第8話 閑話――柊冬樹という男は

 ――また柊くんの中で何か大事なものが欠ける。


 校舎の4階にある自分の教室。一番高くから見下ろせる場所で、校庭に弾き出された柊くんを見ながらそんなことを思う。


 ここからでも感じられる彼らのただならぬ雰囲気に、クラスメイトも窓に張り付いて見ている。そしてそれを感じながら、我関せずというようにふらっと窓際を見る。


 いつだって私はそう。柊くんが傷ついている姿を安全なところから眺めている。もう何度目の光景だろう。


 私は最低な女だ。


 彼を救えるはずなのに、救えるのに、またこうして傍観ぼうかんを決め込む。無関心をよそおう。


 今度こそ柊くんは壊れてしまう。もうこれ以上は耐えられない。


 そんなことを思っていても、彼は結局耐えてしまう。人格が壊れることはもちろん、彼の信念が砕け散ることさえない。


 困っている人がいれば助けてしまう。どれだけ自分を殺してでも、助けてしまう。


 彼の中では他人はみんな善人。悪人は彼ただ1人。


 善人は助けなければならない。悪人の自分は傷ついても仕方がない。


 そんなまっすぐで、ゆがんだ考えに、しかし私はどうしようもなくかれてしまう。


 ――恋、なのだと思う。


 きっと私は、柊冬樹という男に恋をしている。


 ずっと一緒に居たいと思うし、彼が他の女子と仲良く話しているところを想像すると苛立ちを覚える。


 それでも、柊くんを想うのと同じように、柊くんに憧れている自分もいる。これは事実だ。


 どこまでも人を助けることのできる彼を、他人の善性を信じられる彼を。


 だから毎回このようなことが起こると、どうしても気になってしまう。確かめたくなる。


 柊くんがこのような仕打ちを受けてもなお、他人のことを思いやることができるのか。できてしまうのか。


「……やっぱり柊くんはかっこいいな」


 血を吐きながら、鬱憤うっぷんの晴らし口とされながら、何も言わずに顔を腫らす柊くんは。


 あんなことはきっと誰にもできない。私にはきっとできない。いや、絶対にできない。


 私は柊くんの思っているような誇り高い聖人ではないのだ。どこまでも低俗な人間の一員なのだ。


 実際に君子くんしのような、俗世と交わらない特別な人間は私ではなく彼だ。


 私と彼では交わりようがないのだ。釣り合いがとれないのだ。


 ――どうせ今頃、仕方ないとか思ってるんだろうなぁ。変に達成感や自己満足に浸ることもなく、ただ痛みや辛さだけを背負って。自分は何が悪かったのか反省しているんだ。他人は悪くないなら、悪いのは自分ということになるから。


 でも、柊くんはそんなことを思えても、私には無理だ。人がみんな良い人間なんて、善い人間なんて、そんなことあるはずがない。


 善意で近付いて来ているように見せている子だって、結局は悪意の塊だ。


 第一、善い人間なんてこの世に1人しかいない。柊冬樹という男しか。


「じゃあそろそろ、この茶番にも決着をつけようか」


 ーー柊くんは許しても、私は絶対に許さない。

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