4章(2)

 長い列に並び、通行税とワインの関税を払ってから、門を通過した。

 一歩足を踏み入れたら、そこは大都市――

 というわけではなく、建物はまばらで、その隙間を菜園や樹木が埋めている。

 

「見てください、あんな小さな子が……」


 遊馬の視線の先には、ボロボロの服を着た子どもがいた。

 物乞いだろうか。何をするでもなく、壁を背に座り込んでほうけている。

 髪が伸び放題で、性別も分からない。

 門の周辺には、似た格好の子どもたちが溢れていた。

 チラホラと大人の姿も見かけた。


「遊馬、かわいそうだけど、あんまり見ないで。トラブルになるかも」


 弓鳴にたしなめられて、遊馬が目を伏せる。

 

「悪い。ウチの子のこと、思い出しちゃって」


 驚いて、思わず口を挟んだ。


「遊馬、子持ちなの? というか、結婚してたのか」


「ええ、三才の男の子ですけど――待ってください、そんなに意外?」


 遊馬が傷ついた顔をする。

 弓鳴が小さな声を立てて笑った。


「遊馬は、同期で唯一の既婚子持ちなんですよ。ぜんぜん見えないでしょ?」


「まあ……所帯持ちの感じはしなかったね」


「ひでえなー、父性の塊でしょうが」


 遊馬が自分の顔を指して抗議する。

 農夫カルロが馬上で振り返り、唇の前で指を立てた。


「静かにね。ただでさえ、あんたらは目立つから」


 自分の体を見下ろして、不安になった。

 服装は、それなりに馴染なじんでいる自信がある。

 男性は、七分丈の麻の上着とズボン。

 上着の裾が長いので、腰に紐を巻いて絞っている。

 女性は長袖の肌着の上に、袖がなく丈の長いチュニック。

 足元は全員、自社製の革靴だ。

 ただ、人種的な顔の特徴は隠しようがない。

 実は、先ほどから通行人の視線を感じている。


 僕は護身用に腰から提げている剣の位置を確かめた。

 ヴァル・ディ・トッリでは、定期的に武器を扱う訓練が行われ、義務として僕たちも参加した。僕はそれを『研修』と名づけた。

 指南役はジョバンニだ。以前、有名な傭兵団にいたという。

 そのおかげで、自由自在とは言えないまでも、重い鉄の剣を振れるようになった。


 ジョバンニが筋の良さを誉めた社員が二人いる。

 剣は遊馬。

 恵まれた体格を活かして、鉄の剣を軽々と扱う。素人目にも、間合いの取り方が上手うまい。一対一の摸擬戦闘では、剣にこだわらずに足払いや柔道の投げ技のようなものまで駆使して、無双の強さを発揮した。

 銃は弓鳴だ。

 弓鳴は、素早く火縄銃を撃つことにけているだけでなく、集団で銃を扱う訓練を提案し、実際に隊を指揮してみせ、ジョバンニをうならせた。

 人間、どんな適性があるのか分からないものだ。

 いまは、研修で学んだ技術を使う機会がないことを祈りたいが……。


 徐々に建物が密集してきたと思っていたら、大きな川に出た。

 一瞬、壁の外に出たのかと思い、混乱した。


「弓鳴、この川って――」


「アルノ川ですよ。川が市壁の内側を東西に流れているんです」


 弓鳴が指で川の上流を示した。

 壁が川幅に合わせて途切れている。


「なんというか……、わりと街の中に入っても長閑のどかだね」


「橋を渡ると、雰囲気がだいぶ変わると思います」

 

 弓鳴は、小声で解説しつつ、落ち着きなく大きな目をあちこちに向けている。

 この街の風景を、ひとつも視界から漏らしたくないのだろう。


 石造りの橋に差し掛かった。

 通路の両側に木造の建物が並んでいる。僧侶らしき格好の人がやたらに目についた。建物と建物の隙間から川岸が見える。細長い船が停泊し、上半身裸の男たちが騒がしい声を上げながら荷を積み込んでいる。貿易の街らしい活気があった。

 川に沿って鍛冶屋かじや工場こうばが軒を連ね、職人が表で金槌の音を響かせている。

 匠司がその光景を興味深そうに眺めていた。


 橋を渡ると、建物の密集度合いがグンと高まった。

 街の色は、全体的にくすんでいる。

 淡い赤色の瓦屋根かわらやね、石積みに組み込まれた茶色の木材、塗った漆喰しっくいせてクリーム色になった壁。

 窓は木の鎧戸よろいどか、薄い布張りで、ガラスは見かけない。


「ガラスって、まだそんなに普及してないんだな」


 半ば独り言だったが、弓鳴が興奮した口調でそれを拾った。


「ガラス自体はもうそんなに珍しいものではなくて、食器とか、窓としても教会には使われているはずです。庶民の家に採用するには、ちょっとまだ贅沢なんですかね、きっと。でもあれ、見てください。リネンとか木綿を油に通して遮光性を高めた、布張り窓フィネストレ・インパンテーナです。きれい……!」


 僕は観念して、自分が観光客になったつもりで押しかけガイドの話を聞いた。

 確かに、家によって布の色や模様が違っていて、眺めているだけでも面白い。

 建物同士の距離が近く、上階からせり出したひさしが陽の光をさえぎり、あたりは薄暗かった。道は狭く、ほとんど未舗装だ。至る所から糞尿の臭いが立ち上っているのには閉口した。

 徐々に小売店が目につき始めた。

 衣服、雑貨、宝飾、食料――

 建物の一階部分を店舗にしているのだが、壁も戸もないオープンな店構えで、主人が各々おのおの作業にいそしんでいるのが見えた。

 通行人が多く、騾馬が引く荷車とはぐれないようについていくのがやっとだ。

 それにしても――


「若者が多いね」


十五世紀クワトロチェントのトスカーナは、人口の四十四パーセントが十九歳以下なんですよ」


「えっ、じゃあ、三十代後半は……?」


 弓鳴が悪戯っぽい笑みを作った。


「少し後の時代に活躍する彫刻家のミケランジェロは、四十二歳のときに自分のことを『老人』って言ってますよ。かなり個人差があるとは思いますが」


 四十で老人とは……。

 突然視界が開けて、賑やかな市場に出た。

 屋台が立ち並び、陽気な声が飛び交っている。肉、野菜はもちろん、食器、織物など売り物は多彩だ。馬、牛、鳥、羊など家畜が生きたままで売られている。

 その外周部分を歩いているだけで、久しぶりに人波に酔った。


「ここ――旧市場メルカート・ヴェッキオですね……!」


「これだけいろいろ売ってるなら、コーヒー豆もあるんじゃないか?」


「言うと思った。アラビアでは飲まれているはずですから、珍品で入ってきている可能性はありますが……」


「おーい、買い物は後にしてくれ。こっちだ」


 カルロが市場に面した大きな建物で騾馬を止めた。

 ここが、最初の目的地である葡萄酒商組合の本部らしい。

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