第33話 多少は気にしたほうが
蒼衣に促されるまま、シャワー前の風呂椅子に座らされた。目の前には、小さめの鏡がひとつ。そこに映っているのは、にまにまと口を動かす蒼衣だ。きっと、俺からは見えていないと思っているのだろう。ばっちり見えている。楽しそうで何よりだ。
「では先輩、まずは頭から、です。目、閉じててくださいね」
「……背中を流すって話じゃなかったか?」
「いいじゃないですか、細かいことは。広い意味では頭も背中です」
「なるほど……いや、なるほどじゃねえな」
「……いったいわたしは何を言ってるんでしょう」
「俺も知らないが!?」
一瞬首を傾げた蒼衣だが、気を取り直したのか、ぱん、と手を叩く。
「まあいいです。それじゃあ、はじめますよー」
なんて言って、蒼衣は後ろから手を伸ばし、俺の前に置かれたシャンプーを取る。
取る、のだが。
必然的に、俺との距離は近づいて、ゼロになるわけで。
「──ッ」
ぺたり、と。
基本的にはタオル越しに。そして一部は、直接的に。
しっかりと触れる。
その感触に、目を泳がせた俺は、視界の端に蒼衣の横顔を捉える。
「……耳、赤いぞ」
「それを先輩が言いますか……」
そう呟きながら、蒼衣は俺の後ろへと戻っていく。
「……では先輩、いきますよ」
「お、おう」
なんというか、緊張するな……。
髪を切りに行っても、他のオプションをつけない俺は、人にシャンプーをしてもらう、なんて本当に久しぶりだ。小学生低学年ぶりくらいの勢いな気がする。
「目、閉じてくださいね」
優しく聞こえたその声に、俺は本能的に従う。視界が閉ざされたあと、温めの湯がかけられ、頭を濡らしていく。
ポンプを押す音が聞こえたあと、しばらくしてから控えめに、くしゃり、と髪が触られる。
ゆっくりと、優しく、わしゃり、わしゃりと触れられるごとに、少しずつ泡立っていった。しばらくすると、コツを掴んできたのか、テンポよく指が動かされていく。
……ふむ。これは結構くすぐったいな。
「お加減いかがです?」
なんだか楽しそうな蒼衣が、美容室でされそうな質問を投げてくる。
「不思議な感覚だな」
「不思議、ですか?」
「人に洗ってもらうっていうのが、なんだか変な感じなんだよな」
「そうですか? 美容室とかで……ああ、先輩行かないですもんね」
「顔が良くない人間が行ったところで、なあ」
「……先輩、わりと整った顔してるの、自覚してます?」
「いや、そんなことはないだろ」
顔面偏差値でいえば、50くらいだろう。まさに平均。イケメンではないが、不細工ではない、くらいだ。蒼衣の過大評価がすぎる。
「そんなことあると思いますけどねえ。……少し眉とか整えれば変わると思いますけど」
「……面倒なんだよなあ」
心の底からの呟きを漏らすと、蒼衣がため息を吐く。
「先輩、そういうところですよ……。まあ、わたし的には先輩の魅力に気づかれなくてむしろいいのかもしれませんけど」
「……蒼衣はどっちがいい?」
「どっち、といいますと?」
「その、眉とか、身なりとか、整えたほうがいいか?」
「うーん……。それはまあ、カッコいい先輩を見たいとは思いますけど……。でも、無理してまでしてほしいとは思いませんね。わたし、自然体の先輩が好きなので」
「……なら、今のままで」
ここまで聞いておきながら、そんなことを言った俺に、蒼衣はくすり、と笑いながら。
「はい。十分です」
なんて、ゆるく笑う。……たまにはそういうのに気をつけるとしようか。
そう思いながら、俺は小さく笑う。
それはそれとして。
「なあ、蒼衣さんや」
「なんですか?」
「……泡、めちゃくちゃ顔に落ちてきてるから、そろそろ流してくれませんかね……」
もう、口にも入ってきて大変なことになっているのだ……。見えないから多分だが。
「わお……。でも、まだあんまり洗えてないと思うんで、もう少し……」
「1回流してくれ! な! もう1回洗ってくれればいいから!」
そんな必死な俺の声に、戸惑う蒼衣に一度流してもらいつつ、俺はぺっ、と唾を吐くのだった。シャンプー、めっちゃ苦いし不味い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます