第5話 冷えた赤い実と冷えた缶
「はい先輩、あーん」
俺がプレートに肉を載せ、焼いていると、笑顔の蒼衣が焼けたタンを差し出してくる。ありがたくそれを口に入れると、予想外の味がした。
「酸っぱ!?」
「これが塩レモンです。どうです?」
「まあ、さっぱりしてて美味いな」
「そうでしょうそうでしょう。先輩も塩レモン派になります?」
「いや、俺はやっぱり塩派だな」
「えー、塩レモン派になりましょうよー」
なんて、不満げな言葉を漏らしてはいるが、その表情も声色も楽しそうだ。
「塩レモン派にはならないが、最後のタンをやろう」
そう言って、俺は岩塩をつけ、蒼衣に差し出す。
「あむ。……やっぱり塩だけも美味しいですね」
目を細めて表情を緩ませる蒼衣に、俺はにやり、と笑う。
「よし、塩派になろうか」
「残念ながら変わらずわたしは塩レモン派です!」
「えぇー」
なぜか胸を張る蒼衣にそう言いながら、俺は新しいトレーの包みを開ける。
「よし、タンがなくなったから次はカルビいくぞ」
カルビを箸でつまみ、プレートに載せると、タンのときとは比べ物にならないほどの香りが立ち込め、パチパチと脂の弾ける音がする。
「わお、焼肉本番って感じしますね! いい匂い……」
「わかる。やっぱりカルビが1番焼肉っぽいよな。ちなみに肉はこれでラストだ」
「2種類しかないんですか!?」
「そんなに量があってもな、と思ったのと、この2つが食いたかった」
「間違いなく後半がメインの理由ですよね」
さすが蒼衣、よくわかっている。
じゅわじゅわと音を立てながら、急速に色を変えていく肉をひっくり返していると、蒼衣が皿に焼肉のタレを流し込む。
どうぞ、と俺の前にも差し出されたあと、蒼衣は自分の皿を持って、肉が焼けるのを待っている。きらきらと輝く期待の眼差しは、なんというか、小動物というより犬っぽい。尻尾があれば、全力で振ってそう。
「……よし、そろそろいいだろ、ほれ」
焼けた肉を箸で掴み、蒼衣の持つ皿に入れる。
「ありがとうございます!」
タレをたっぷりとつけ、ぱくり、と口に入れてもこもこと咀嚼している様子は、やっぱり犬というより小動物だなあ。
「お肉……やっぱり美味しい……」
幸せそうな蒼衣を見ながら、俺も肉を口に放り込む。タレの甘みと脂の旨味が口に広がり、思わず言葉が漏れる。
「うま……」
やっぱり肉の幸せは大切だ。面接の疲労を完全に忘れられる。
そんな幸せをくれる肉に感謝しながら食べていると、蒼衣がぽん、と手を打つ。
「……あ、そうです先輩。今日は野菜がないじゃないですか」
「ん? ああ、肉だけ食いたかったからな」
「気持ちはわかるんですけど、やっぱりバランスは悪くなると思うんですよ」
「お、おう……」
……もしや、夕飯は野菜だけ、とかそんな恐ろしいことにならないだろうな……。
そう思い、おそるおそる蒼衣を見ると、得意げな表情の蒼衣が目に入る。……いったい、何を言い出すつもりだろうか。
「そこで、ひとつ先輩に食べてもらいたいものがありまして……」
「食べてもらいたいもの?」
「はい。まずはあちらをご覧ください」
無駄に畏まった様子で、蒼衣は全開の窓を手のひらで示す。
「……外だな。太陽がめちゃくちゃ眩しいし暑い」
「そっちじゃなくて、もう少し下です」
「下……ああ」
視線を落とした先には、プランターに植えられた植物がある。青々と茂った先には、赤、というよりも、まだ橙に近い色合いの実がなっていた。
「そういえば、結構育ったんだな」
これは、正月に蒼衣が買った福袋のひとつで、蒼衣がタネを撒き、蒼衣が水やりをして育てたものだ。俺の部屋のベランダにあるのに、俺は何もしていない。俺は食べるだけです。
