタクだけど、バッサリしていて男らしい。惚れ惚れする。

 今日は里中くんとの合同誌の話し合いのために通話アプリで会話しているのだが、内容は僕の恋愛相談になっている。話を持ち出した僕が悪いが。

「でも美弥ちゃんって、あのギャルの子だよな?」

「そうだけど」

「話聞いてると、なんかしおらしくて大人しい子みたいに聞こえるけどな」

「…………」

 僕は考えた。美弥は、普段は陽気なのに僕に相対するときは大人しい子みたいに見える。

「それだけお前に惚れてるってことだろ? あーリア充はやだやだ」

「リア充じゃねえよ」

 僕らみたいな年季の入った陰キャは(小学生からオタクだ)リア充と呼ばれることに謎の抵抗感がある。別に陰キャが誇れることではないのだが、妙に居心地よくなってしまっている感は否めない。良くない傾向である。

「別に、彼女いたら同人誌作っちゃいけないとかないわけだし。何をそんなに躊躇う必要がある?」

「躊躇ってるのかな、僕」

「躊躇ってるね。幸せになることに抵抗しているぐらいに見える」

「……そうかな」

「そうだよ」

 幸せは怖い。経験したことがないことは恐怖の対象だ。

「来年ぐらいには新コロナも終息しているだろ、それまでにデートできるようになるといいな」

 里中くんは付き合うこと前提に話しているが、僕はただ頷くことしかできなかった。


「樹生と通話って久しぶりだね」

 美弥の声は心なしか弾んでいる。僕なんかと話すことが嬉しいらしい。

「あのさ、この間の返事なんだけど」

「うん」

「僕、陰キャだし、付き合うとかどうしたらいいか分からないんだけど」

「うん」

「僕の気持ちがゆっくり美弥に向かっていくの、ゆっくり待っててくれると嬉しい」

「少なくとも?」

「嫌いではない」

「そっか、それなら良かった。嫌われてたら悲しいから」

 美弥はいじらしい。

「早くデートしたいね」

「デート?」

「一緒に出掛けたいよ。渋谷でもいいし、コミケでもいい」

「お前懐が広いな」

「樹生のこと惚れてるんだよ? それくらいなんでもないよ」

 今日も僕たちは家から出られない。早く外を自由に歩きたいという思いを秘めて自宅待機する。


おしまい

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オタクと陽キャの恋 岩田八千代 @ulalume3939

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