第8話 魔術師サリナ・レイヨン
魔力抑制剤の副作用が抜けるまでもう少しの辛抱だと、サリナ先生はそう言った。
「抑制剤とは言いますが、体内に宿る魔力を一時的に枯渇させる薬です。摂取した後は大きな倦怠感が訪れます。ですが、その症状が出るということは、生まれながらにして魔力を保有している証。よってイフトさんとマーブルさんには、お約束通り魔法を伝授いたしましょう」
サリナ先生の話では、魔法の伝授をするに当たって、俺たちの体内に使われたことのない不純な魔力がある状態は好ましくないらしく、一度体内の魔力を出し切る必要があるそうだ。この行為を“デトックス”というらしい。
魔力有無のチェックとデトックスが同時に行える方法として、俺たちは抑制剤を摂取したわけだ。いや、摂取したというより、半ば強制的に飲まされたのだが。
「この二人には魔法を会得できるとして、俺はどうしたらいい?」
ブリオの声から、わずかに不安な様子が窺えた。
それにしても意外だった。まさかブリオに魔力が生まれつき無かったとは。
魔力がないことは決して病などの類ではなく、要はその人の体質だ。ただ、そういった特異体質を持つ人の比率は、世界人口のおよそ一割にも満たないと言われている。
しかし、それ以上に驚いたのはサリナ先生だった。シルフィーの魔法の先生と聞けば、さぞ凄い魔法使いなのかと思いきや、まさか彼女も魔力を持たない人だったとは。
正直に言って不安だ。本当に魔法を教えてもらえるのだろうか。
「ブリオさんには魔術を授けましょう。そちらのお二人よりも少し難しいかもしれませんが」
そう言って彼女は暖炉の上に置いてある、片腕の長さにも相当する細長い木箱を手にとった。
「先ほど申しました通り、シルフィーには“魔法”を教えましたが、私は現在“魔術師”を名乗っております…………皆さんは、魔法と魔術の違いが分かりますか?」
未だ重たい首を横に振ると、サリナ先生は一度だけ小さく頷いた。
「まず魔法とは、行使者の体内に宿る魔力を操作することで、様々な現象を引き起こす技術です。我々の体のみならず、大地、風、植物、動物、魔物、神など、神羅万象全てのものは、世界を構成する最小単位の元素が互いに結びつくことで、様々な形を成していると考えられています。当然魔力も元素の組み合わせによる力であり、この元素の構成配列を操作して様々な現象を引き起こす技術こそが魔法と言えます」
つまり、魔法使いが炎や水を出現させたり、傷を癒すことができるのも、蟲や竜を使役することができるのも、その元素とやらを操るから可能ということだろうか。講義を受けたところでどのように作用しているのかは、今の俺では到底理解もできない。
こんな心身でなければ、もっと詳しく聞いてみたい話なのだけれど。
「イフト、俺には彼女の言葉がさっぱり分からん」
「アタシモ…………」
「…………いいよ、分からなくて」
サリナ先生は続けた。
「続いて魔術です…………魔術に対する解釈を簡潔に述べるならば、“術者の想いを実現する手段”です」
「手段?」
「そう。魔法は、魔力という媒体を利用した技術ですが、魔術は学問とも言えます。一つ例を挙げましょう…………傷を癒すために薬を調合し、その薬をいつでも使えるようにと、様々な持ち運び手段を考えたとします。小さな入れ物に入れれば回復薬です。内容成分を構築する元素を理解して、治癒魔法として再現すれば回復魔法。その元素操作を神や魔物に託すのならば、魔法陣や魔符として言葉にする必要があります…………魔術はその結果を称賛されることばかりですが、私はそこにいたるまでの過程、試行錯誤も含めて魔術だと考えております」
「サリナ先生は、いつからそんな風に?」
