3章(6)

 匠司と話をした後、宮間さんの使いの社員がやってきた。

 会議を開いて、今日一日の方針を決めるという。

 さっそく、匠司からもらった松葉杖を使わせてもらうことにした。

 僕が使い慣れていないせいか、ひどく歩きづらい。

 歩こうとする意識と実際の体の動きが、まったく噛み合わない。

 コートが必要に思えるほど寒いのに、数歩で汗がこぼれた。


「茶山ッ! 上役を待たせるやつがあるか!」


 虎丸さんの声が飛んできた。

 丘の上であぐらをかき、片膝を揺すっている。

 ずいぶん苛立っている様子だ。

 なぜ、会議の場所をわざわざ丘の上に――

 虎丸さんの戦国脳が関係している気がする。

 

 会議は十五分ほどで終わった。

 丘を下った平らな場所で、休憩所の設営が始まっていた。ビルから持ち出した備品を組み合わせて、簡易的な日除けテントを作ろうとしているようだ。その作業を指揮しているのは、企画局の祭門さいもんさんだった。スキンヘッドがよく似合う、四十四歳のベテラン社員。大学院で古い木造建築の『補修』の勉強をした変わり種で、社内ではリペアの専門家として知られている。


 柱が立ち、日除けの幕が緩みなく張られると、周囲の社員から歓声が上がった。

 局の垣根を越えた一体感があった。

 それを見ていて、急に涙が出そうになった。

 社内のゴルフ大会も卓球大会も、局対抗だった。

 普段から、他の局の人間は敵、くらいの感覚があった。

 でも、いまは――


 × × × ×


 朽木さんが、川に近い場所で何かを大量に燃やしていた。透明のクリアファイルを団扇うちわ代わりにして、足元の焚火に風を送っている。燃えているものを見て、驚いた。経理の関連書類だった。


「それ、灰にしちゃっていいんですか……?」


 朽木さんはチラッとだけ僕を見て、すぐに視線を火に戻した。


「みんなで必死になって持ち出したんだけどね。この時代に税務調査は来ないだろう?」


 冗談かと思って笑おうとしたら、本人はごく真剣な顔をしていた。


「……朽木さん、ご報告がありまして。朝の役員会議で組織の再編が行われ、朽木さんが執行役員に選出されました! おめでとうございます! いままでなっていなかったのがおかしいですよね!」


 僕は力を込めて拍手をした。

 役員会議で、新体制が固まった。

 宮間さんは常務から社長代理に昇格し、組織のトップに就く。

 ナンバー2に、虎丸さん。肩書は専務。創業者一族でない者にとっては、事実上、このポストが最高位になる。謹んでお受けいたします、と鼻息が荒かった。

 ここまでが取締役。

 僕は経営戦略局の局長となり、執行役員の肩書きを得た。

 もうひとり、こちらは年齢からして順当ではあるが、宮間さんの推薦で朽木さんが執行役員に選出された。コローレの役員会では取締役だけが議決権を持つため、僕と朽木さんは、会に出席して発言はできるが、意思決定には関われない立場になる。

 それでも、出世には違いない。


 朽木さんは、いつもの仏頂面で、黙って火を見ている。

 まったく嬉しそうではなかった。


「あの――名刺、作りましょうか。手書きで。僭越せんえつながら、私も執行役員に選出されまして。やっぱりあれですよね、形から入らないと、なかなか実感が……」


「君は」


 朽木さんは大きな声を出して僕の言葉を遮った。

 すぐにトーンを落とし、いつもの落ち着いた口調で、


「君は、なんでそんなに出世したいんだ? ? 給料が上がるわけでもない。家族に喜んでもらえるわけでもないのに」


「まだ会社員だからです」


「会社なら、もうすぐなくなるよ」


 朽木さんが足元で燃えている経理書類をあごで示した。

 

 それが、ずっと経理や総務にたずさわってきた人の体に染みついた実感なのかもしれない。


「なくなりません。私たちが続ける限りは」


 そう思わなければ――思い込まなければ、中世イタリアで会社員などやっていられない。

 朽木さんが小さく息をついた。


「――茶山くん。君は骨のずいまで会社員だね。執行役員の件は、了解した」


 その顔からは、何の感情も読み取れなかった。


 昼過ぎに、再び役員会が開かれた。

 朽木さんも出席したが、虎丸さんから離れた場所に座り、互いに目を合わせようとしない。間に挟まれて、ひどく気疲れした。

 

 一番の議題は、生活拠点の確保だ。

 現在の社員数は、百五十二人。

 朽木さんが、全員をまかなうだけの食料は、あと四日分しかないと発表した。


「よし、どうにかしろ、茶山!」


 虎丸さんの、清々すがすがしい丸投げ。


「虎丸さん、そういう言い方はよくない。――お任せするのでお願いします、茶山さん」


 宮間さんが丁寧に言い直してくれた。

 内容は同じだった。


 少人数の偵察隊を出すのが現実的だろう。

 営業、生産、企画、管理の各局から一名を選出した『連絡会』は、一時的に経営戦略局の所属となっていた。僕は、借り物ではあるが四人の部下を抱えることになったわけだ。

 連絡会を通じて各局に一名ずつ出して欲しいと頼むと、結局、連絡会の面々がそのまま探索を担当することになった。

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