第31話 そんな気はしてたんだよなあ

木製の扉を開けると、そこにはヒノキの香りのする──なんてことはなく。


「へえ、ここは普通なのか」


なんの変哲もない、普通の脱衣所があった。それでも、雰囲気を壊さないためなのか、和風なテイストにはなっている。


すん、と鼻を鳴らすが、特別なんの匂いもしない。強いて言うなら、少し温泉特有の──硫黄だっただろうか──の匂いがするくらいだ。木の匂いがしないのは残念。どれがヒノキの匂いなのかはまったく区別がつかないけれど。


まあ、ここまではあくまで前座。大事なのは露天風呂本体だ。


俺は、帯に手をかけ、しゅるりと解く。この動作ひとつで一気に脱げるのだから、浴衣はいいものである。逆に言うと、それだけ緩い格好だ、とも言えるのだけれど。……そう考えると蒼衣をこの格好で外に連れ回すのはちょっと……困るな……。


なんてことを思いつつ、俺は浴衣を脱ぎ捨て、いざ露天風呂へ。


重く締められた磨りガラスになっている扉をぐい、と引っ張る。重いな……気圧のせいだろうか。


ぴっちりと締められた扉が開かれると、一気に体へと湿度の高い空気が纏わりつく。それに合わせて、温泉特有の香りが強くなる。仕切りやら何やらが木で出来ているせいか、うっすらと木の香りもしていた。


そして──


「おぉー……」


視界の先には、大きなヒノキ風呂。たっぷりと張ったお湯が、ライトに照らされきらきらと輝いている。


うむ、これは楽しめそうだ。


さっと温めのシャワーを浴びて、早速湯船へ。


「ぬああぁぁぁ……」


少し熱いお湯が体に染みて、思わず声が出る。


ああ、そういえば景色が綺麗なんだったか。


そう思い、俺は閉じていた目を開け、視線を前に向ける。


……。


…………。


………………綺麗か? これ……。


視界に映るは山、山、山。まあ、山の中なのだから当然ではある。強いて言うなら、少し見える家の灯りが綺麗かな? 程度である。……綺麗か? まばらにも程がある……。あれか。昼間は綺麗、みたいなやつか。夜景を綺麗にしてくれ……。


「これ、蒼衣より先に入っておいて正解だったかもな」


微妙だった、と言っておけば、蒼衣の受ける残念感も薄れるだろう。……あれだけ目を輝かせていたので、ちょっと罪悪感もあるが。


……まあ、それはともかく。湯自体は最高だ。やっぱり温泉は、露天風呂に限る。


ふぅ、と息を吐くと、それが湯気と共に混ざり合って、暗闇へと溶けていく。


なんだか、先に堪能させてもらって、少し申し訳ない。


まあどうせ、蒼衣のことだ。あの感じだと、どれだけ譲っても俺が入るまで折れなかっただろう。


あいつ、頑固というか、負けず嫌いというか、言葉にしにくいが、そういうところがあるからなあ。


そんなことを思いながら、苦笑していると。


後ろの方で、ガラリ、と音が鳴った。


そして、本来聴こえるはずのない声が聴こえる。


「先輩、お背中お流ししますね?」


「……そんな気はしてたんだよなあ」


だってお前、絶対何か企んでる顔してたからな……。


俺は、仕方なさそうに聞こえるように、大きくひとつため息を吐いた。

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