「かつて冒険者として仲間と旅をしていた頃、仲間は皆私のことを魔法使いと呼びました…………でも、私には魔力が無いんですもの」
そう言って彼女は目を細めて笑った。
おそらくこの人は、俺たちが在宅勤務を始めるよりもずっと前から、自分を魔術師だと認識していたんだ。だけど当時は、魔法使いという大項目しかなかったから。彼女は魔力の無い自分が魔法使いと呼ばれることに葛藤があたのでは無いだろうか。
術者の想いを実現する手段。魔力を持たない彼女が実現したかった想いは、パーティーのために魔法使いというポジションを全うすることだったのだ。魔力を持つ人が魔術師となるのとは違う大変な努力と試行錯誤を、彼女は一体どれほど乗り越えてきたのかは計り知れない。
魔力が無いのに魔法使い。ゼロから始める途方もない探求。そんなところに、俺たちの実践する戦い方改革に近しいものを感じた。
サリナ先生がシルフィーの提案を受け入れてくれた理由も、案外そんなところにあるのかも知れない。
「さあ、では早速お二人は魔法を、ブリオさんは魔術をお勉強いたしましょう」
◆◆◆◆◆◆
魔法の取得方法は思っていた以上に簡単だった。というのも、デトックスによって魔力の抜けた俺とマーブルに、サリナ先生が魔法薬を飲ませるというのが、その方法だったからだ。
シルフィーのように魔力操作の基礎をきちんと学んでいる人は、もっと時間をかけて覚えるらしい。しかし俺たちの場合は、最も最短で覚えるための手段をとったとのこと。
魔力が抜けきった体に、取得したい魔法の効果を宿した魔法薬を摂取する。その状態で枯渇した体内魔力を回復させると、魔法を使う準備が完了するのだそうだ。分かりやすく言えば、馬に乗ったことは無いが乗馬の才能が
備わっているような状態だ。
昼前に魔力が回復した俺とマーブルは、ひたすら魔法を発動する訓練に明け暮れた。
今まで使ったこともない筋肉を酷使するかのような、なんとも歯痒くもどかしい時間が続いた。サリナ先生は念じるだけだと言っていたが、どうにも“念じる”というフワッとした言い回しが分かりづらい。
ちなみに俺が覚えた魔法は
そしてブリオだが。
「ブリオさんは敵の動きを封じる魔術なんていかがでしょうか」
ということで、
「何ができる魔法なんだ?」
「魔術です。触れたものの動きを一定時間止めることができる魔符の描き方をお教えします。その魔符はモンスターに直接貼り付けたり、地面に仕掛けて踏ませたり、使い方はいろいろですよ」
「自分で描くのか…………」
「お店でも売っていますけど、基礎から学ぶつもりで描いてみましょう。それに、魔符を使いこなすのは魔術師の得意とすることですわ」
「俺は魔術師になるつもりはないぞ」
「あらあら」
サリナ先生が楽しそうに笑っている。なんとなく、ブリオを気に入っているのだろうか。
「なんか、羨ましいな」
「ナニガ?」
「気にするな」
そんなこんなで、俺たち三人は各々で新しい技を取得するために奮闘した。そして時間はあっという間に過ぎていき、気がつけば日が暮れていた。
俺もマーブルも、覚えたての魔法が満足に使えるようになったのかと言えば、どうにも微妙だ。俺はどちらの魔法も自分に効果を発動させることには成功したが、発動までにまだまだ時間がかかる。
マーブルはヌーンを真っ先に覚えたが、彼女曰く、食事がいつもの二倍食べられてお得だと言う。
そしてブリオはと言うと、魔符の作成にかなり手こずっており、きちんと効果が発動する魔符は半日作り続けて二枚しか出来ていない。しかし、そんなブリオにもサリナ先生は丁寧に、何度も魔符の添削をしてくれていた。
ブリオの性格を考えれば、てっきり魔符作成にじれったさを感じて文句でも飛び出すのではないかと思ったのだが、サリナ先生がほぼつきっきりで彼を指導し続けているせいか、従順な姿勢で熱心に取り組んでいた。
