さよなら、ファンタジー

高坂仁

2026年

第1話 竹の花(1)

 魔法兵士隔離施設資料館 当時の兵士の手紙

                            

 親愛なる母上

 陸軍からの達しでぼくが魔法使いになることに驚いたと思います。


 三ヶ月前に手紙を出した時とまったく変わらない訓練を続けておりますが、就寝時間になっても不安で寝ることができません。祖国を守るために命を投げ出す覚悟があるのか疑問に思います。この手紙が手元に届く頃には、ぼくらの作戦が終わった頃でしょう。


 ぼくらはあと一ヶ月で念願の陸軍二等魔法兵になれるのです。

 それを一番喜んでいた魔法訓練兵の同期、リュースという女性兵は、わざとやっているのかと疑問を覚えるくらい運動神経が悪いです。平坦で何もない道でなぜかつまづいて転ぶし、走り方もどこか変わっていました。

 同じく同期で黒人のピエールはリュースに「お前が出征したら、着いた頃には戦争が終わっている」とよく茶化すのですが彼女は全く怒らないし、スネません。ジュニアスクールに通いはじめたくらいの背丈の彼女は、綺麗な目をにんまりさせて「あんたの黒い精子が白くなるくらい時間がかかるね」と、気の利いた返答をして、ぼくらは二人を中心によく盛り上がっています。


 リュースのような運動神経でも、ましては女性でも魔法兵になれるのかと思われるかもしれませんが、彼女には特別な魔法の才能があった……というわけではありません。ただ、ぼくらには稀な適性があるだけにすぎません。


 いまの時代は、魔法は知恵と変わらず単語を覚えるようなものとされて、天才がいることに気がついていません。むしろ魔法文化を汚点とし、世界中の人間が忘れようとしています。母上がお好きな乗り物の自動車——、化石燃料機械が文明の主流です。これらはすべて座学で学んだのですが、人類が魔法文化を文明の汚点にしようとしているのは、魔法を使い続ければ、意識障害、幻覚・過度な妄想、記憶力の低下を引き起こします。魔法創造中の快感は精神的依存性が非常に高く、麻薬となんら変わらないのです。


 身を滅ぼす術法は、先進国の法律では使用・伝承を禁止されています。しかし戦争へ赴く兵士の戦技ならばその恩恵は大きく。兵士の命一つで、飛び交う銃弾はおろか、砲弾から数多の歩兵を守れ、敵兵の殺傷もたやすいのです。


 ……祖国は世界協定で定められた戦争での魔法の使用を破ります。訓練が終わり次第、ぼくらを実戦投入する予定でいます。


 そして今日——リュースは、末期の魔法中毒者として病院で亡くなりました。

 合同訓練中の事故ではありません。ぼくら兵士は低位の魔法を訓練で覚え、戦地でそれらを応用して、高位の魔法を創造——殺戮するのが仕事です。訓練で覚えた低位の魔法では彼女のような酷い中毒症状にはならないはずなのです。


 彼女は真面目な性格でした。過剰な愛国心を持っていて、運動神経の鈍いことが部隊の足を引っ張るかもしれないと危機感を生んだのです。それは作戦が近くなるにつれて強くなっていきました。


 兵団の合同訓練が終わってから、夜な夜な魔法の創造を繰り返していたようです。はじめは訓練で教わったマッチを使わないで火を起こす魔法の練習……繰り返していくうちにすぐにマッチ程の大きさの炎が自分の頭ほどになって、一週間ほどで野ウサギや鹿などの動物を発火させることができるようになったそうです。敬虔なクリスチャンだった彼女は、天使を作り上げて戦場で傷ついた仲間を治癒する魔法の創造を思い立ったのです。たったひとりで高位の魔法を恐れず創ろうと考えるということは——祖国の栄光を夢見た耐え忍ぶ「努力」という言葉は完全に消えさり、魔法創造の快感に溺れていたのでしょう。


 ぼくは夜中に彼女が寮を抜け出しているところを目撃し、興味本位でその後をついていきました。ぼくがその時すぐに引き止めていれば、死には至らなかったでしょう。ぼくは彼女が創造した炎の明かりにうつった恍惚とした表情と笑い声が恐ろしくて、逃げ出したのです。


 仲間たちがリュースの異変に気がついた時にはもう手遅れで、体調不良と言い張っていた嘘は誰にも通じませんでした。訓練中に独り言が多くなり、頬にシワが寄るほど引きつらせ、歯をむき出したまま頭を搔きむしるくせが身についていました。仲間たちは教官に相談し、その日の就寝前に突然呼ばれたリュースは強制退団を恐れたのか幻覚が見えたのかはわかりませんが自傷しようとしたので、すぐ拘束されて軍病院へ運ばれました。


