【3章】戦国時代のPDCA
3章(1)
呆然と、空を覆う光の群れを見ていた。
量の多さといい、輝きの強さといい、僕が知る星空とはまるで別物だ。その美しさは、地上に文明の灯が
日が落ちてから、気温がぐんと冷え込んだ。
防寒具として使えそうなものは、支給された防災シートだけだ。
「コーヒー飲みたい……」
それは僕の口を
この際、インスタントでも構わない。
何より、ひとりでじっとしていると、
本社ビルから脱出した後、川から少し離れた小高い丘に移動して朝礼と同じように所属する局ごとに集まっているが、経営戦略局の生き残りは僕だけだった。
株式会社コローレには、五つの局がある。
社長をサポートする経営戦略局。
経理、総務、人事、広報を担当する管理局。
デザイナーやマーチャンダイザーが在籍するモノ作りの心臓部、企画局。
国内外の販売に関わる営業局。
工場運営や資材の取引を行う生産局。
一度配属されると、異動が極端に少ない。当然、人間関係が狭い縦割り組織になっていく。
本社に在籍しているのは全社員千人中の約六百人で、助かったのはザッと見る限り、百五十人ほどだろうか。経営戦略局は、そもそも『局』とするには極端に人員が少なかったが、いまは局を統括する社長までいない。
あのとき――僕は社長の手を振りほどかなかった。流木の直撃を受け、気づいたら社長の姿がなくなっていたのだ。僕が陸に引っ張り上げられたのは、ホースから一人分の重さが減ったからに違いない。
社長と月島さんの最期については、あまり心が動かなかった。
嬉しいとまでは言わない。ただ、悲しいと言うと嘘になる。
一時的に感情が麻痺しているのか、僕の心が冷たいのか――
でも、二人の部下のことを思うと胸が痛んだ。毎日、社長の理不尽に耐えてよく働いていた。報われることなく死を迎えるなんて、あんまりだ。
最年少の林が終電を逃がし、僕がタクシー代を出したことがある。
後日、課長がタクシー代で三千円しかくれなくて微妙に足りなかった、とケチ話にして社内で言いふらされた。
確かに渡すとき、林の住所が頭をよぎって、足りないかな? と思った。
でも、ケチとまで言われる筋合いはない。単身者には分からないかもしれない。
ああ……だんだん腹が立ってきた。
こんな思い出しか、ないのか。
丘のあちこちで、小さな灯りが点いたり消えたりしている。
みんな携帯を操作しているのだろう。
僕だって何も情報がなければ、同じことをしたはずだ。
念のために自分の携帯を確認してみると、やはり圏外だった。川でかなり水を被ったので心配だったが、動作自体に異常はなさそうだ。
携帯が繋がるのなら、妻に無事を知らせたかった。
仕事にかかりきりで育児に参加してこなかったせいで、夫婦仲は冷め切っている。五歳になる娘は、完全に妻の味方だ。妻が吹き込んだのだろうが、娘から、
『パパ、もう会社に住んだら? 一週間に一回、テレビ電話するから』
と言われたときには、さすがに涙が出そうになった。
確かに、ほとんど家にいない。でも分かって欲しい。
こんなブラック企業だから、あんな社長の下だから、取り立てて特技のない僕でも出世できた。住宅ローンを前倒しで払っているじゃないか。
パパは家族のために頑張っている。本当だよ。
いま、
僕のことを心配していて欲しかった。
パパは生きている。
生命保険の受取申請を出すのはまだ早い。
保険会社の担当者の名刺を必死で探す妻の姿が目に浮かんだ。
まさか、僕の死を喜んでいるなんてことは――
そういえば娘が、ママがピアノ教室のヒゲの先生と仲が良いと言っていた。
そうだ、こっそり始めた仮想通貨で百五十万円の損を出しているのはどうなる?
あれがバレたら、死後も許されないだろう。
つまり、絶対に……絶対に、いま死ぬわけにはいかない。
物思いにふけっていて、目の前に人が立っていることに気づかなかった。
脇に、畳んだ防災シートを抱えている。
「なに、ひとりで携帯にブツブツ言ってるんですか? 気持ち悪っ」
「……君を見習って、ちょっと記録をね。キモい男に、何の用?」
「森口くんの話が途中でしたよね」
弓鳴が僕の隣に座り、シートで自分の体を覆った。
いま蒸し返すか、その話を。
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