「そうなんですよ。もう食べられるのも出来てまして」
「……まだ完全に赤くないと思うんだが。もうちょっとあとじゃないか?」
ちらりと角度を変えて見てみるも、薄めの色のものか、まだ緑色のもの、あとはもやは花だったりと、食べ頃には遠そうだ。
「ふっふっふ……。先輩、こんな暑い日に常温のミニトマトなんて食べたくないとは思いませんか」
「思う」
「ですよね。というわけで──」
蒼衣はそう言いながら、台所へと駆けていく。ばたん! と大きな音がしたあと、片手で皿を持ち、戻ってくる。
「──じゃん! 冷やしたものがこちらになります!」
「相変わらず用意がいいな」
「元は今日の夜にでも出そうかと思ってたんですけど、せっかくなら今かなあ、と」
そう言いながら、蒼衣は俺が皿へと放り込んでいた数枚の肉を食べてから、ミニトマトを口に放り込む。……うむ、完全に実を食べる小動物。なんて、癒しを感じつつ肉を焼いていると、蒼衣がミニトマトをひとつつまみ、俺の口元に持ってくる。
「冷たくて美味しいですよ。ほら、先輩もどうぞ」
ぐい、と人差し指で押し込まれ、口に冷たいミニトマトが入ってくる。
「ん……美味い、な」
「これは初の家庭菜園、成功ですね!」
俺の言葉に嬉しそうな蒼衣ははしゃいでいるが、俺としては唇に触れた指の感触が残っていて、思わず手の甲で口に触れる。
……まったく、不意にどきりとさせるのはやめてほしい。
俺は、指の感触から意識を逸らすべく、無心で肉を焼く。載せて、ひっくり返し、皿に載せる。プレートに残る脂が、じゅわじゅわと音を立てて焦げついていく。……洗うの面倒だな……。
「ちなみに先輩。わたし、もうひとつ冷蔵庫から持って来たものがありまして」
無心で焼く俺に、そう言った蒼衣はことり、と何かを机の上に置いた。
「……いります?」
「いります」
俺は、蒼衣がすすす、と差し出してきたもの──缶のレモンサワーのプルタブをかしゅり、と開けて、一気に煽る。
喉が焼けていくような感覚と、冷たいものが通り過ぎていく感覚。ふたつの矛盾した感覚を覚えながら、俺はカルビを口に放り込み、また缶を煽る。
……美味い。
「……肉、酒、これに限るな……」
むしろ、なぜ最初から酒を飲んでいなかったのか……。そう思いながら、カルビを口に運ぶ。
「お酒渡しておいてなんですけど、酷い発言ですね……」
「蒼衣も飲めるようになったらわかると思うぞ?」
「うーん……わかりたいようなわかりたくないような……」
微妙な顔をする蒼衣。だが、飲めるようになればきっとわかる。他に代用の効かないもの。それが酒なのだ。
ぐい、と缶を煽る。かぁっ、と熱くなる感覚に顔をしかめつつ、緩やかに酔いが回るのを自覚した。その感覚が、不思議と心地いい。
意識がふわふわとしはじめそうな予感がしていると、蒼衣が大きな瞳でこちらを覗き込んでくる。
「……それで、先輩。あの表情からなんとなくは察してるんですけど、面接、どうだったんです?」
……なるほど、それが聞きたかったのか。
だから、わざわざ酒まで持って来て、一度気分を上げてくれたわけだ。……いや、聞き出しやすくするために飲ませたのかもしれないけれど。
ほんの少し焼き過ぎた肉を食らい、酒で流し込む。缶の中身はもうほとんど残っていない。
俺は、ひとつ息を吐いて、蒼衣をしっかりと見据えて。
「……その前に、もう1本冷えてたりするか?」
「……ほどほどに、ですよ?」
そう言いながら、台所へと向かう蒼衣の後ろ姿を眺めながら、ひとつ思う。
酒を準備してくれる彼女、めちゃくちゃいいな……。
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