第9話 甘える後輩甘えられる先輩
蒼衣からの不意打ちのキスで、早鐘を打つ鼓動がようやく落ち着いてきた頃。
食事を終えた俺は、いつも通りにベッド──ではなく、床にあぐらをかいている。
その理由は、俺の右足のももにある重みが関係している。
「……なあ、蒼衣」
「なんですか?」
「この状況、どういう状況だ?」
「座っている先輩に膝枕してもらっているわたし、ですね」
そう、そういう状況だ。
……おかしい。
今日1日だけで、名前呼びに昼寝、不意打ちのキス、そして膝枕。
元々、蒼衣はこんな行動をとっていただろうか。
たしかに、たまに俺を振り回す強引さはあった。同衾と不意打ちのキスは経験済みといえば経験済みだ。
しかし、ここまで明確に、そして一気にこういった行動をとることはなかったはずだ。
……やはり、なにかおかしい気がする。
だが、考えたところでその答えが出るわけではない。……ならば。
「なあ、蒼衣。ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「? なんですか?」
「今日のお前、何か意識的にやってるか?」
「……? どういうことです?」
首を傾げる蒼衣。
「いや、その、この膝枕といい、今日の行動が全体的に珍しい気がして、な」
そう言った俺に、蒼衣は納得したのか、ああ、と呟いてから続ける。
「先輩。昨日までのわたしと、今日のわたし。違うことがあります。なんだと思いますか?」
……うわあ、とても困るタイプの質問……。
ちらり、と蒼衣を見るも、特にこれといった変化は見られない。
髪の色が変わったわけでもなし、爪にネイルが施されているわけでも、化粧に変化があるわけでもない。
「さあ……? 何か変わったか?」
お手上げだ、とそう言うと、蒼衣は目を細める。
「それ、本当に外見的に変化があるときに言われると、女の子はふてくされますからね」
「ええ……。お前も?」
「それはもちろん。わたしだって、先輩に可愛いと思ってもらいたくてオシャレしているわけですし。……まあ、わたしはそんなに難しい変化はないと思いますけど」
「なら助かるな。……ん? 外見的に?」
そこで、ふと気づく。
蒼衣は今、外見的に変化があるときに、と言った。
つまり。
「昨日と今日で内面的な変化があった、と」
「お、正解に近づいてきましたよ。昨日と今日の大きな変化! なんでしょうか!」
テンションが上がってきたのか、語気が強まるに応じて、蒼衣が頭を揺らす。ぐりぐりと太ももに押し付けられる感覚は、別になんてことはないのだけれど、悪くはない。
それで、大きな変化、だったか。
……そんなもの、ひとつしかない気がする。
「……彼女になったことで、みたいなことか」
「ほぼ正解です! 改めて彼女って先輩から言われると、なんだか嬉しくなっちゃいますね」
なんとなく、照れがあって目を逸らしながら言った俺に、蒼衣はえへへー、と笑いながらそう言う。
「ちなみに答えは、彼女になったので多少は先輩に甘えても許されるかなあ、と思って甘えてみた、です。……嫌でした?」
先ほどまでの緩い笑みから、最後のひとことだけ、ほんの少し不安そうに見上げてくる蒼衣に、俺が言うことなんてひとつしかない。
「……そんなわけないだろ」
「それはよかったです」
彼女に甘えられて、嫌がる彼氏なんていないだろう。少なくとも、俺はまったく嫌ではない。むしろ、甘えられるのもいいかもしれない、なんて思っている。……いささか、刺激が強すぎるとは思うが。
……それに。
多分これは、蒼衣が元々やりたかったことなのだろう。
長い間待たせたのだから、彼女のやりたいことを受け止めるのも、当然のことだ。
「……先輩」
「ん?」
蒼衣の声に、俺は視線を下へと下げると、見上げてくる視線と交わる。
「もうちょっと、このままでもいいですか?」
そんなことを言う蒼衣に、俺は。
「おう」
短くそう答えて、軽く、優しく髪を撫でる。
さらさらと動きに合わせて溢れる茶色がかった髪は、触り心地は最高と言ってしまって構わないだろう。
……そういえば。髪を触られるのを嫌がる女性は多いと聞くが、目を閉じて俺の手に頭を擦り付けてくる蒼衣を見るに、嫌がっていることはなさそうで、ひと安心。……髪に限らず、スキンシップを嫌がられたら、立ち直れないくらいには心が折れるだろうな……。
……まあ、その心配は今後もなさそうだが。
そう思いながら、優しく撫で続ける。
心地良さそうな蒼衣と、その手触りを楽しむ俺のゆったりとした時間は、それからしばらく続いた。
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