第7話 それくらい、彼氏なのだから

「ん、ぅ……。……ぁ、せんぱい……」


「おう、おはよう」


俺がこの部屋に戻って来てから、約2時間後。眠りから目覚めた蒼衣が、とろんとした寝ぼけ眼で、俺の方を見つめてくる。そして、へにゃり、と笑う。


「……えへ。寝起きに先輩なんて、贅沢ですね」


「そうか?」


その感覚は、まったくよくわからないが……。というか、別に俺、レアでもなんでもないからな。


「そうですよ? 先輩は寝起きにわたしを見ると、どう思います?」


寝起きに見たとき──つまり、朝、蒼衣に起こされたとき、ということか。


……なるほど、贅沢。そういうことか。


たしかに、こんなに可愛い後輩彼女に起こしてもらうなんて贅沢だ、と思うこともある。……が、なんとなく恥ずかしいので、誤魔化しておこう。


「……あー、朝だなー、って思うな」


「先輩の朝に馴染みすぎた弊害ですね……。いえ、狙ってやったところもあるんですけど、そこまでいくとやりすぎかもです」


「蒼衣って結構策士タイプだよな……。まあ、言いたいことはなんとなくわかったけど。……これだけ喋れるってことは、体調はそれなりに良さそうだな」


「はい。おかげさまで、結構マシになりました。やっぱり眠るのは大切ですね」


「だろ? だから俺はいつも寝てるんだ」


「先輩は寝過ぎですよ」


じと、と目を向けたあと、仕方なさそうに笑う蒼衣。結構元気になったようで、顔色も良い。……少し、安心した。


とはいえ、今の今まで眠っていただけ。風邪を治すには、栄養を摂る必要がある。


「時間は微妙なんだが、何か食べるか?」


「あ、はい。……でも、冷蔵庫にすぐに食べれるものなんてなかった気が……」


「一応、ゼリーとプリンは買ってきたぞ」


「え? いつの間にですか?」


きょとん、と首を傾げる代わりに目で疑問を訴えてくる蒼衣。器用だなこいつ。


「蒼衣が寝はじめてしばらくしてからだな」


「全然気づきませんでした……」


「まあ、しっかり寝てたしな。で、どっちにする?」


「ええと、じゃあゼリーでお願いします。……もしかして、これもそのときに一緒に買ってきてくれたんですか?」


そう言って、蒼衣は額に貼られたシートを指先でつんつん、と突く。


「おう。熱出たときには、やっぱりこれかなと思って」


「定番で言うなら濡れタオルだと思いますけど。……というか、今って実際、濡れタオル使っている人っているんですかね?」


「基本シートじゃないか? 少なくとも俺の家はそうだったな」


「わたしもそうでしたね。……もしかして、濡れタオルってもうファンタジーですか」


「どうなんだろうな。……まあ、桶に水張って、タオル絞ってって面倒だもんなあ」


「それもそうなんですよね。引っ掛けてこぼしたりしても大変ですし。やっぱりシートの方が楽ですよねぇ」


「それはそうだろうなあ」


使い勝手、という点では、ジェルシートに軍配が上がるのは確実だ。やはり、科学は偉大である。……これが科学の産物かは知らないけれど。


「……それはともかく。ゼリー取ってくるから、手、離してくれるか?」


「え……? ぁ……」


俺の言葉に、一瞬きょとんとした蒼衣は、今になってようやく、自分が俺の手を握っていることに気がついたらしい。


「あ、あの、これ、いつからですか……?」


「俺が帰ってきてからだから……2時間前くらいか」


「ま、まさかその間、ずっと隣で座っていてくれたんですか!? ご、ごめんなさい……」


慌ててそんなことを言う蒼衣に、俺は首を横に振る。


「いやいや、謝らなくていいからな。解かなかったのは俺だし」


「で、でも……」


実際、解こうと思えば解けたのだ。それを解かず、そのままにしていたのは、俺がそうしたかったから。というか、蒼衣の幸せそうな顔を、そのまま見ていたかったからだ。


「……まあ、熱のときくらい、甘えてもいいと思うぞ」


熱のあるときは、なんだか心細くなるものだ。少し手を繋ぐくらい、なんてことはない。……それくらい、してやりたい。彼氏なのだから。


そんな俺の胸中を知ってか知らずか、蒼衣はくすり、と笑ったあと、その表情を穏やかな笑みに変える。思わず、どきり、と心臓が跳ねた。


「……いつも甘えさせてくれるじゃないですか」


そう言って、俺の手を一度だけ強く握り、離す。そして、いつものようににやり、と。それでいて、へにゃり、と緩んだ笑みを浮かべながら、布団で口元を隠して、こう言った。


「では先輩。お言葉に甘えて、とことん甘やかしてもらいますね?」


「……お手柔らかに、な」


そう残して、俺はゼリーを取りに、冷蔵庫へと向かった。

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