 その後、仲間全員は取り調べを受けて、ぼくは自白しました。

 結局、始末書を書くだけで済んだことにぼくはしょげていて。哀れに空いた胸の隙間を埋めるために彼女の病室へ向かいました。ぼくは、情けない顔をして自分勝手に謝りたかったのです。


 白い病室は仲間たちが摘んだ花束で、まるで天国のようでした。


 彼女の顔色は良くなっていて、ぼくを見るなりすぐに「来てくれてありがとう」と微笑んだのです。その言葉を聞いて、涙が止まりませんでした。


「やめて、泣かないで」と彼女は言いました。その日、ぼくは彼女とずっと一緒にいて、たくさん謝りました。そして約束をしました。退院したら、訓練場から見下ろせる海に行こう。ぼくが魚を突くからそれを一緒に食べよう、と。


 そう約束したのに——彼女は、ぼくが帰った後に魔法を創造して死んでしまったのです。


 彼女は涙を流している人を見ると、魔法を使いたくなってしまうそうです。泣きじゃくる顔をどうにかして笑顔に変えたい。それが彼女の魔法中毒の常習性を引き戻すスイッチでした。そして慈悲ある彼女が命をかけて最後に創造した魔法は、天使を召喚するものでした。彼女と同じく入院していた全ての患者をあたたかい光に包みこみ、あっという間にあらゆる怪我や病を治したのです。


 彼女は幼い頃、妹を事故で失ったそうです。その時の悲しみは耐難いものだったそうで、家にお金があれば医者になりたかったそうです。ですが医者以上の行いをした彼女は、もうこの世にいません。


 依存症となってしまった彼女の行為は、自身の欲求を満たすためにやったことだと思います。

 ——ですが、リュースは、彼女は、末期中毒で絶望していたはずです。真面目な彼女は絶対に深く思ったはずなのです。「これから人間として生きることが難しいのではないか?」「自分に期待していた家族や故郷の友人はどう思うのだろうか?」「なんて自分は情けないのだろう」と……心は、打ち砕かれていたはずなのです。それなのに普段の彼女のままだったのです。


 彼女は——中毒欲求に従い、副次的に大勢の人間を救ってしまった。

 道徳的良心は、学校や家族、環境から教わったもの。人間がひとりで生きていけないかぎり、誰しも善意を持つものですが、善意の表現の仕方は初めから備えていたものではありません。善意がなく、欲求で動いたリュースのそれは類い稀なく純粋で偽善になり得ない。あれこそ真の良心なのだと、ぼくは確信してしまったのです。


 リュースが命を尽して人間を大勢救ったことをぼくらは目の当たりにした。命の重みの儚さが増して……仲間たちは、悲しみの中で敵国への悪意を強くし、もはや恍惚としています。


 ぼくの目には、「犠牲を払った者の数が増えれば増えるほど、祖国の未来には希望があり輝かしくなる」。そう信じることでしか死者は救われないと思い込んでいるようにしか見えないのです。


 もう、何が正しいのかわかりません。善良な市民のように、機械の時代に関わらず、魔法の力を頼るのは愚かだと叫びたい。ぼくは、ひどく悲しくて眠れないのです。

 

 リュースの天使が癒した患者が、再び戦場へ赴く意味を教えて欲しいです。

「やめて、泣かないで」と言ったリュースは、ぼくに気遣って言ってくれたのか、それとも自分自身が魔法中毒の常習性を感じ取ったからなのか、わからないままなのです。


 ぼくは絶望に陥った人間の気持ちを知り、備えたいのです。理性を失い、迫りくる自身の感情の本性を誰にもさらけ出したくはないのです。


 どうか母上、こんな手紙を書いたことをお許しください。


 来るべき時、ぼくは彼女のように狂って死ぬでしょう。

 欲求に塗れても、ぼくは彼女のように人を救えるのでしょうか。

 獣になったとしても、ぼくは善良な市民でありたいのです。


 ぼくを立派な人間に育てあげたのだと、背中をポンと押すように空に、祈ってほしいのです。たとえ心の中でそれを思うだけでも。それだけでも。

  

                       西歴一九二六年 九月九日……



 この手紙は、家族の元に届けられることはありませんでした。と、厳重なガラスケースの横の解説板に書かれていて、それを読んだ観光客は悲しそうな顔をした。私は、この手紙の主が祖母の弟であることを知っていた。

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