エピローグ ノーコメント

朝には遅く、昼には早い。そんな、もう鳥は鳴いていないけれど、気温は上がっている時間に俺は目を覚ました。


「……いっ、てぇ……」


座って眠っていたせいで、体──とくに腰や背中、肩が痛い。


背筋を伸ばすと、パキパキと音が鳴った。


肩も回そうかと思い、立ちあがろうとしたところで手の感覚に気づく。


ベッドの上に乗せられた俺の右手は、蒼衣の両手に包み込まれている。


……もうしばらく、このままか。


そう思い、座ったまま体を伸ばそうとすると、蒼衣の目蓋がぴくり、と動いた。


「ん……」


うっすらと開いた目蓋から、少しずつ大きな瞳が姿を表す。


「おはよう」


「んぅ……おはようございます……」


くしくしと目元を擦る蒼衣は、ふわぁ、とあくびをひとつする。


「体調はどうだ?」


「んー……結構良いと思います。頭もスッキリしてますし、体もだるくないです」


伸びをしながらそう答える蒼衣の額に左手を伸ばす。ぴたりと触れた額からは、もう熱があるようには感じられなかった。


「……まあ、大丈夫そうだな」


「……これ、なんだか恥ずかしいですね」


「そうか? ……そうかもな」


手を離し、一応体温計を、と思い立ち上がると、繋いだままの右手が引き止められる。


「……先輩、握っててくれて、ありがとうございました」


「おう」


えへへ、と笑う蒼衣に、俺は少し笑ってそう返す。


どちらともなく力を抜いて離した手が、なんとなく寂しく感じた。


「ほれ、一応計っておけ」


「はーい」


大人しく従う蒼衣が体温計を差し込む間から見える肌色に目を奪われていると、甲高い音が鳴る。


「平熱ですね。もう大丈夫そうです」


ぴっ、と見せてくる液晶画面には、36.2度の文字が浮かんでいる。


「それはよかった」


ほぅ、とひとつ安堵の息を吐く。


「お騒がせしました。ありがとうございました」


ぺこり、と頭を下げてくる蒼衣の髪を、俺は雑に撫でる。


「おう。今後は体調管理に努めるように」


「それ、先輩が言いますかー?」


「……ノーコメント」


くすくす笑う蒼衣に、つられて笑う。


「あ、一応今日も休むように。いいな?」


「はい。まあ、どうせ間に合いませんしね。……3限からはいけますけど」


「念のため安静にしておきなさい」


「はーい」


時計をちらり、と見ると、すでに2限の講義ははじまっている。まあ、数日くらい休んだところで、どうってことはないだろう。


「何か食うか?」


「いえ、もう少しこのままごろごろします」


「わかった」


俺は立ち上がり、伸びをしながらそう答える。……体痛いな。


ぱきぱきと背筋やらなんやらを鳴らしていると、蒼衣が「あれ?」と呟く。


「……なんだかわたし、最近先輩の影響なのか、講義サボりがちな気がするんですけど……」


「……気のせいだろ、多分」


「そうですかね……?」


首を傾げる蒼衣から、俺はなんとなく目を逸らして、窓の外を見る。


……うむ、それなりにいい天気だ。


窓を開けると、少し暑いくらいの風が吹く。


今日も1日、ふたりでゆるく過ごしていきたい所存。


さて、何をしようか。


そんなことを考えながら、俺はまた、蒼衣のベッドの側へと腰掛けるのだった。


「……そういえば、先輩って今日、3限からだったような……」


「……ノーコメント」


さて、今日は何をしようか!


普段通り、部屋には蒼衣の「もう、先輩は……」という言葉が、普段よりなぜか少しだけ嬉しそうに響くのだった。

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