第7話 魔法の先生
先日の提言通り、俺たちのパーティーは作業負荷の平準化を図るために、シルフィーを除くメンバーが簡単な魔法を覚えることとなった。
ということで、休日を利用して魔法習得のためにファレンシアへと向かっている。
「イフト、ファレンシアに行くのはいいが、なんで荷馬車なんだ? 俺たちは荷物じゃなくて乗客だぞ」
「いや、密閉空間だと危険だからさ」
そう言ってマーブルを見やると、案の定彼女は細かい呼吸を繰り返しながら、遠くの景色をうつろげに見ていた。顔色は真っ青だ。荷馬車なら新鮮な空気が当たるから幾分かマシなのだろうが、シーゲルのシフォンケーキは禁句だな。
それはそうと、俺たちが魔法を覚えるにおいて、なぜファレンシアへと向かう必要があるのか。
その答えは、シルフィーからの提案にあった。
「シルフィー、お前の言っていた魔法の先生には、もう俺たちのことを伝えてあるんだろ?」
「うん、大丈夫だよ。事情を話したら、先生も私の提案した方法が良いって返事があった」
ファレンシアにいるというシルフィーの師匠。サリナ・レイヨンという魔法使いに教えを乞うというのが彼女からの提案だった。
俺たちが魔法を覚えるにあたって、課題となる点は二つある。
まず一つ目は、そもそも魔法を覚えられるだけの適性があるのか否か。これを調べてもらわねばならない。
魔法を操れるのかどうかは、実は生まれながらにして既に決まってしまう。とは言え、個人差はあれど大抵の人には魔力が備わっていて、魔力を持たない人間というのはごく稀なので、むしろ魔法を操れる素質が無い人間の方が珍しいのだが。なんてったって世界には、魔力を一切持たない魔術師もいると聞いたことがあるくらいだ。
二つ目は、短期間で習得する必要があるということ。これは非常に切実な問題で、俺たちも冒険者として日々稼ぎを得なくてはいけないため、今からじっくりと時間をかけて魔法を習得するなんてことは現実的ではないからだ。
この二つの点を攻略するための方法として、サリナ・レイヨンを頼ることにした。
前回ファレンシアを訪れたのは、シカゴの戦い方改革セミナーを聞くためだったが、実は今日もシカゴによる講演会が開かれるとのことだ。
個人的にはそちらの方にも参加したい気持ちが強い。欲を言えばブリオもいる今日なら、彼にも是非セミナーを聞いてもらいたい。
しかし、そんな気持ちを押し殺して、俺とブリオとマーブルは魔法の習得。そしてシルフィーが講演内容を聞いてくる、という役割分担で打ち合わせた。
「お、ファレンシアが近づいてきたぞ」
ブリオの指差す先に、大きな町の輪郭が見えてくる。
「じゃあ着いたらすぐに先生のところへ案内するね! 早くしないと講演が始まっちゃうからさ!」
シルフィーは張り切った様子で言うと、町への到着を今か今かと待ち遠しくしているようだった。
そんな彼女には聞こえぬよう、ブリオが声を潜める。
「そのシカゴって奴にだいぶご執心みたいだな」
「シルフィーが? ああ、やたらと尊敬しているみたいだしな」
「そうじゃない。ホの字の方だ」
そう言って彼は、声を押し殺して笑った。
ブリオ、言い方がオッサンだな。まあ、本当にオッサンなのだからいいけど。
そうこうしている内に馬車は町の入り口に到着した。四人全員が降り立つと、シルフィーが早速と言わんばかりに元気よく先導する。
ファレンシアの中央広場から伸びるメインストリートの内、およそ北東に伸びる二番通り。この通りを一番端まで進んでいった先に、彼女の師匠の住処があった。
と言っても、ただ道を端まで行けばいいものではなかった。
「あの、シルフィー? もう町の通りはとっくに過ぎたんだが…………」
「何言ってるのぉ? まだ先なんだから早くー!」
町外れもいいところだ。二番通りの先端どころか、その先にある大きな丘の上にそびえる巨木の根本まで来た。この木は樹齢三千年とも言われる町の名所の一つだが、こんな辺鄙なところからさらに北へ伸びる道を辿って進む。
そうしてようやく辿り着いた先にあったのは、古めかしい二階建ての屋敷だった。
屋敷自体は大きくて立派だが、丸太組みの外壁はジメジメとした苔で覆われており、不穏な空気が漂っている。窓には一応ガラスが入っているが、どれも黒く汚れていて中が見えるものは一つもない。
唯一、人が住んでいそうな雰囲気が感じ取れたのは、とんがり屋根から伸びるレンガ作りの煙突から、黒ともグレーとも言えない変な色の煙が立ち上っていたからだった。
「なんつーか…………」
「めっちゃ強いモンスターが出てキソウ」
「マーブル、そんなこと言うんじゃありません」
俺たちの感想が聞こえない内に、シルフィーは屋敷の玄関に向かってズカズカと歩いて行き、ドアを大きくノックした。
