第7話 俺のお願い

「や、やっと終わった……」


そう呟いて、握っていたペンを放り出し、ベッドの時計を見る。ちょうど、19時を過ぎたあたりらしい。


「蒼衣、今日はそろそろ終わりにしないか?」


「そうですね。これ以上は夜ご飯作れなくなりますし。……キリがいいのでこれだけ終わらせます」


「おう」


またペンを走らせる蒼衣を見ながら、俺は伸びをひとつ。


本当に疲れたし、まだ課題が残っていると思うと気が遠くなりそうだ。これなら、大学に行っているほうがマシかもしれない。


……俺たちがこんなにも苦しんでいる間、教授たちは休みを謳歌しているのだろうか。……許せねえ。


「終わりましたー……って、どうしたんですか、怖い顔して」


「いや、俺たちが頑張っている間にも、教授は楽しく休みを過ごしていると思うと腹が立ってきてな」


「それは、まあ……たしかにそうですね。……先輩のせいでなんだかわたしも腹が立ってきましたよ」


「俺のせいじゃなくて教授のせいだと思うんだが」


蒼衣が、ぐぬぬ、と眉を潜めたあと、ひとつため息を吐く。


「……怒ったところで仕方ないですね。課題がなくなるわけでもないですし。そんなことより、夜ご飯の準備です」


そう言って、立ち上がろうとする蒼衣に俺は声をかける。


「あー、それなんだが」


「? どうしたんです?」


「昼間の約束、覚えてるか?」


「昼間の約束、と言いますと、あれですか」


そう、俺と蒼衣が昼間にした、課題を終わらせた数だけお願いを聞いてもらえる、というやつだ。


「蒼衣はいくつ終わった?」


「わたしはふたつです。先輩はいくつですか?」


「俺はひとつだ。……で、ここでお願いの権利を使う」


「なるほど……。では、お願いをどうぞ」


「よし、俺のお願いは──」


俺は、あえて言うまでの時間を引き伸ばす。


ごくり、と蒼衣が唾を飲んだ。


じっくりと、時間をかけて。閉じた目を、ゆっくり開いて。


俺は、高らかに宣言する。


「夕飯に麻婆豆腐が食べたい」


「……え?」


「夕飯に、麻婆豆腐が食べたい。作ってくれ」


ぽかん、と惚ける蒼衣に、俺はもう一度言い直す。しっかり3秒時間をあけて、蒼衣がようやく言葉を発する。


「麻婆豆腐……ですか?」


「おう。麻婆豆腐」


「え、それがお願いですか?」


「……そうだが」


それを聞いて、蒼衣は大きく息を吐いて、吸って。


「もうちょっと他のお願いないんですか!?」


「いや……昼くらいから無性に食いたかったから、頼もうかと」


「別にお願いの権利まで使わなくても、それくらい普通に言ってくれたら作りますよ。……どんなお願いがくるのか、ちょっと期待してたのに」


ぷく、と頬を膨らませ、こちらをちらり、と見てから蒼衣は台所へと向かう。


「先輩はわたしのお願い、覚悟しておいてください」


「お、おう……」


……いったい、何を期待していたのだろう。そして、何をお願いされるのだろうか……。


疑問と、少しの恐ろしさを感じながら、俺は麻婆豆腐に期待を寄せるのだった。

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