僕にはピアノしか無かった。

珀桃




桜がもう散ってしまっていた。





僕はいつも通り、敢えて坂の多い近道を選んで学校に向かう。

学校なんて単なるルーティンに過ぎない。通学中の唯一の楽しみは、イヤホンで聴くピアノの旋律だ。


ピアノと言ってもクラシックではない。


いわゆる"弾いてみた"動画を鑑賞するのである。



なんて醜い音色だろう。


僕は信号を待ちながら自然と頬を弛めてしまう。

この瞬間が、堪らなく気持ち良い。


一所懸命に練習をしておきながら、


「※1:03~、少しテンポがズレています。

大目に見てやってください....」


などという目も当てられない言い訳を添え、投稿をしているのだ。


滑稽だ。


しかし、もっと面白いのは、コメント欄が賞賛で埋め尽くされて、その道で食っているピアニストだ。



アイツらは挑戦することを諦めている。

いつも同じ弾き方。試行錯誤しながら自分がピアノと共に変化を遂げていく、ピアニストにとっての大切な感覚を、馬鹿馬鹿しい"世間体"によって吸い取られているのだ。




画面の向こうの誰かも分からぬ人の操り人形。可哀想に。


しかし愉快。



あぁ、唾腺が刺激される。






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