「せんせーい! シルフィーでーす!」
シルフィーが師匠を呼んでいる最中、ブリオが俺の肩を叩いて言った。
「分かってると思うが、俺は必要最低限の魔法しか覚えんぞ。俺はあくまでも武闘家だ。そのブライドだけは揺るがないからな」
「分かったよ。一つでいい、覚えるのは」
昔からのやり方、伝統、流儀に忠実であることは、悪いことばかりではないと思う。
だが、その意固地な感情が、移りゆく時代の流れでどれほどまで貫けるものなのか。年齢やプライドに捕われず、もう少しだけ柔軟に考えてもらえないだろうかと思う。
シルフィーが二度ほど扉を叩くと、木製の扉が女性の悲鳴にも似た軋み音を上げながら、ゆっくりと開いた。
「あ、先生! お久しぶりです!」
「いらっしゃいシルフィー、すっかり頼もしい姿になったわねぇ」
扉から登場したサリナ・レイヨンの姿に思わず驚いた。
思っていたよりも若い。魔法使いの師ということと、この古めかしい屋敷のイメージから、年配の方の姿を勝手に想像していたのだが。
切れ長の目とシャープな顎のライン。肌にはつやと張りがあり、小さな唇に引いた紅色が、彼女の白い肌に華を添えているようだ。メリハリのあるボディーラインを包む黒のドレスは、首からへそまで大きく開いて彼女の肌を晒していた。肩から垂れ下がるようにマントはつけているが、それが体を隠せているわけでもなく、どうにも目のやり場に困ってしまう。
パーティーメンバーの先生に対して、鼻の下を伸ばすわけにはいかないな。俺は自分の頬を叩いた。
「イフト、なんで自分をビンタしてルノ?」
「気にするな」
醸し出される艶やかさから、何となく俺よりも年上であるようには思えるが、仮に俺と年が近かったらどうしよう。なんとなくショックだ。
「先生あのね、手紙にも書いた通り」
「分かってるわ。安心して任せてちょうだい。みんなを頼もしくして返してあげるからね」
話し方にもなんとなく艶があるな。いや、そんなことはどうでもいい。
「パーティーでリーダーを務めているイフト・アジールです。今日一日、よろしくお願いいたします」
「まあ、素敵なリーダーさんねぇ。しかもお若い…………サリナ・レイヨンです、どうぞよろしく」
そう言ってサリナ先生は、口元に手を添えながら笑った。
「先生も昔は冒険者をやっていたの。凄腕だからみんな頑張ってね!」
シルフィーはそれだけ言うと、サリナ先生に軽く挨拶をしてから町の方に駆けて行った。よっぽど早く講演会場に行きたかったらしい。
「では皆さん、とりあえず中に入って頂戴。まずはお茶にしましょう」
◆◆◆◆◆◆
サリナ先生の屋敷の中は、外観とは打って変わって綺麗な様相をしていた。
室内を照らす行灯、食事用のダイニングセット、壁にかけられた時計やクレデンザの上の生花。決して華美なものでは無いが、細かいところまで手入れが行き届いているようで品があった。
家具こそ少ないシンプルなレイアウトながら、居間にある暖炉を囲うようにして配置されたソファも古いというよりは、アンティークとしての価値が伝わる上品なものだった。
出されたお茶からは嗅いだことのない香草の香りが立ち上り、口にせずともなんとなく心が落ち着くような気がしてくる。
今日、俺たちは魔法を教わりにきたはずなのに、何やら仕事の依頼をしにきたようなもてなしだった。
「シルフィーから聞いているんですど、あなた達はパーティー内の役割をみんなで分け合うために魔法を覚えたいと、そういうことかしら?」
「そうです。実は今、家にいながら遠方のクエストをクリアしようという“在宅勤務”を実践していまし、て…………」
突然のことだった。体から不意に力が抜けていく感覚に襲われて、思わず飲みかけのお茶をこぼしそうになった。慌ててティーカップをテーブルに置いたが、どうにも意識が遠のく気がする。
腰掛けたソファーに体を預けたまま、どうにも起こすことができない。
首と目をゆっくりと動かして隣を見ると、マーブルも同じように目がトロンとしていた。
「あなた方のやっている戦い方改革というもの、とても興味深く思っています。私が冒険者をしていた頃は、やっぱり回復から攻撃補助まで全て私がやっていましたから。でも、仲間たちは今のあなた方のように考えてはくれませんでした。もちろんそれは、仲間たちに悪気があってのことではなく、そういう時代だったから。そういう縦割り文化が当たり前のことだったので、仕方がなかったんです」
サリナ先生の声ははっきりと聞こえていた。
どうやら俺とマーブルの意識は、気を失う寸前のところで踏みとどまっているらしい。いや、違う。寸前で保たされているんだ。
ようやく自分の思考が追いついてきた。何か、盛られたんだ。
ブリオは?
