第4話 前夜

「イフト…………お前も毒されたのか、はぁ……情けない」

 ブリオの深いため息は、手にしたグラスの中身を僅かに波打たせるほど深いものだった。

 屈強な武闘家から魂の抜け出るようなため息を吐かせたのは、ファレンシアでセミナーを聞いた日の夜だ。フローア村に帰り着いた足で、そのままブリオを酒場に引っ張り出した。

 彼を引っ張ってきた理由は、すぐにでもセミナーの内容を彼に聞かせたかったから。そして俺自身が感じた言葉を一つ残らず吐き出したかったからだ。

「いやあ、目から鱗だったんだよ、本当に。結構面白い話だったんだ」

「俺は聞かんぞ」

「いや聞けって。まず、シルフィーの実践している姿を見るだけでは、戦い方改革ってものが何をするためのものだったのか分からなかったんだ。自分が楽するための改革なのか、安全を確保するための手段なのか…………ところだが、その改革の背景にはもっと遠い将来を見据えた深い考えがあってな」

「やめろやめろ! 聞くだけ無駄だ!」

 手のひらを振って拒絶するブリオに対して、俺は食い下がった。なんとか今日の話の内容を、せめてほんの半分でもいいから聞いてほしかった。

 こんなにも強引な姿勢を見せる俺が珍しかったのだろう。隣で食事を頬張るシルフィーとマーブルも、目が点になったまま固まっている。それどころか、店の主人や他の常連客までもが俺たちの席に注目していた。

 分かっている。俺自身だって驚いているくらいだ。

 俺は今、いつもの自分じゃないほど興奮している。こんなにも誰かの言葉に心を動かされてじっとしていられないなんて、ここ十年は無かったように思う。

 嫌がるブリオの顔を掴み取るかのような勢いで話しかける俺を見ながら、店主とシルフィーが話し出した。

「今日ってあのセミナーに行ってきたんだろう? そんなに良かったのかい?」

「内容はもちろん良かったんですけど…………イフトがここまでのめり込むのは意外だったなぁ」

 シルフィーの言葉に頷いて同意を示すマーブルだったが、俺の言葉を避けながらブリオが言った。

「いや、イフトはこんな奴だぞ?」

「え、そうなの?」

 こうなればいくら無視されても喋り続けてやろうと思っていた矢先に、いきなり頭上から重たいものがのし掛かってきて、俺の頭をテーブルの上に押さえつけた。

 圧力の正体は、ブリオのゴツゴツした大きな手だ。武闘家の本気と言ったところだろうか。

「イフトはな、昔から一度のめり込むとしつこいんだよ。大人しい顔して深あぁいところまでやり込もうとする奴なんだ」

「えー、やっぱり全然イメージができない。イフトって、なんかこう…………なんかクエスト達成した時とか欲しかったアイテムを手に入れた時とかも、嬉しそうだけど突き抜けない感じで、本当に嬉しいんだか嬉しくないんだか分からないっていうか。冒険自体楽しいのか辛いのかよく分からないっていうか…………実は冒険者に向いてないんじゃないかって思ってた」

「あ、それアタシも思ってタ」

「あのね、お前ら…………」

 彼女達の言葉にちょっとショックを受けながらも、笑って受け流そうと思った。だが、ブリオと店の主人はなぜかウンウンと頷いている。

「なんだよ、なんで二人とも納得してるんだ?」

 俺の言葉は聞こえているはずだが、ブリオはどこか遠くを眺めるように視線を上に向けた。

「冒険者に向いてないってわけじゃないんだが…………なぁ、主人よう」

「そうだなぁ、イフトは冒険者じゃなくて、本当は鍛冶屋になりたかった男だもんな」

「えええええっ!?」

「ナンデッ!?」

 まったく、ブリオも店の主人も余計なことを喋り出したものだ。

 話を止めてやろうともがいたが、ブリオの本気は俺とテーブルの間に僅かな隙間が出来るのも許さなかった。

 ブリオの口からは、尚も余計な話が流れ出てくる。

「イフトの親父さんも冒険者だったんだ。“アドラス・アジール”って言やぁ、そりゃあ名の通った冒険家だったんだぞ。俺はその人の元で育てられたわけなんだが、当時十歳以上も年下だったイフトは、小さい頃から親父さんに剣の稽古をつけてもらっていたんだ」

