軍神覚醒

 せり上がる街に右往左往するユウガ神社。

 雲をまとった怪物はこの街の異変に気づいて後退した。


 この時、俺は知らなかったが街の底から象やサイのような、寸胴な足が生えジャッキと同じ理屈で街を押し上げていた。


 顔を上げたイノリアが歌を黄金の大空へ響かせると、彼女の動作に合わせて街の崖下から、巨木のような物体が生え視界を遮る。

 伝説の竜が滝を登っているようだ。

 今まで以上の激しい揺れ。

 視界のブレが止まらない。


 次第に巨木は膨らみ山となり、山の頭頂部は雲へ飲み込まれて黄金の空を貫いた。


 俺の頭がおかしくなったのか、世界がおかしいのか判別出来ない。

 歌を響かせるイノリアを見た。


 凛然と歌う少女が天命を受け入れるように両手を突き出すと、それに合わせて壁の役割を果たした巨大なヒレは、大地を持ち上げるように角度を上げ静止。

 境内よりも足元にあったヒレは山なのか幹なのか解らない物体に連なって、神社の目線の位置に来ている。

 煙を噴射して萎んでいく代わりにヒレの中に隠れていたであろう、五本の指が現れた。


 歌うイノリアが閉じたまぶたを開くと、声量が一段階上がった気がした。

 それに続いて脳天を叩かれるようなプレッシャーを感じ、空気が突然重くのしかかる。

 見上げると山の頂上が段々と傾き始め、お辞儀するようにもたげて、鎌首を形作ろうとしていた。


 崩落、落盤、落月、全ての言葉が当てはまるが、とかく浮島が落下しているように見え、このまま落ちるという寸前で止まり、震動の余波が境内に伝う。


 ワニのように突き出た口を震わせ唇が上下に開くと、獰猛さを感じさせる牙が剥き出しになる。

 噛み合わさる三角に尖った牙の隙間からトロンボーンのような重低音が聞こえ、牙の隙間へ雲がバキュームのように吸い込まれる。

 次第に巨獣の顎がアコーディオンのように膨らみ、船底のような形にまで膨張。

 それだけじゃなく図体が一回り大きく膨らんだ。


 ぐらつく石畳に踏ん張りながら俺は、イノリアへ視線を移した。

 歌に合わせて巨漢を見せた街は、彼女の歌に操られているように見えた。

 

 イノリアは街と心が通じてるのか?

 バカな考えだけどハッキリ理解できるくらい、イノリアの身振りと街の変形が揃う。


 山の山頂は前傾に突き出し、悪魔の陰へより攻撃的な姿勢を見せた。

 崖のように目の前を覆う体表は、お伽噺で聞かされた青空と同じ透き通るような水色。

 

 頭の先は太陽の光に当てられハレーションを見せた。

 とても神々しく神秘の力を感じる。

 青空の表皮には白や灰色、クリーム色の列島が斑に浮かび、まるで悠然と漂う雲のようだった。

 けど、全体的な形を見るとそれは雲なんて悠長な絵面じゃなく、殺伐とした迷彩柄だ。


 せわしない騒音と共に聞こえる、岩同士がひしめき合う物音が、耳を不快感にさせる。

 最初はどこから聞こえるのか解らず、空間が擦り合わさる音のように聞こえたが、それは違う。

 街獣の関節が曲がる時に発せられる音、骨の擦り合わさる音だと解った。

 

 神社の揺れが次第に静まって行き、しばらく続いた街の変形が、終わりへ向かっていたのが感じられた。

 視界を支配する巨獣の姿は、小さい頃から昔話や紙芝居で聞かされていた、架空の動物に似ていた。

 

 ヒゲクジラという生き物だ。

 巨大だがとても温厚で穏やかな性格の動物。

 そう聞かされていた。


 イノリアが両手を翼のように広げ声量が増すと、彼女の歌声は神社の鳥居をくぐり抜けて数十キロの高さまで高く舞い上がり、山のように大きなヒゲクジラの耳元へ届くと、巨獣が開眼。


 人間から見れば目玉は波一つ立たない広大な璃色に輝く湖のようだが、街獣の顔の比率で考えれば、つぶらな黒真珠のように小さい。


 地響きが聞こえ天と地が引き裂かれるように巨大な口が開くと、"ソレ"は吠える。


《グゥオオオオォォォォォォン!!》


 けたたましい叫びに俺は耳を塞ぎ、全身が伝播した空気圧でバラバラにされそうだ。


 この世界のすべての生き物、すべての種族の鳴き声、遠吠えを合わせたような異様な鳴き声。

 大気を激しく振動させて空間を窓ガラスのように割ってしまいそうなほど、強烈な雄叫びだ。


 どこが温厚な生き物だ。

 猛獣なんて比じゃないほど凶暴じゃねぇか?


 さっきまで母親の腕でギャンギャン泣いていた赤子が泣き止み、放心状態でヒゲクジラの巨体を小さな瞳で見つめている。

 泣く子も黙らせる圧倒的な存在感。

 

 これが……これが【街獣ユウガ】なのか?

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