休憩中、ブリオが一言言った。
「魔術って面白いかもな!」
「…………エロブリオ」
「…………武闘家のプライド」
「うるっさい!」
ともかく、三人とも基礎は教えてもらったわけなので、今後は各々の努力次第といったところだ。
確かに、たった一日で魔法をマスターしようだなんて考えが甘すぎたのかも知れない。
サリナ先生は、俺たちが特訓を積んでいる間に夕食の支度をしてくれているようで、キッチンの方から何やら良い匂いがしてきた。
シルフィーが帰ってきたのは、ちょうどそんな時だった。
「なんなのアイツ! ほんとに腹立つー!」
一瞬、誰が怒っているのか分からなかった。
滅多に見ることのないシルフィーの怒り顔。彼女がそこまで怒りを露わにすることが珍しかったものだから、事情を聞き出そうにも言葉が出なかった。
「シルフィーったら、そんなに怒ってどうしたのかしら?」
「先生聞いてよ! 今日参加してきたシカゴさんのセミナー会場で、私たちが在宅勤務を実践しているって言ったら、別の冒険者パーティーに馬鹿にされたぁっ!」
まるで小さな子供のように、大きな声で上目遣いにサリナ先生を見て訴えるシルフィー。
彼女がセミナー会場で在宅勤務の話をするようなことになった経緯が気になる。
サリナ先生が宥めるにようシルフィーの頭を撫でると、彼女は悔しそうな涙目を浮かべたまま先生に抱きついた。
こんな時に、誠にけしからん話ではあるが、サリナ先生の豊満な体と露出の高い服に抱きしめられている姿はなんとも目のやり場に困ってしまうものだ。気が付けばブリオも鼻の下が伸びていた。
しかし、そんな俺たちの表情を、マーブルは見逃していなかった。
「エロイフト、エロ親父」
「…………すみません」
そうしてシルフィーの気持ちが幾分か落ち着いたところで、俺たち五人は夕食を摂るために席へと着いた。
サリナ先生は料理がうまかった。普段の食事を外食に頼りきっていた俺たち四人からしたら、野菜と牛肉のクリームシチューと自家製パン、それに山菜と香草のオイル炒め、デザートのプリンと、普段酒場では食べないような料理が出てきて非常に嬉しかった。また、味も良いのだ。
マーブルが早速覚えたてのヌーンを使って、二倍食べていた。俺とブリオは呆れることしか出来なかった。
その間、シルフィーがセミナー会場で起こった出来事を話し始めた。
「シカゴさんがね、今日も気軽にできる戦い方改革の一例を紹介してくれたの」
「どんなだ?」
「それがなんと、“マルチスキルプレイヤー”について!」
シルフィーの目が光った。
「冒険者が、一人で幾つもの職業を兼ねていてもいいと言う考え方なの」
「興味深いな。それって、今俺たちがやろうとしていることだろ?」
「近いかなー。まあ、会場からは“一人で二つ以上の職業を兼ねていたら、負担が大きくなって大変だろう”って声が上がったけど」
まあ、それは当然の意見だと思った。
実際俺たちがやろうとしていることも、そこまで役割を曖昧にするつもりはない。あくまでも剣士、武闘家、弓使い、ヒーラーの役割は各々で務めた上で、互いをフォローし合っていくための今日なのだ。
のめり込み過ぎるのではなく、無理のない範囲で少しのフォロー。家庭内の家事分担と同じことだ。
だから俺たちのやろうとしていることは、会場で出た反対意見には当てはまらない。
「シカゴさんが言ったのは、一つのパーティー内で役割をいくつも持つんじゃなくて、クエスト内容によって自分のポジションを置き換える方法のことを言っていたみたい」
「クエスト内容で?」