「当時って…………今でも十歳以上年下だよ!」

「ところがこいつ、剣の稽古を続けていくうちに、次第に剣そのものに惚れ込んじまったんだよ。で、ある日親父さんがいつものように剣を教えようとしたら、イフトの姿が見えなくなっていたんだ」

「どこに行ったの?」

 シルフィーの質問に、今度は店の主人が答えた。

「…………黙ってファレンシアに行って、鍛冶屋に弟子入りさせてくれって頼み込んでいたんだよ」

「大変だったなぁ、あの時は。お前の親父さんにいきなり引っ張り出されて、“息子を説得するのを手伝え”ってな。イフトの説得に取りかかってから、何日間ファレンシアに拘留されたことやら」

 五日間だよ。その間俺はずっと鍛冶屋に頭を下げ続けたんだ。

 こいつらは、俺の過去の暴露話ですっかり盛り上がってしまっている。

 仕方がなかったんだ。あの時、俺は本当に鍛冶職人になりたかったのだから。

 扱う人の力量がそのままダイレクトに現れる武器。鋭く鍛錬された剣も、当時の俺が振るえば細い丸太を切るのもやっとだった。しかし親父が振るうと、その切っ先から放たれる風圧だけで木の葉も二つになる。

 それを思い知った時、俺は考えていた。誰が使っても同じ切れ味を持つ、使い手を選ばない万能な剣は無いものだろうか。無いのなら作る事はできないだろうか、と

 その思考が少しねじ曲がっていたのか、人とずれていたのかは分からない。

 ただ、鍛冶屋の前から動かない俺に、親父は最初こそ顔を真っ赤にして怒っていたものの、最後には優しく笑いながら言った。

“立派な鍛冶屋になるなら、まずは一人前に剣を知り、剣の良いところと悪いところを学べ”

 俺はなぜかすんなりと親父の言うことを聞いた。あれは何故だったのだろうかと、長いこと考えたものだ。

 ともかく、その翌日からまた剣の稽古を再開した。そして鍛錬を積み重ねて、やがて親父のパーティーに加わり、実際に剣を振るう冒険者として、その武器の良し悪しを見極めようと奮闘した。

 そしてある日、冒険中に受けたモンスターの攻撃が致命傷となり、親父が死んだ。

 その時に、ブリオがずっと親父の遺体の上で泣いていたのを覚えている。息子の俺だって枯れ果てるほど泣いたはずなのに、何故かブリオの姿には敵わないと感じたことも覚えている。

 親父の死後、一度は解散したパーティーを、俺とブリオで新たに立ち上げた。

 だが、それは決して鍛冶屋への夢を諦めたということではない。

 ただ、親父ほど腕の良い剣士が命を落としたということは、そこが剣の限界、剣の悪い点だったのではないだろうかと考え、悩んで悩んで悩み抜いた挙句に、答えが出なかったのだ。

 俺はまだ剣の良し悪しを見極められていない。

 そう思って、俺は今でも冒険者を続けているのだ。

 おそらく昼間のシカゴ氏が言った言葉に執着する理由は、ここにあるのだろう。

 冒険者の危険回避。生存率の向上。効率の良い冒険。これらは間違いなく“冒険稼業の良いところをより良く、悪いところを排除した結果”であるということに他ならない。

 そうだ、俺が感銘を受けたのは、これこそが理由だったのだ。だから俺はこうしてブリオに説いている。

「…………なあブリオ。俺の話を聞けって」

「ああ? まだ言ってるのか?」

 何度でも言う。ブリオが先に言っていた通り、俺はしつこいのだから。

「一緒に戦い方改革を始めよう。これは絶対に俺たちのためになる。俺たちだけじゃない、世界中の冒険者のためになる」

「在宅勤務なんぞ仕事になるものか。どうやるかも分からないし、出来たとしても家なんかじゃ気が抜けるだけだ。逆に非効率だろ。それに例えモンスターとはいえ、敵の命を奪っているのだ。尊く儚い命に対して、そんな卑怯な真似ができるか!?」

