第13話 鉱山での戦い 4

 シルフィーのなけなしの力で開かれた転移魔法陣に飛び込むと、俺達の視界に映る景色は森の中から一転して薄暗い坑道へと変わった。

 弱っているとは言え、さすがはシルフィーだ。転移のポイントはフロッグラグーンのいる広間から僅かに離れた死角。ここなら出会い頭に攻撃を喰らうこともない。

「ナンカよく見えナァイ」

 マーブルがぼやくのも当然だ。先ほどまでは明るい日中の森にいたのだから、いきなりこんな暗いところにやってきては、目が慣れるのに時間もかかるだろう。

 だが。

「俺とブリオとサリナ先生はすぐ行こう! マーブル、シルフィーと一緒に物陰で待機だ。シルフィーを他のモンスターから守れ!」

 そう言って俺が駆け出すと、ブリオとサリナ先生が俺の後に続いて走り出す。フロッグラグーンのいる広間までは二十メートル、たいして離れていない。

 俺達三人が広間に飛び込んでいくと、ギルドで出会ったあの若い冒険者、フォスターが涙を流しながら俺達の方に顔を向けた。その表情にはべったりと絶望が張り付いていて、完全に闘志を失っている様子だ。加えて俺達が姿を現したことに困惑しているようで、何かを言おうとしているのだろうが声は出ず、ただ口をパクパクさせているだけだった。

 そして彼の背後には、刀身が真っ二つに折れた大剣が転がっていた。思った通り、彼の武器はたいして持たなかったのだ。

 フォスターの近くには三人の若い冒険者が、各々に敗北の色を見せていた。目の前で仲間が喰われる光景は相当にショックだったのだろう。

 だが、彼らに気遣った声をかけている余裕はない。フォスターの脇を走り抜けた俺は、ブリオと共にフロッグラグーンへと向かって駆けていく。

「イフト、どうする!?」

「吐き出させる! 奴をひっくり返して腹を口より高い位置にするんだ!」

 そう言いながら俺は、自分に防御力強化ガードベアの魔法をかけた。

 阿吽の呼吸というやつだ、ブリオと組む時は今のやりとりで十分。俺がフロッグラグーンの注意を引き、その隙にブリオの怪力で一気にひっくり返す、お互いの役割は決まった。

 真っ直ぐに突っ込んでいった俺達は、フロッグラグーンの目の前で左右に分かれた。同時に俺が剣を振るうと、モンスターの黄色い目は明らかに俺の動きを追っている。

 モンスターの長い舌が俺の胴を巻き取ろうと伸びてきたので、すぐに剣を奮って舌を弾いた。フロッグラグーンの舌は、先ほどまで俺達が与えた遠隔攻撃でのダメージのせいか裂傷が激しく、軽く刃を当てただけですぐに引っ込んでいった。

 その勢いのまま何度か体に剣撃を与えてはみたが、外皮はやはり頑丈だ。弾かれる刃からは火花すら出る。

「やっぱダメか」

 その時、モンスターの巨体の反対側へ回り込んでいったブリオから、太い叫び声が届けられた。

「行くぞぉっ!」

 声と同時に俺は、バックステップを踏んでモンスターから距離を取る。すると、落石のようにフロッグラグーンの体が転がりだして、俺のいた場所をゴリゴリと皮膚を擦りながら押し潰す。

 上手くいった。もう少し転がすのに手間取るのかと思ったが、ブリオの怪力が予想を遥かに超える速度で仕事したようだ。

 俺達がここに到着してからわずか一分程度。フロッグラグーンはその丸い体を勢いよく転がされて、捕食したはずの人間を一人、ずるりと口から吐き出した。

 モンスターの口から吐き出されたのは、フォスターと同い年くらいの若い男だった。

 若干黄色い粘膜で全身を汚した若者の右足は膝から先が変な方向に曲がっている。奴の腹の中で、内臓の動きによってひどく圧迫されたことが分かった。ピクリとも動かない彼をブリオは構うことなく担ぎ上げ、モンスターから一旦距離を置いてフォスター達の元へと戻った。

