第16話 湯で緩んで溶けたあと

「それでは先輩、1時間後くらいを目安に」


「おう」


ひらひらと手を振りながら赤いのれんの向こうへと消えていく蒼衣を見届けてから、俺は青いのれんをくぐる。


廊下からずっと漂っていた、温泉特有の匂いが強くなり、一気に湿度が上がる。その空気感に急かされるように、俺は手早く脱衣所で服を脱ぎ、薄手のタオル1枚だけを持って、大浴場への扉を開く。重い扉を横へとスライドさせると、香りと湿度がさらに一段と増した。そして、目の前には──


「おおー……」


特大の、湯船があった。


運良く、俺以外の客はいないようだ。ツイてるな……!


俺は、素早く体を洗い、温泉へと浸かる準備を終える。


──よし。準備は整った。いざ、もういつぶりかも覚えていない温泉へ──!


ちゃぽん、と。


足先を浸けると、一瞬遅れてびりびりと熱さが伝わってくる。慣らしていくように、ゆっくりと、ゆっくりと体を浸けていく。


肌がじりじりと熱に痛むが、そんなことは気にしていられない。時間をかけて、肩どころか首まで使った俺は、思わず声を漏らす。


「ぁぁぁぁ……」


これは、とてつもなく、気持ちいい。


お湯に浸かるというのは、こんなに気持ちのいいものだっただろうか……。いや、もうそんなのどうでもいいな……。


蒼衣がいたら、きっとおじさんくさい、なんて言われそうなことばかりしながら、それでもやめられない。


もういっそ、頭まで使ってしまいたい衝動に駆られながら、じんわりと体が温まっていくのを感じる。


温泉……素晴らしい……。


はぁ……とか、ほぅ……とか漏らしながら、しばらく浸かり続ける。つい大きく息を吐いてしまうのは仕方ないんだよなあ。


……ふむ、蒼衣と約束した1時間まで、あとどれくらいだろうか。


備え付けの時計をちらり、と見ると、まだ30分ほど残っている。


「これは、行くしかないな」


どこへ、なんて、決まっている。


温泉といえばこれだ、と俺が思っているもの。そう──


露天風呂である──!


ざばり、と勢いよく湯から上がり、指先にタオルを引っ掛けるようにして掴み、滑らないように気をつけながら入って来たのとは別のガラス扉を開ける。


先ほどとは違い、開放感のある、爽やかな風が体を撫でる。


「お、こっちも貸し切りか」


軽く見渡してみるが、誰かがいる様子はない。露天風呂を貸し切りとは、贅沢がすぎるな……!


足先から温度に慣らすため、ゆっくりと差し込むが、思っていたより熱くはない。というかぬるい。


これなら、と思い、俺は一気に肩まで湯に浸かる。


「ぬぁぁぁぁぁ……」


緩んだ。もうすべてが緩んだ。体の筋肉という筋肉から、力が抜けていく。文字通り、脱力だ。うっかりしていると、頭まで沈んでしまうかもしれない……。


もういっそのこと、1回沈んでやろうか……。


そんなことを思っていると、不意に。


「おや、その声は先輩ですね?」


ずるずると沈んでいく俺の耳に、どこからか可愛い声が聞こえた。

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