第34話 シャンプーとチョロい先輩

わしゃわしゃと、シャンプーの音が耳元で聞こえる。そして、その向こうからは、機嫌の良さそうな蒼衣の鼻歌が聞こえてくる。


なんともまあ、贅沢な時間だ。


「……結構気持ちいいな」


ぽつりと呟いたその言葉は、蒼衣に聞こえていたらしい。


「そうですか? それはよかったです」


むふー、と満足そうな蒼衣が、丁寧に手を動かしていく。その感覚がくすぐったいが、それを上回る気持ちよさがあった。なるほど、これが美容室でシャンプーを頼む人の気持ちか……。


「先輩は美容室でシャンプー、頼まないでくださいね」


「また心を読んだな……。というか、なぜ?」


「……先輩の髪に、他の人が触れて欲しくないです」


少し照れたようにそう言う蒼衣。そのヤキモチはちょっと可愛い、が。


「散髪に行く時点で触られるんだが……」


「なら、わたしが切ります」


「無茶が過ぎるんだよなあ」


「まあ、そこは冗談ですよ。ただ、シャンプーなんて頼まれた日には、わたしが洗うのでは満足してくれなくなりそうですし」


なんて、冗談めかして言う蒼衣に、俺はわざとらしくため息を吐く。


「そんな心配しなくても、俺は美容室には行かないんだよなあ」


俺、床屋にしか行かないからな。安いし。


「それもそうでしたね。なら、心配の必要もないかもです」


くすり、と笑う蒼衣は、そこで手を止める。そして、俺の後ろから手を伸ばして、シャワーノズルを手に取った。触れた肌の感触に、またもどきり、としていると、シャワーから水が流れはじめる音がする。


「では先輩、目を閉じてください」


「ん」


言われた通りに、目を閉じる。


「流しますよー」


「おう」


俺の返事を聞いてから、蒼衣がゆっくりと流しはじめる。


「お湯の温度、大丈夫ですか?」


「ん」


と、俺は短く声を発する。お湯が流れてきているので、そうするしかない。


しばらくすると、泡をすべて流し終えたのだろう。頭にかけられていたお湯の感覚が無くなる。そして、蒼衣が髪をまとめるように、俺の前髪を後ろへと流していく。


「……へえ。先輩、前髪を上げるとまた違う印象になりますね」


感心したようにそう言う蒼衣に触発されて、俺は顔の水を拭って、正面の鏡を見る。……ふむ。


「……なんというか、俺らしくないな」


「たしかに、先輩らしくはないですね。でも、これはこれでカッコいいと思いますよ?」


「……そうか?」


「はい」


俺らしくない、とは言ったものの、カッコいい、なんて言われると、ちょっと嬉しいところではある。……ふむ、今度何かのときにでも前髪を上げてみるか。


なんて、珍しいことを思いながら、俺は鏡を眺めるのだった。


……あれ? もしかして、前髪を上げた状態の俺、悪くないのでは?


なんて、少し思ったのは内緒である。

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