 それでも言う。ブリオが泣いて崩れたように、命は尊く儚いのだから。

「やり方なんて皆んなで考えて攻略していけばいいさ。未知のダンジョンに足を踏み入れた時はそんな逃げ腰じゃないだろう?」

「俺は逃げ腰なんぞになった覚えはない! 未知だろうと何だろうと、気合と根性でなんとでもできるもんだ!」

 きっとできる。ブリオの存在がパーティーに、俺に勇気を与えるから。

 鍛冶屋になりたい俺に、親父が言った“良いところと悪いところを学べ”という言葉。あの言葉をすんなりと受け入れられた理由はよく分かっている。あの時親父は、

「イフト、頼むよぉ。お前はリーダーだし、俺はお前を尊重したいと思ってしまうんだから」

 そう、あの時親父は決して、“鍛冶屋になるな”とは一言も言わなかったのだ。

 親父が怒っていたのは、俺が剣の修行を投げ出したことに対してだったのだから。

 先ほどまで俺のことを珍しがっていたシルフィーとマーブルが、今度はブリオのことを珍しげに眺めていた。

「ブリオのあんな困った顔、初めて見たー」

「困ったオジさん、ブリオ…………」

「マーブル! 貴様俺をおじさんと言ったか!」

 ブリオの腕から力が抜けた瞬間に、俺は頭を引き抜いた。そしてすぐに彼の眼をまっすぐに見て、一言。

「明日は、在宅勤務です」

「…………おいおい」

 一連のやりとりを見ていた店の主人が、ついに吹き出し笑いをしてから次第に声を大きくしていった。

 そしてクエストボードの方に歩いて行ったかと思うと、迷うことなく一枚の紙を引き剥がして戻ってきたのだ。

「観念しろ、ブリオ…………なあイフト、今朝こんな依頼が入ったんだけどな」

 主人の持ってきた依頼書を受け取ってみると、内容はとある特殊な薬草の採取。しかし、その薬草というのは厄介なところに自生しており、一般の薬屋やヒーラー単独では無事じゃ済まないことが分かった。

 ただ、難易度的に言えば俺たちのパーティーが請け負うほどでも無いレベルだ。

「な、る、ほ、ど」

 俺は依頼書をシルフィーとマーブルにも見せると、二人も「ほー」と怪しい笑みを浮かべながらブリオを見た。

「な、なんだ?」

「これいいね! “初めての冒険”にしては難易度が“低くない”」

「そうだ。しかもこの依頼、失敗しても人的被害は出ない。再チャレンジが可能ときてる」

「コノ薬草が生えてるトコロ、焼くと美味しいウメタケが生えてるトコロの近くダヨー!」

 クエストが決まり、三人の思惑が決まり、あとはブリオの覚悟が決まるかどうか、だ。

 店内はまだ盛況だ。今夜はとことん粘るつもりで、俺は新しい酒を注文した。


◆◆◆◆◆◆


 翌日、目が覚めた俺は寝室を出ると、リビングがある一階に降りて行った。

「おはよう」

「おはよ…………って、イフト遅い! 降りてくるならもう装備を整えておいて!」

 シルフィーに怒られた俺は、寝ぼけ眼で「すいません」と呟きながら寝室に戻り始めた。

 昨夜は少々飲み過ぎたか。ブリオがやたらと粘ったからな。

「ん? おお、イフト。おはよう」

「ブリオおはよう。リビング行くなら装備を準備してからの方がいいよ」

「何?」

 ブリオも少々飲み過ぎた。だが粘っただけの甲斐があった。

 日頃身に付けている防具を付け、背中に剣を背負い、すぐにでも家を出られるような格好に着替えた俺は、さっきとは違う軽い足取りでリビングに向かった。

 俺が降りると、ブリオの足音も聞こえてくる。心なしか気が重たそうなリズムだった。

「二人とも起きた? マーブルはもう朝ご飯済ませちゃったよ?」

「そうか。よし、急ごう」

 飲み込むように食事を済ませた俺とブリオは、リビングで待ち構えているシルフィーとマーブルに並んで立った。

「では、本日も冒険に、はりきって行きましょう!」

「おおー!」

「ワオーッ!」

「…………ん、うむ」

「では、全員配置について」

 そして俺たちは、リビング中央のテーブルに乗せられた竜の目を覗き込む。

 そう、本日は、

「本日は、全員在宅勤務で冒険に、しゅっぱーつ!」

 俺たちパーティーの、戦い方改革出発の日なのだ。


<続>

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