「すぐに回復してやれ!」

「あ、あざ、ざ、あざっす…………あの、魔導師、さん?」

「魔術師だ」

「あ、さぁせん。あの、魔術師さん、回復薬もらえないっすか?」

「なに、持ってないのか? ならそいつはどうだ? そこで腰を抜かしているお前の仲間は、魔法使いに見えるが」

「えっと、彼女ショックで動けなくて…………いつも魔法でやってもらってたから、薬は持ってなくてっすね」

「私が持ってるわぁ」

 そこへサリナ先生が近づいてきて、小さな瓶に入った回復薬をフォスターに渡した。

「ま、魔術師が二人っすか」

「喋っている暇はない。貴様らの獲物、俺達がもらうぞ」

 黒いローブを靡かせながら、ブリオが戦線に戻ってくる。俺は隣にやってきたブリオの方を一瞬見やってから、小さな声で言った。

「ありがとう、“魔術師”どの」

 ブリオが自身の職業を魔術師と名乗ったことが、どうにも面白くてからかってみたのだが、彼は意外にも真面目な顔でその言葉を聞き流した。

「ああ。だが、まだ一度も魔術を使ってないんだが」

 ブリオが少し不満げにボヤいた時、背後からサリナ先生が近づいてきて、ブリオの肩を叩く。彼女の手には、何枚かの魔符が握られていた。

「では使ってみましょうか。こちらの魔符を手先、足先に貼り付けて攻撃してごらんなさい」

 そう言ってサリナ先生は魔符の裏面に舌を這わせて湿らすと、それをブリオの手の甲とふくらはぎに貼り付けた。どうにも彼女の一挙動には艶かしさがある。

「これは?」

「お役に立ちますわ」

 その時、目の前のフロッグラグーンが太ましい後脚で勢いよく跳ね上がり、俺達の真上に落ちてきた。

「やばい!」

 不意を突かれたと焦っている最中に、サリナ先生はブリオの耳元で何かを囁いていた。そしてその言葉を受けてから、ブリオは避けることもせずに構えをとり、落下してくるフロッグラグーンの腹目掛けて上段前蹴りを繰り出した。

 真っ直ぐに突き出されたブリオの爪先は、その甲につけた魔符が突然輝き出すのと同時に加速を見せた。そしてスポンジケーキにフォークを突き立てるかの如く、ブリオの爪先がフロッグラグーンの硬い皮膚に包まれた腹へとめり込んでいき、その巨軀を何メートルも吹き飛ばしたのだ。

「ははっ! やるな!」

 壁に叩きつけられたフロッグラグーンは、苦しそうに体液を口から垂れ流し、黄色い目を左右バラバラに動かす。

 敵が怯んでいる今こそ止めを刺すチャンスだと、俺は右手に握った剣を引き、真っ直ぐに走り出した。

 狙う箇所は一点。奴の頭を突いて一撃必殺を狙う。

 自分に攻撃力強化アタックベアを施し、目標を真っ直ぐに見据えて、そして。

「そこだな」

 左右の目を結ぶラインの真ん中。そこより拳二つ分ほど上の位置、外皮のコブとコブの間、切っ先がブレずに着地する一点。

 接触面に対して垂直な角度で繰り出した渾身の突きは、岩石並みの硬度を誇るフロッグラグーンの皮膚を突き破って刃の半分を沈めた。

 傷口からは体液が小さく噴き出て、その後滲むように流れ出してくる。

 そして、フロッグラグーンの巨大な口から漏れ出ていた呼吸音も聞こえなくなり、完全に沈黙。突き刺した剣を両手で掴み、足をかけて引き抜くと、刀身についた体液を振り払ってから鞘に収めた。

 フォスター達の方に目をやると、隠れていたマーブルとシルフィーも合流しており、モンスターに飲まれた若者も意識を取り戻しているようだった。

 ひとまずは一件落着か。フロッグラグーンを倒したとあれば、餌として追いやられたバレットスネークの残りの排除は後日来れば良い。ひとまずは進捗をギルドに報告しよう。

 俺はみんなが集まる場所へと歩み寄って行った。


◆◆◆◆◆◆


 ファレンシアの病院。フォスター達を病院に送り届けた俺達は、院内のロビーで本日の冒険内容を振り返っていた。

「シルフィー、体調はどうだ?」

「うん、だいぶ良くなったよ。やっぱり先生の薬は効くよねぇ」

「あらあら」

 じゃれあう師弟を微笑ましく見ていると、マーブルが少し不満そうな表情を浮かべながら言った。

「ヤッパリ弓矢を使えないのは退屈カモー」

「でも、今日はマーブルの魔法が一番活躍したな」

「エ、ホント?」

「そうだなぁ、あの手法は他のモンスターにも有効かもしれないな」

 ブリオにも褒められたものだから、マーブルの機嫌はあっという間に頂点へと上り詰めていた。

 だが事実、シルフィーに負担をかけられない状況となった時を思えば、俺達が出来ることというものを増やしておくのは非常に有効であると分かったのだ。

 加えて言うならば、サリナ先生のフォローにも助けられた。フロッグラグーンをひっくり返したあの時、ブリオがやけに早くひっくり返したのも、実はサリナ先生がパワー増強の薬を与えていたことを聞かされたのだ。

 シルフィーに匹敵とまでとは言わなくとも、ブリオの魔術はこれからどんどん伸ばしてほしいものだ。

「イフトは結局、覚えた魔法を自分にしか使わなかったな」

「そう言うブリオは、一度も自分の魔符を使ってないだろ」

 俺達がここで話している間、先ほどから時折感じる周囲の視線。その大半が、魔術師らしからぬ風貌のブリオに向けられている好奇の目であることを、彼は気付いていないのだろう。

