棒アイスおじさん

のるた〜ん

棒アイスおじさん

「速報です。官邸は先程、オリンピックの開催時期を―」

 2020年春。オリンピックの開催延期が発表された。俺がそのニュースを知ったのは、渋谷のスクランブル交差点で信号待ちをしていた時だった。

 大型ビジョンには女性キャスターが原稿を呼む姿が映っている。周りの人間はざわついているが、俺は大して驚きがなかった。

 理由は簡単。オリンピックに興味がないからだ。

 何がスポーツの祭典だ。ただでさえクソ暑い日本の夏に、世界中から大勢の人が集まるんだろう?

 色んな国から人が波のように来日するだろう。そうなると毎日、満員電車の中で通勤しなければならない。あぁ、もう。想像するだけで嫌になってくる。

 だから今回の発表は、俺にとって朗報なのだ。

「さて、晩飯、何食おうかな」

 そう呟いたとき、周りの人達は各々好きな方向に散らばっていった。

 皆好きだよな。こんなに人がウジャウジャいる東京で生活するなんて。嫌にならないのかな。

「って、俺も人のこと言えねーな」

 ・・そういえば、俺はなぜ上京したんだろう?上京してきた理由すら忘れてしまうほど、毎日忙しいってことかな。

「まぁ、いっか」

 そんなことを考えるよりも先に、腹に何か入れておきたい。

 向こう岸から来る人波を避けながら、俺は今日の晩飯を買いに向かった。


「ごちそうさん」

 結局、近所のコンビニ飯で済ませてしまった。あーあ、色々考えるのが面倒だったからテキトーに選んだけど、なんだかなぁ。

 ピリリリ、ピリリリ。

 スマホから着信音が鳴る。ふと時計に目をやると、23時を過ぎている。

 誰だ、こんな遅い時間に電話を掛ける奴は。しかし、着信してきた人物は意外な人からだった。

「・・母さん?」

 母さんから電話が来るのは数ヶ月、いや、それ以上かもしれない。とにかく久しぶりだった。

 滅多に連絡してこないのに、どうしたのだろうか。父さんが倒れた?。それとも、何か・・?。

「あ、もしもし?元気してた?」

「どうしたのさ。急に電話かかってくるから、驚いたよ」

「あはは、ごめんね〜」

 この感じ、何か大変なことが起きたってわけでは無さそうだ。少しホッとした。

「で、どうしたの?用がないなら・・」

「いやね、さっきオリンピック延期するってニュースがあったじゃない?」

「オリンピック?あぁ、どーでもいいよ。興味ないから」

 なんだ、ただの世間話か?シャワー浴びて早く床に就きたいのだが。そんな風に思っている俺とは知らず、母さんは話を続ける。

「そのニュースを見たとき、あんたの顔がパッと浮かんだのよ」

「はぁ?」

 俺の顔が浮かんだ?しかも、オリンピック開催延期のニュースで。

「小さい頃のこと、覚えてる?」

「小さい頃?」

「そう。あんた”棒アイスおじさん”のこと、覚えてる?」

「棒アイスおじさん・・?」

「夏の時期になると、近所の河川敷に来て棒アイス売っていた、おじさんのことよ」

 覚えている。朧気な記憶だけれども、覚えている。

「覚えてるよ。懐かしいね。小学生のころだったかな?」

「そう、そのくらいの頃ね。夏になると『おじさん来るからって』、よくお金をねだっていたわね」

「そんなこともあったっけ」

 懐かしいな。結構前のことだけど、よく棒アイス買っていたっけな。

 母さんは構わず話を続けていたが、俺は少し昔のことを思い出していた。


 今から20数年前。俺が小学生の頃、夏の季節になると河川敷に棒アイスを売りに来るおじさんがいた。頭にねじった鉢巻をしており、年齢の割にガッチリした体型の頑固そうな顔立ちだった気がする。いつも決まった時間に来ては、棒アイスを売っているものだから、周りの小学生達からは”棒アイスおじさん”と呼ばれていた。

 俺は毎日のように小銭を握りしめ、走って棒アイスを買いに行っていた。

「おじさん、メロンの棒アイスちょーだい」

「メロンね、あいよ」

 この日選んだのはメロン味。と言っても、メロン味以外食べたことがなかった。メロン大好きだし、何より美味しい。

 おじさんは昔の自慢話をするのが好きで、よく話を聞かせていた。「俺はあの有名人と一緒に呑んだんだ」とか「俺は昔モテモテだった」等々。どれもくだらない話ばかりだったが、それでも楽しそうに話すおじさんを見て、俺もなんだかんだ楽しんでいた。

