第30話 これが旅行のメイン

もそり、と隣で蒼衣が動く。それに合わせて、掛け布団が引っ張られる。


「……もうこのまま寝たくなっちゃいますね」


そんなことを呟きながら、蒼衣は俺の腕へと顔を擦り付けた。さらさらと肌を撫でる髪がくすぐったい。


「寝るにはちょっともったいないんだよなあ」


「そうなんですよねえ。もう1回、温泉に入っておきましょうか」


「だな」


色々と汗もかいたことだし、ちょうどいい。


ひし、とくっついていた蒼衣が、離れることを惜しむかのようにもう一度ぐりぐりと顔を押し付けてから、俺の腕を離す。


「そうと決まれば、早めに行きましょう。このままゆっくりしてると多分寝ちゃいます」


もこ、と布団から出た蒼衣は、乱れた浴衣を直してから部屋へと干していたタオルやらを集めはじめる。……そういえばこのタオル、どっちが俺のだ……?


今蒼衣が持っている方な気もするし、残っている方な気もする……。どっちだ……。


いや、べつにどっちでもいいんだが……。使ったときにいい匂いとかすると、な? ほら、うん。困ったな……。


そんなことを考えていると、不意に蒼衣が視界へと入り込む。


「先輩、なんでタオルを見ながら難しい顔してるんです?」


「ん? ああ、いや、なんでもない」


首を傾げる蒼衣を見つつ、俺は素早く立ち上がり、前のはだけた浴衣を直す。帯をきゅっと締め直すと、蒼衣が手を掴む。


「ささ、先輩。行きましょう!」


「お前、さっきまで眠そうだったのに元気だな……」


「やっぱり温泉はテンション上がりません? しかも、2回目ですよ?」


「まあ、わかる」


普段の風呂は2回目とか入らないしな。面倒だし。まあ、シャワーなのでそもそも湯船に浸かってすらいないのだが。


そんなわけで、さっきまでの眠気はどこへ、やけにテンションが上がった蒼衣は、早く行きましょう、とばかりに俺の手をぐいぐいと引く。


だが、それについて行くわけにはいかない。


なぜなら、この旅行のメインがまだ残っているのだ。


俺は、ひとつ息を吸って。


「蒼衣、ひとつ隠してたことがある」


「……なんですか、急に。不穏なはじまりなんですけど……」


唐突なカミングアウトへの準備に、蒼衣が身構える。その瞳は言葉のわりには、特に疑ったりはしていないらしい。いや、別に何も悪いことはしていないのだが。むしろ、いいことだ。


「この部屋には──」


俺はまた息を吸って、にやりと笑う。


「露天風呂がついてる」


「え……?」


ぽかん、とした蒼衣の手を引きつつ、窓際の謎のスペースへと向かう。


俺の座っていた側と、反対側。蒼衣が背にしていた側の扉。木製の扉の前で、俺はしてやったり、とばかりに笑う。


「この扉の先、普通の風呂があるんだと思ってただろ?」


「それは、はい。わざわざ温泉まで来て、なんで部屋のお風呂なんかついてるのかなー、と思ってました」


「それに関しては俺も思う」


けれど、それは他の旅館の場合だ。


「ここはな、個室に露天風呂がついてるのがウリの旅館だ」


「……まったく気づきませんでした」


「まあ、気づかれないようにしてたからな」


勝手に旅館を決めたり、チェックインを俺ひとりでしたり、と、せめて部屋に入るまでは、と思って隠していたのだ。思ったより気づいていなくて驚いたが。


「ま、とりあえず入ってこい。景色もいいらしいから、期待していいぞ」


「本当ですか!? それは楽しみですね……! ……あ、でも、わたしはあとでいいです。先輩、お先にどうぞ」


そう言って、蒼衣は手のひらを向ける。


「ん? 別に遠慮しなくてもいいから、ほれ、入れって」


「いいですからいいですから。まずは先輩が、どうぞ」


「お、おう……。まあ、そこまで言うなら……」


むふー、と満足そうな蒼衣に、俺は首を傾げながら、タオルを準備して、脱衣所への扉へと手をかけるのだった。


……何か、企んでる気がするんだよなあ。

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