「ブリオさんの魔術はこれからでもきっと活躍しますわ」

「そ、そうですかな! ワハハハハッ!」

「…………エロブリオ、再び」

 もはやマーブルの嫌味も耳に入らないほど頬を赤らめるブリオ。そんな彼を見て苦笑を浮かべていると、一人の若者が近づいてきた。

「あの、イフトさん」

 そこに現れたのはフォスターだった。足を折った若者とは違い、彼はまだ軽症だったため、治療後もそれほど痛々しいものは見られなかった。

 それでも気持ちの方はすっかりと参っているらしく、今朝ギルドで会った時はバッチリと決まっていた髪型や自信に満ちた目の輝きも、今はまるで見て取れない。

「やあ。もう怪我の方はいいのかな?」

「はい。その、なんつーか…………あざっした。すんません」

「無事だったならそれでいいさ。俺もほっとした」

 なるべく気落ちさせたくはないので、明るく接するようにしたつもりだが、彼の表情はなかなか腫れなかった。

「あの、イフトさん達が来る直前なんですけど、なんか突然ひらひらしたものが出てきて、それを食ったモンスターが苦しんでたんです…………最初はよく分からなかったんすけど、イフトさん達が来てからもしかしてって」

「ああ、あれか」

 その後、俺とフォスターは隣り合って腰掛け、洞窟に助けに行くまでの経緯を話して聞かせた。

 その話の内容は、サリナ先生の家の庭先で起こったことの全て。そう、彼がシルフィーと共に馬鹿にした在宅勤務による遠隔冒険の種明かしだ。

 俺はこれらの方法を隠すようなものだとは思っていない。むしろ、多くの人に知ってもらうことで同じように実践してくれる人が増えたらいいと思っている。

 シカゴ氏の講演にあったように、この戦い方改革が、まさに若い冒険者の命を救ったのだ。完璧とは言えなかったが、大きな進歩ではないかと我ながらに誇らしく思っていた。

 説明を聞いていたフォスターは、話の途中で分からないことを質問しながら、最後まで真剣な表情で聞いていた。

 そして説明をし終えると、いろいろと考えを巡らせているような顔をしながら、「あざっす」と一言。

 そしてシルフィーの方に向き直り、彼は頭を下げた。

「昨日とか朝とか、すげー笑って悪かったわ、すんませんっした」

「え」

 フォスターの態度が意外だったのか、彼が現れてから少し不機嫌だったシルフィーの表情が急に緩み、頬を赤らめた。

「いや、まあ…………別にもういいけど」

 シルフィーの言葉を聞いたフォスターは、下げていた頭を上げると再び俺の方に向いて、今度は元気よく「イフトさん!」と声を上げてきた。心を入れ替えたのか、済ますべきことは済ませたという切り替えなのか、その声には朝出会った時の元気が戻りつつあるようだ。

「俺考えたんすけど! 俺達ブラックウィドーは、イフトさんのパーティーを手本としたいっす!」

「ええ? いいよ、そんなの。君達は君達で修練して、もっと経験を積み重ねたらいい。力は自然とついてくるから」

「いやあでも、その戦い方改革とかも興味が湧いてきたし、あのモンスター倒した時だってまだ余裕ありそうだったじゃないっすか。それってきっと、なんかコツとか秘密があるんすよ!」

「いやあ、コツって言うか…………」

「おい、小僧」

 ブリオが口を挟んできた。

「コツなんてものは自分で見つけろ。とにかく自分の体を鍛えろ」

「でも魔術師のおっさん、俺は」

 フォスターが言い終わらぬうちに、ブリオが素早くフォスターの鳩尾を拳で突いた。

「っぐっふっ…………」

「“魔術師の武闘家さん”と、言いなおせ」

「ブリオ、それ意味分かんないから」

 シルフィーがツッコミを入れている間に、腹を抑えながらもフォスターが俺に言ってきた。

「頼んます、なんか教えてください。俺達、剣士仲間じゃないっすか」

「…………何?」

 その言葉を聞いた瞬間、俺の中で何かが思い起こされて、それからはだんだんと不快な感情が湧き上がってきた。

 先ほどまで呆れ顔でフォスターを見ていたシルフィー達の顔が、今度は俺の顔を見て慌てている様子を見るに、俺の気持ちが表情にも出ているらしい。

「俺だってイフトさんみたいにカッコよく剣をぶん回したいっす!」

「…………ぶん回す?」

 若い奴に勢いがあるのはいいが、それをするならそもそもの基礎ってやつがだな。

「ブリオ、止めた方がいいんじゃない!?」

「やめとけ、もう止まらん。先に飯屋にでも行こう」

 本来ならば、改心した若者からの好意に何かしらの助言やらをしてやるものなのだろうが、この時の俺はただの剣士イフトとなっていた。

 自分に関係ないことだからと無視しても良かったが、あんなボロボロの剣を背負った若造と俺が同じ剣士だと?

 それからどれくらいの時間が経ったのだろうか。

 ふと我に返れば、自分の仲間達がさっさと病院を出て行っていることも、周りの患者や看護師達から大注目を浴びていることも気づかぬままに、目の前の若い冒険者を正座させて剣のメンテナンスについて説教を垂れている自分がいた。

 フォスターの表情が、鉱山の中で絶望を貼り付けた時のようになっていると気付いた時には、窓の外はすっかりと夜になっていた。


<続>

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