5章(7)

 こうして、嵐は去った。

 村を襲ったのは、フィレンツェ政府が派遣した傭兵団だった。監督者だったマキャベリは、一部の傭兵が暴走して虐殺や略奪に走ったことを謝罪した。その一方で、村人から激しい抵抗があったために、それに対応せざるを得なかったとも語った。


 村は壊滅的な打撃を受けた。復興にどれくらいの時間が必要なのか、見当もつかない。それにしても、村人たちは、自分たちが大きな計画の駒になっていることを知っていたのだろうか? 


 僕たちがマキャベリと交渉しているとき、修道院が傭兵団の別動隊によって襲撃を受けていた。それを退しりぞけたのは、暴力嫌いを公言する遊馬だ。先頭に立って迎え撃ち、剣を振るって次々に相手を斬り伏せたという。襲撃者十人は全滅。社員にも二名の犠牲が出た。


かくまった男を敵に引き渡す? それはナシですよ!」


 僕の決断に対して、匠司が予想した通りの反応があった。

 バスティアーノへの義理というより、剣の師匠であるジョバンニが殺害されたことに強いいきどおりを覚えたようだ。それでも、彼らが立てていたクーデター計画について話すと、渋々ながら決定を受け入れた。


 不幸中の幸いだったのは、朽木さんが生きていたことだ。

 バスティアーノの館が襲撃された際、ワインを届けに行っていた朽木さんたちも巻き込まれた。同行していた社員二人は、なだれこんできた兵士によって命を奪われた。朽木さんは、ジョバンニを目撃したという。複数人を相手取って奮戦し、三方向から槍に貫かれて絶命。壮絶な闘死だった。

 朽木さんも無傷ではいられなかった。

 傭兵に槍に突かれて傷を負っていた。

 穂先で右肩の肉がえぐられ、痛々しかったが、消毒液で清潔にしたあとは、すぐに血が止まった。命に関わる怪我ではなさそうで安心した。


 × × × ×


 翌朝、ピエロ・デ・メディチを輸送するため、僕と弓鳴は村を離れた。

 二十人の社員が同行し、六十人の傭兵が前後を固め、物々しい行列になった。

 マキャベリは馬を連れていたが、僕たちに合わせて歩いていた。

 かなりの話好きらしく、ずっと喋り続けている。

 バスティアーノや村人を死に至らしめた張本人だというのに、あまり憎しみが湧かなかった。今回の襲撃がフィレンツェ国内の権力争いだとすれば、どちらが正義というわけでもない。逆に、マキャベリに捕捉される前にバスティアーノが挙兵を宣言したとして、僕たちが素直にそれに従ったかどうか――


 ひとつ、マキャベリに確認しなければならないことがあった。


「あの人は、これからどうなります?」


 ピエロは、馬に乗せられて、ぶつぶつと口の中で何かをつぶやいていた。疲労のせいか、恐怖のせいか、顔から感情が消失して、強い虚脱感を漂わせている。


「ご存じだろうが、我らが政府は現在、ひとりの僧侶の強い影響下にある」


 ジロラモ・サヴォナローラ。

 サン・マルコ修道院の院長にして、預言者。


「あの導師様は、こうしたいだろうね」


 マキャベリは首に縄をかける仕草をした。

 ぐえっとおどけた死に顔を作ってから、続ける。


「共和制の継続を求めるサヴォナローラにとって、君主であろうとするメディチ家は邪魔だ。ただ、市民もいろいろでね。いまだにメディチを支持する人も少なくない。サヴォナローラは、メディチ支持派の巻き返しを恐れているのさ」


「あなたは、どちらを支持しているんです?」


「人間としては、サヴォナローラの方が好意を持てるね。彼の説教を何度も聞いたが、実に純粋な精神の持ち主だ。それは間違いない。ただ、指導者としてどうなのかをよくよく考えると、実はピエロと似た者同士ではないかと思う」