 ある日、いつものように棒アイスを買いに河川敷に向かった。しかし、おじさんの姿がその日は無かった。

 珍しいな、おじさんが遅れるなんて。そんな風に思いながら、水切りをしながら待っていた。

 30分くらい経った頃、遠くから聞き覚えのある声がすることに気がついた。

「坊主ー、待たせたなー!」

「も〜、おじさん遅ーい!待ちくたびれたよ」

 俺は声のする方へ一目散に駆けていく。

「すまん、ちょっとテレビに夢中になっちまってよ」

「テレビ?」

「リレーやっててよ。そろそろ出ようと思っていたときに、日本の選手が走るってのを知ってさ」

 この年は丁度、オリンピックが行われており、今日が400mリレーの予選だったらしい。

「いや〜、もう少しだったんだけどな。アメリカが最後の最後に順位上げてきてな」

 そこから、おじさんのマシンガントークが始まった。最初のうちは静かに聞いてはいたが、流石に痺れを切らし、話を遮るように質問をした。

「おじさん、どうしたの?今日はよく喋るけど」

「ん、そうか?俺はいつもこんな感じだろ」

 ワッハッハと大きな声で笑うおじさん。自覚があるなら少しは遠慮してくれたっていいのに。

「そもそも、俺オリンピックなんて興味ないよ」

「あ〜?興味ない、だぁ?」

 おじさんは顔を近づけながら、話を続ける。

「いいか、坊主。いいこと教えてやる」

 いいことって言っても、どうせしょうもないことを・・。

「俺はな、東京オリンピックをこの目で、生で見たことがあるぞ」

「え、オリンピックを?東京で?」

 この時の俺は、東京でオリンピックがあったことを知らなかった。外国で催されるイベント程度に思っていたから、自国で開催されていたことに驚いた。

「オリンピックって、日本でやったこと、あるの?」

「あぁ、そうさ。俺らが今いる、この日本で。懐かしいなぁ」

 そこから、おじさんは再び思い出話を始める。どうやら柔道と陸上競技を見たらしく、日本人選手がメダルを取る瞬間も生で見ていたそうだ。

「俺はな、坊主。死ぬ前にもう一度、生でオリンピックが見たいと思う」

「へー、海外に行って見るの?」

 おじさんは首を左右に2回振ったあと、ニマっとした笑顔を作って、こう答えた。

「東京で、もう一度見たいんだよ」

 想定外の回答に、俺は思わずゲラゲラ笑ってしまった。

「おい、何笑ってるんだ」

「だって、東京でオリンピックなんて、もうないでしょ。昔やったんだったらさ」

「そんなの、誰にもわかんねーよ」

「もし、やるってなっても、おじさん死んじゃってるでしょ?」

「ばーか。俺は不死身だぞ?それこそ、昔はゴロツキなんかと殴り合ってよ」

 おじさんは気を良くしたのか、違う話をし始めた。

 この日は結局、棒アイスを食べること無く延々とおじさんの話を聞く羽目になった。


 それから数年経ち、小学校を卒業した俺は、隣町の中学校に通うことになった。

 中学生になった最初の夏休み。いつもの河川敷に棒アイスを買いに出かけた。

 しかし、毎年同じ場所、同じ時間に立っている筈のおじさんの姿が無かった。次の日も、その次の日も。どれほど月日が経てど、おじさんの姿を見ることは二度と無かった。

 いつしか俺は、おじさんのことを気にすることもなくなってしまった。大学生になり就職のために上京し、代わり映えのしない日々を過ごしていた。

 おじさん、元気にしているだろうか。それとも、もう・・。


「―っと。ちょっと!もしもーし?」

「え?・・あ」

 母さんの声でハッとする。いつの間にか思い出に浸ってしまっていたようだ。

「もー、どうしたのよ」

 いや、なんだか懐かしくなって。ちょっと思い耽っていたよ」

「・・そう」

 電話越しから聞こえる母さんの声は、なんだか嬉しそうな、温かみのある返事だった。

「でも、おじさんはもう・・」

「あ、そのことだけどね。おじさん、去年の夏あの河川敷に来ていたみたいよ」

 その後、母さんから色々話を聞いた。どうやら父さんが河川敷を散歩中に見かけたらしく、昔と変わらず、子どもたちが集まっていたそうだ。

 父さんも久しぶりだったものだから、おじさんに話しかけ、談笑していたそうだ。

 息子がよく買いに行っていた、と父さんが話をすると、おじさんは当時のことを語り始めた。

 おじさんは一時期、体調を崩していた。ずっと寝たきりの生活を送っていたため、廃業することも考えていたそうだ。

 しかし2013年。東京オリンピック開催が決定した瞬間、まるで息を吹き返したかのようにリハビリ生活に励むようになった。

 そして去年。長いリハビリの末、十数年ぶりに棒アイス売りを再開させた。

 父さんがその話を聞いていた時、おじさんは、こう言ったそうだ。


 俺ぁ、子ども達に自慢したいのよ。”今お前達が見ている東京オリンピックはな、俺は2回もこの目で見ているんだぜ”ってな。だから、死ぬまで棒アイス売りは辞めねぇよ。


 あの電話から数ヶ月。本来であればオリンピック一色で世間が賑わっている筈の日本の夏。俺は今日、数年ぶりに帰省する。

 目的は勿論、両親に顔を見せるため。それに、友人達と久しぶりに遊んだり飲みにいったりするためでもある。

 でも、もう一つ。棒アイスおじさんが元気にしているか、この目で確認したかった。

 俺のこと、覚えているかな。

 ・・流石に、覚えていないよな。でも、今になって、おじさんの自慢話が聞きたくなってきた。あの頃と同じように棒アイスを片手に持ちながら、今度は一緒に笑いながら話がしたいな。

「さて、どうなることやら」

 2020年夏。俺にとっては、特別な夏になりそうだ。

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