「例えば私たちみたいに、一人ひとりの攻撃方法や役割がバラバラなパーティーは、全体的に見ればバランスが良い。でも、前衛攻撃にもっと重点を置きたいクエストや、逆に遠距離射撃が有効な冒険内容だったとした場合、パーティー内のバランスを変えられるように備えてはどうかってこと…………マーブルが近接攻撃を習得していても良いし、イフトやブリオが弓を覚えても良い。そんなふうに、状況に合わせて立場を変えることができる冒険者が、これからの時代に求められるんだって」
なるほど、冒険者の兼業制度か。
単身の冒険者というのは、例えば剣士でありながら魔法を使えたりもするものだが、そういった場合の多くは剣士が主力スタイルで、魔法は回復程度の最低限を覚えているのみだろう。
そうではなく、どちらにも切り替われる冒険スタイルを身に付けることができれば、確かに便利ではある。
話を聞きながら感心をしていると、突然テーブルの天板上で大きな衝撃音がして、俺たちは目を丸くした。
シルフィーは天板を手の平で叩き、その勢いのまま席を立って椅子をひっくり返した。
「その話の時だよっ! 私がシカゴさんに、今パーティー内でそれに近いことをしようと奮闘してますってアピールしたの! だって私たちのパーティーは戦い方改革実践中でしょ!」
「お、落ち着け。な?」
「そしたら! あのフォスターって野郎が!」
シルフィーの口から“野郎”という言葉が飛び出して、サリナ先生が「ま!」と言いながら驚いていた。だが表情は楽しそうだ。
ブリオもすっかり気圧されたのか、跳ねたシチューが彼の顔にかかっても、何も言わなかった。
「フォスターってダレ?」
「セミナーに来てた他所の冒険者パーティーのリーダーだよ! もうイフトと全っ然大違い! そいつが私たちの在宅勤務を馬鹿にして笑い者にしたの! そしたら会場のみんなも喜劇じゃないんだから、まじめに働けって…………」
シルフィーの声がまた涙ぐんできたことに気付き、サリナ先生は彼女の頭を撫でた。
前回のセミナー参加の経験からして、今日の会場にもそれなりに大勢の人が集まったことは想像できる。その中でシルフィーが槍玉に挙げられたのならば、さぞかし悔しかったことだろう。
「なあシルフィー、お前が笑われて俺もすごい悔しいからさ、思い知らせてやろう」
「どうやって? 言い返してくれるの?」
「言い返すなんて幼稚な真似しないよ。そういうのは結果で示すべきだ。俺たちはきちんと戦い方改革の成果を積み重ねて、笑ってる奴らより効率的に冒険してやれば良い」
「…………でも、村にいるだけじゃあいつらに私たちの冒険なんて伝わらないじゃん」
「何言ってるんだ? 今ここはファレンシアじゃないか」
そこまで俺が言うと、ブリオが怪訝そうな顔でこちらを見た。
「待て、イフト…………もしかして今夜は村に帰らないのか? 明日の冒険はどうする?」
「こんな時間じゃ馬車もなくなるよ。それに明日の分はまだ受注もしてない」
「何ぃっ!? 明日も休むつもりか!?」
「…………ブリオ、俺たちがやっている在宅勤務は、別に場所を選ばないだろう。明日の朝、ファレンシアの冒険者ギルドに行ってクエストを受注してくるよ」
「場所は?」
「こちらの庭先を借りる」
サリナ先生も微笑みながら「私も見てみたいわぁ」と返した。
「まさか、最初からそのつもりだったのか?」
「シルフィーから事前にお願いしてもらっていたんだ」
こういった臨機応変な対応ができることこそ、戦い方改革の利点じゃないか。
シルフィーに結果で示すよう言ったばかりだ。早速その結果を積み重ねるために動かなくては、格好がつかないなと、俺は気持ちを高ぶらせながら、残りのシチューを平げた。
<続>
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます