3章(7)
丘の中腹に連絡会のメンバーを呼んで打ち合わせをした。
机も椅子もない、立ち話だ。
弓鳴はすっぴんで、眉毛がほとんどなくなっていた。
思わずまじまじと見てしまい、弓鳴と目が合った。
しまった、と思ったときには遅かった。
「何か、私の顔に、ついてます?」
ゆっくりで、
昨晩、少し親しくなったと思ったが、また逆戻りしたようだ。
「いや……昨日とちょっと雰囲気が違うと思って」
「たとえば?」
「眉毛とか――」
「タイムトラベルしたら、眉毛の一本や二本、消えてなくなりますよね? ね?」
「あっ、はい……」
助けを求めて視線を巡らせると、他の三人が手でバツを作っていた。
「では、スタンディングミーティングを始めます」
そう切り出した僕を、晴川愛が茶化した。
「言い方! 大事やねえ。イケてるIT企業みたいやん」
晴川は独特な雰囲気を持つ女性だ。
顔の彫りの深さ。横幅のある体型。表情の豊かさ。
どことなく、幼児向け番組に登場する着ぐるみのキャラクターを連想する。
大阪出身で、口を開くとリズムの良い関西弁が飛び出した。
特技は、外語大で習得したイタリア語。
日々、仕事でイタリアの革工場と連絡を取り合っていたという。
「君のイタリア語は、中世でも通じると思うか?」
心配する僕に、晴川はドンと胸を叩いてみせた。
「現代イタリア語は、確か、ラテン語のトスカーナ
問いかけられた弓鳴が、ウンウンとうなずく。
「ただ、書く文字の方は、ラテン語が混ざってるはず」
「ラテン語はアカンな。――あ、匠司もちょっと喋れるんやったっけ?」
晴川に話を振られた匠司が、迷惑そうに、
「喋れるうちに入らないよ。ミラノに出張に行ったとき、挨拶とか、買い物とか、最低限のやりとりをする程度」
「あー、ミカムか。いいよなー、企画局は交替で海外出張に行けて」
羨ましがる遊馬に、匠司が「楽しいのは最初だけだから」とそっけなく言う。
ミカムは、ミラノで年二回開かれる国際的な靴の展示会だ。
「とにかく――口頭で意思疎通ができれば十分だ。君たちには、住めそうな場所を探してもらいたい。具体的には、村、街、つまり人がいるところだね」
「――で、どっちに行きます? 時間が惜しい」
匠司は寒そうに体を揺すっている。
僕が答える前に、遊馬が川を指して、
「いいこと思いついた! 川だよ、川に沿って歩けば、村があるんじゃないか? 生活に水が必要だろ」
「上流と下流があるけど」
匠司に質問を重ねられ、遊馬がうんざりだという顔をする。
「細けーな、賢太郎。川は川だろ」
「登山で、『山頂はひとつなんでどのルートも同じです』って言うか?」
言い争いを始めた二人の間で、弓鳴がハイと手を挙げる。
「ここがフィレンツェ近郊だとしたら、あんな大きな川はアルノ川しかないと思う。アペニン山脈に源を発し、トスカーナ地方を流れ、リグリア海にそそぐ全長二四五キロメートルの川! ダンテが歌い、ルネサンスの画家たちが描いた、フィレンツェの象徴だよ!」
急に熱がこもって、周囲が置いてけぼりになった。
晴川が棒読み口調で言う。
「久々やね、マキペディア。勉強になるわー」
「ごめん、えーと、つまりね、アルノ川の近くには村がたくさんあるはずなので、遊馬が言うように、まずは行ってみればいいと思う」
遊馬が匠司に向けて、ホラみろと言わんばかりに大きなガッツポーズをする。
匠司はあきれ顔をしていた。
「だから、そのどっちでもを、誰が決めるんだって。茶山さん、仕切ってくださいよ」
「……じゃあ、下流の方。ごめん、理由はないよ」
「人と会って、どっから来たん? て訊かれたらどう答えときます?」
「どこから……、そうだね……」
日本と言っても通じるとは思えないし、通じたらそれはそれで面倒がありそうだ。
「遥か東方にある『シャチク』という国から来たと言ってくれ。目的は、そうだな……フィレンツェに移住して働くために、集団で旅をしている……とかなんとか」
「分かりました、うまーく言うときます」
晴川が軽い調子で
弓鳴が心配そうな顔をした。
「ハレちゃん、話を盛るからなあ。ちゃんと訳してね」
僕は朽木さんからもらった袋を弓鳴に渡した。
「食糧は二日分ある。くれぐれも、
弓鳴が
「タイムトラベルしても社畜って、どうなんですか」
遊馬が噴き出して、良いリアクションを取った。
「出たー、祐介さんのコローレあるある! ストックの上げ下ろしで腰を痛めた先輩、家でギックリ腰になったことにさせられてましたもん」
遊馬に、いつの間にか下の名前で呼ばれていた。
欧米か、とくすぐったい気持ちになるが、遊馬は同期のことも名前で呼び方を揃えているので、一種の癖なのだろう。
携帯の画面を見ていた匠司が顔を上げた。
「行こう。もう十三時くらいだ。時間がもったいない」
リハビリを兼ねて、丘の下まで見送りに行くことにした。
「あ――そうだ。コーヒー見つけたら、買ってきてくれないか? できればでいい」
晴川が笑う。
「コンビニ行くんとちゃいますよ。そもそも、お金ないやん」
「……そっか、そうだよな」
「コーヒー、好きなんですか?」
弓鳴の質問にうなずいて、
「中毒に近いレベルでね。飲まないと調子が出なくて――」
弓鳴が意地の悪い笑みを浮かべた。
「イタリアにコーヒーを飲む文化が根付くのは、百年以上先です。ざまあ」
絶望で、体から力が抜けていった。
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