「おい、イフト! マーブル! どうしたんだ!? 大丈夫か!?」
ブリオは平気そうだ。
何かを盛られたとしたら、例のお茶しか考えられない。だが、俺たち三人はあのお茶を全員飲んだはずだ。なのに何故彼だけ平気なのだろうか。
「貴様! 二人に何をした!?」
ブリオが怒鳴り声を上げるのと同時に、素早く立ち上がって俺たちを庇うように構えた。
「シルフィーに頼まれている通り、皆さんに頼もしくなってもらうため、行動を起こしました」
「ふざけるなっ!」
「ブリオさん、そんなに怒らないでください。あなたとは仲良くなれそうですのに…………でも、勇ましい殿方ですね」
そう言って彼女は軽く舌舐めずりをしながら、ブリオを見て微笑んだ。
完全に油断していた。魔法の修行とは言え、冒険者としての正装だと思ってきちんとした装備を身に付けてきたのに、これでは何の役にも立たない。
「これもシルフィーから聞いておりますが、あなた方は早く魔法を習得したいのでしょう? ならばお時間を無駄にはできません。さっそく始めさせていただいたのです」
「なんだとっ!?」
「先ほど出したお茶には、即効性の魔力抑制剤を入れました。副作用で倦怠感に襲われますが、一時的なものです。身体に悪いものでは無いからご安心を」
「なんでそんなものをっ!?」
「気を悪くなさらないでください。これが魔力の保有量を調べるには手っ取り早いんですの。生まれ持った魔力の有無を調べるには、いくつか方法があります。その中でもこの抑制剤を摂取する方法が、最も早く結果を知ることができるのですよ」
「信用できるか! 俺は飲んでも何とも無いのに、この二人だけ…………一体何を狙っている!?」
ブリオの気迫にも微動だにせず、むしろサリナ先生の口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
そして彼女は続けた。
「摂取しても何も起こらないということは、ある一つの結果をもたらしています」
「なに?」
「ブリオさん、あなたは生まれながらにして魔力無しです。魔法を体得することはできません」
「…………え?」
「エッ?」
「ええええ…………?」
なんとも間の抜けた声が三つ飛び出した。
「い、いや、しかし。俺は拳から炎を出したりするんだが…………なあ、みんな?」
確かに。ブリオの技の中には青い炎を吹き出すものもあったはずだ。
それを聞いたサリナ先生は、笑みを一層深くして続けた。
「ブリオさんの手の装備。それは“蒼炎の帯紐”ですね。装備した部位に炎属性を付加するアイテムですが、それはあくまでもアイテムの効果。ブリオさんの魔力ではありません。アイテム入手時に、そのような説明はされませんでしたか?」
ブリオの額に汗が滲んでいた。
間違いない。彼はそんな記憶がないのだろう。ブリオの性格から察するに、説明があったとしても彼は聞いていない。
前からそうだ。道具を使おうにも、使う手順だけ覚えて結果が得られれば良いと納得するタイプなのだ。
「ブリ、オ…………」
「いや、多分説明されてないぞ」
だが彼は、拳から炎が出るようになっても、それを自身の力だと軽く受け止めて追求しなかったに違いない。物事の本質を見なければ、使い方が分かるだけで応用が効かせられないと、一度彼には話したことがあるはずなのに。
しかし、この際今はそんなことどうでもいい。
問題は、ブリオが魔法を使えないタイプだったということである。
サリナ先生の話が本当で、彼女は本当に俺たちの力となってくれる人ならば、この副作用による被害も受け入れよう。
しかし、それでは今回の計画を達成できるのは、俺とマーブルだけということだ。
「じゃあ何か、俺が今日ここに来た意味は無いと、そういうことか?」
「いいえ、そんなことありません。ブリオさんに授ける魔術はあります」
「だが、俺にはその素質が無いだろ!」
もっともな意見なのだが、それでも彼女は動じることなく、話を続けた。
「ブリオさん、私のことをシルフィーはなんと言っていましたか?」
「シルフィーが? …………ええっと、先生と。確か魔法の先生だと言っていた」
「はい、その通りです。でも、私は魔術師サリナ・レイヨンと名乗っております」
そう言いながら、彼女は俺がさっきまで飲んでいたティーカップを手にとった。
そしてそのまま、中に残った飲みかけのお茶を全て飲み干して、空っぽになったティーカップをブラブラと振って見せた。
「お、おい。それを飲んだらあんたも」
ティーカップに残った彼女の口紅跡が、やけに赤く見える。
「私はシルフィーに魔法を教えました…………ですが私、実はご覧の通りです」
即効性の薬が入ったお茶を飲んだ彼女は、しばらくしても意識をはっきりと保っている様子だった。
まさか。そんなことがあるのか。
シルフィーを育てた彼女には、魔力が?
「だから先ほど言ったでしょう? ブリオさん、あなたとは仲良くなれそうだと」
<続>
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