「メディチ家は専制的な支配体制を敷いたのでしょう? サヴォナローラは、市民に政治参加の機会を増やして共和制をよみがえらせたと聞きましたが……」


「表面的には、そうさ。しかし彼の一言は強い影響力を持つ。決して平等ではない。そして彼は、預言を根拠として意見を言う。それは、。その声を聞くことができるのは自分だけなのだから――」


「……なるほど」


 実質的にサヴォナローラが市政を掌握できる、というわけだ。


「ローマの教皇聖下がお怒りになる理由も、根っこはさ。それは本来、地上で唯一自分だけに許された権利なのだからね」


 無言で歩いていた弓鳴が、そこで話に入ってきた。


「ピエロは、生かしておけばその教皇領ローマに対して有効な外交カードになるのでは?」


 マキャベリはまじまじと弓鳴を見つめた。


「その通りです。あなたは美しいだけでなく、優れた頭脳をお持ちのようだ。教皇領ローマには、若くして枢機卿すうききょうになった彼の実弟がおりますからね。ピエロのことがご心配なら、フィレンツェまで面会にいらっしゃい。私がご案内いたします」


 熱っぽい口調で言い、馴れ馴れしく弓鳴の肩に手を置く。


「行きません」


 弓鳴がニコッと笑い、マキャベリの手を払った。

 マキャベリが、なぜ……と落胆を露わにする。

 悲惨なことが続いた後だったが、思わず笑い声が出た。


 先に知らせがいっていたらしい。

 フィレンツェの広場や道端に市民が集まり、マキャベリを英雄のように出迎えた。

 昼間なのにあちこちで火が焚かれ、まるで街中が燃えているようだった。祝砲や楽士の奏でる音楽が途切れることなく聞こえてくる。

 市民たちは、子どもも大人も、大声でピエロをののしった。投石する者もいた。

 ひとりの人間に対する増悪が膨れ上がる様をの当たりにし、毒気に酔ったのか、気分が悪くなった。

 その日はマキャベリが用意した市内の宿で一泊して、翌日の朝早くに街を発った。


 村に着くと、朽木さんがもう農作業の現場に戻っていた。

 どれだけ土いじりが好きなのかと呆れたが、重症ではないことに安堵した。

 異変が現れたのは、その夜のことだ。

 朽木さんが高熱を発し、まともに体を動かせなくなった。

 手や足が痺れているという。

 弓鳴が沈痛ちんつうな面持ちで言った。


「破傷風だと思う……」


 破傷風菌が傷口から体内に入って起こる病気で、増殖した毒素が筋肉を痙攣けいれんさせ、やがて肺などにも広がって、呼吸ができなくなるらしい。二十一世紀でも、稀なケースながら人間が感染することがあり、きちんと治療を受けないと命に関わるという。

 朽木さんの部下が、つきっきりで看病した。

 杉田有香すぎた ゆかという三十代半ばの女性で、初めて会ったとき、細い瞳と肌の白さに、浮世絵に描かれる美人のようだと思ったのを覚えている。


「あの二人、特別な関係なんですよ」


 農作業の報告をしにきた弓鳴が、ぽつりぽつりと話してくれた。

 朽木さんには妻子がいるが、別居し、杉田と同棲していたという。

 籍は残したままで同棲、相手は部下――ということは。


「それ、社内不倫……だね」


 明確な『社律』違反だ。


「詳しくは知らないけど、朽木さん、奥さんとお子さんと、いろいろあったみたいです」


 会社で見せる顔は、その人のごく一部。

 頭では分かっているつもりでいたが、いざ直面すると、イメージのギャップに混乱する。


「あの朽木さんがねえ……」


「杉田さん、弱っていくのを見るのはつらいだろうな」


 そういえば、弓鳴も祖父の介護をしていると言っていた。


「失礼します……」


 そんな話をしている最中に杉田本人が来たから、慌てた。


「ちょうどご一緒で良かった。朽木さんが、お二人にお話したいことがあるそうです」

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