【4章】独裁は才能

4章(1)

 見えたぞ、と遊馬あすまが叫んだ。

 

 オリーヴ畑の丘の向こうに、壁に囲まれた街があった。

 壁のところどころに大きな門と高い塔がそびえ、強固な要塞を思わせる。

 ひしめきあう建物が、壁の高さを越えて空へと伸びていた。

 フィレンツェ。

 共和国の首都にして、イタリア半島の文化芸術の中心、貿易の一大拠点。


「都会やん……」


 晴川はれかわが、うっとりとつぶやいた。

 このところ、僕たちの行動範囲は、住居の修道院と村、畑、それに狩猟で入る森に限られていた。ここまでの道のりも、丘、糸杉と樫の木、葡萄畑、オリーヴ畑など単調な景色の繰り返しだったから、大きな人工物が集合している風景を見て、気分が高揚した。部下たちの日に焼けた顔にも、笑みが浮かんでいる。


「ついに、来たぁ……」


 つぶやいた弓鳴ゆみなの目がうるんでいる。

 思い入れが強い分、感動も一入ひとしおだろう。

 興奮が抑えられなかったのか、道々、フィレンツェについて聞いていないことまで教えてくれた。


 この時代のイタリア半島は都市国家コムーネが覇権を争う戦国時代で、フィレンツェ共和国は、ミラノ公国、ナポリ王国、教皇領、ヴェネツィア共和国などと並ぶ強国のひとつだ。首都の人口は、六万から八万ほど。共和制をうたいながら、メディチ家という富豪の一族が世襲で支配していたが、二年前に当主のピエロ・デ・メディチが失政を行って追放され、現在は文字通りの共和制が戻っているという。


「あんまりキョロキョロするなよ。田舎者丸出しだぞ」


 釘を刺す匠司しょうじに、遊馬がわずらわしそうにハイハイと応じる。


「おまえのメガネの方が目立つんじゃねーの?」


「……人が多くなったら、外す」


 珍しく、遊馬が一本取った形になった。


 いまは一四九六年の八月。

 僕たちがこの時代に来てから、九ヶ月が過ぎた。

 その間、病気や衰弱で六人の社員が他界し、社員数は、百三十四人にまで減少している。

 このペースで、あと二年と九ヶ月を生き延びられるのか? 

 今回の旅の目的は、二十一世紀に戻るための最重要ポイント、サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会の視察だ。


 きっかけは、村の領主バスティアーノからの依頼だった。

 村の代表者がフィレンツェにワインを売りに行くのを手伝って欲しいというのだ。それは契約にない仕事で、断ることもできたが、フィレンツェに行く機会を逃したくなかった。バスティアーノは、案内すると言えば僕たちが無償奉仕に応じると踏んだのだろう。実に巧妙な搾取さくしゅ。彼には、ブラック企業の経営者になる素質がある。


 八月、ヴァル・ディ・トッリでは、休閑地きゅうかんち犂耕りこうや羊毛の刈り取りのほか、人数をかけて家畜の飼料となる干し草刈りが行われていた。

 葡萄摘みは例年九月頃に始まり、そこからワインのシーズンに入るらしい。

 なぜ八月のいま出荷するのかといえば、保存技術が発展途上で、いまでいう賞味期限が一年程度しかないからだ。収穫期が近づくと、古くなったワインはまとめて安く売られた。


 茶色の騾馬らばが引く荷車に、ワインが入った樽が五つとかめがひとつ。どの容器にも、赤ワインがたっぷり入っている。かなりの重量があり、上り坂では文字通り馬力が足りなくなるので、みんなで荷車に取り付き、声を掛けあって押した。

 騾馬には、農夫の少年カルロが乗っている。

 貫録を出したいのか似合わない髭を生やしているが、まだ十六歳だ。

 垂れ目ぎみで、雰囲気が優しい。


 カルロ以外は、みんな徒歩だ。

 僕の足の傷はすっかりえていたが、街道が河川付近の平地ではなく丘陵きゅうりょう伝いに伸びているせいで何度も上り下りをしなくてはならず、クタクタになった。

 なぜ平地に道を作らないのか?

 カルロに聞くと、川の近くの湿地帯に虫が湧き、病気が流行るからと答えた。

 弓鳴はそれを聞いて、ああマラリアね、と納得していた。


 フィレンツェの市壁が見えてからも、門までは少し時間がかかった。

 村を出て四時間弱、バスティアーノから『朝に出れば昼に着く』と聞いて予想していた通りの所要時間だ。 

 晴川がリネンのタオルで首回りの汗を拭った。

 この八ヶ月間、食生活は質素だったのに、彼女は立派な横幅をキープしている。


「なんやろね、このアホみたいな暑さ。……この地形に見覚えがあるんやけど、ウチだけ?」


 僕はあたりをぐるっと見渡した。

 盆地で、山や丘が街の近くにまで迫っている。


「熱がこもりそうな地形だな……」


「夏のフィレンツェは、自然のオーブンっていうんですよ」


 弓鳴の説明に、晴川は連想するものがあったらしい。


「あ――分かった。京都やん」


「フィレンツェ人は、他の都市の人から、ケチで親しみにくくて、自信過剰って言われてたんだって」


「京都やん」


「君たち、冗談でもやめなさい。祭門さいもんさんに怒られるからね」


 建築関連で活躍している企画局の祭門さんは、京都の出身だった。


 街の南東にあるサン・ミニアートという門に向かう。

 街を囲む壁は、十メートルから十二メートルくらいで、それほど高くはない。

 オフィスビルなら、三、四階程度の高さだ。

 ただ、門は大きい。

 優に壁の三倍、十階建てのマンションに相当する存在感がある。

 どんな街なんだろう――

 さほど歴史に興味のなかった僕も、期待が高まった。

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