第10話 鍋のち雑炊
真っ白に染まる視界が、少しずつ薄れていくにと共に、鼻腔を出汁の香りがくすぐった。
鍋の中には、白菜や白ネギ、椎茸、豚肉、そしてエビが所狭しと詰め込まれている。
「……やっぱりエビは殻付きか」
「まだそこ引きずりますか」
雨空が、菜箸で野菜をつつきながら呆れたようにそう言った。
「食べにくいからな……」
「諦めて剥いてください」
「おう……」
なるべくエビは取らないようにしよう。
そう思っていると、雨空が俺の取り皿を奪取し、手早く鍋から具材を入れていく。それ自体はありがたいから良いのだが──
「雨空さん雨空さん」
「なんですか先輩さん」
「エビが多くはないだろうか」
エビ、見ただけで4匹くらい入れられてた気がするんだが……。
「そんなことないですよ。はいどうぞ」
「あ、どうも……」
おおう、しかも野菜すげえ盛られてる……。
まあ、渡されたものに文句言ってもなあ……。
そう思い、俺は諦めて上からごまだれをかける。
「いただきます」
「はいどうぞー」
ごまだれがしっかりかかった白菜──だと思われるものを箸で掴み、口へと運ぶ。
うん、まあ、普通にごまだれが美味いな。
そう思いながら、食べ進める。エビの殻をむき、口へ放り込み、くたくたに煮られた野菜たちも放り込む。……うーんエビ、やっぱり面倒だな。剥き忘れがあるとガリガリするし。
そして、鍋にとって非常に重要な肉を少しだけ食べる。やはり肉は美味い。
「先輩がお肉を温存して食べている……」
「当たり前だ。鍋の肉は貴重なんだぞ。鍋はこの肉のおかげで食えるんだぞ」
「先輩、お鍋相当嫌いですね」
そう言う雨空は、幸せそうに、はふはふ言いながら鍋を食べている。まあ、俺にはその幸福感はわからないが……。
「かもしれない……」
実際、盛られた鍋の野菜たちを平らげたあと、俺は何を食べるか既に決めているし、それはもちろん鍋ではない。
野菜を食べるのに貴重な肉を割き、なんとか平らげる。……やっぱり同じ味がずっと続くと飽きるな……。
「そういえば、俺はごまだれで食うけど、雨空は何をかけてるんだ?」
雨空は、手元に置いてある瓶に手を載せる。……鍋が邪魔で蓋の色しかわからないんだが。
「わたしは気分次第ですね。今日はポン酢です」
「ポン酢か……。昔は俺もポン酢だったな」
「そうなんですか?」
「子どもの頃、な。いつもはなかったのに、たまたま家にごまだれが置いてあった日があって、その日にごまだれ派になった」
「まあ、ごまだれ味が濃いですし、美味しいですからね。先輩は好きそうです」
「だろ? ごまだれ超美味い」
そんな会話をしながら、野菜を平らげ残ったのは、一切手を触れられていない白米だ。この白米が、俺の今日の腹を満たす鍵だと言っても過言ではない。
だが、俺も白米だけで食べる、というわけではない。アレをかけて食べるのだ。
まあ、アレ、なんて隠しているが、かけると言っている時点でもうバレているようなものだが。
とにもかくにもアレを取りに行かないことにははじまらない。
そう思い、立ち上がると雨空が首を傾げつつ、見上げてくる。
「どうしたんです?」
「いや、ちょっと台所に」
「もう味変ですか? ちょっと早すぎません? ていうか何かありましたっけ?」
「いや、鍋は関係ないぞ」
「?」
さらに首を傾げる雨空を視界に捉えつつ、俺は台所へと向かい、冷蔵庫を開ける。そして、いわゆる楕円体といわれる白いもの、そして小瓶をふたつ持ち、部屋へと戻る。
「……なるほど」
戻ってきた俺の手元を見て、雨空は俺が何をしようとしているのか理解したらしい。
「卵かけご飯ですね」
「正解だ」
そう言いながら、座った俺は卵を割り、その上から持ってきた小瓶の中身──醤油とごま油をかけ、かき混ぜる。
琥珀色に輝く米からは、ごま油の香ばしい香りがしている。その一角に箸を差し込み、口へと運ぶ。
「卵かけご飯、手軽で美味いよなあ」
「そうですね。あ、先輩、お鍋あと少しなので食べちゃってくださいね」
卵かけご飯に感動している俺の視界に、いつの間に入れたのか、俺の取り皿に盛られた野菜が入り込む。
「……マジで?」
「マジですよ。先輩、あんまりお鍋食べてないじゃないですか」
「……バレたか」
「当たり前です。そもそもわたしが最初に入れた分しか食べてないですよね?」
「まあ、そうだな」
「それに気づかないはずがないじゃないですか」
「……それもそうか」
そう言いながら、卵かけご飯をかき込み鍋の取り皿へと手を伸ばし、雨空へと差し出す。
「……雨空、本当は鍋、まだ食べたかったりしないか? 遠慮はいらないが」
「大丈夫ですよ。わたしこの後の雑炊食べたいので」
「そ、そうか……」
笑顔でそういう雨空に、俺は何も言えず、差し出した取り皿を手元に戻し、ごまだれをかけ、野菜を食べる。
……やっぱり、俺は鍋が苦手らしい。
そう思いながら無心で食べていると、もう具材のなくなった鍋に、雨空が米が投入する。
軽く火を通され、鍋から雑炊へとチェンジしたそれは、何故か鍋よりも魅力的に見える。
「先輩も食べます?」
にやり、としながらおたまを掲げる雨空に、俺は取り皿から野菜をかき込んで。
「……食う」
こっちは、何故か食えるんだよなあ……。
20年生きてきてもまだ解明されない自分の謎に、俺はため息を吐いた。
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