第8話 予算ギリギリショッピング

鍋を買おう。


そうなったとき、調理経験が乏しく、器具に対する知識がない人間が重視することは、値段とサイズ感だけだ。


しかし、日頃から料理をする人間にとっては、大切なのはそれだけではないらしい。


「こっちの材質の方が……いや、でもこっちだと持ち手が……」


家電量販店から離れ、生活用品売り場に移動し、真剣に、売り場に並ぶ鍋を吟味する雨空を見ながら、小さくため息を吐く。その動きに連動して、ビニールの擦れる音がした。先ほど家電量販店で買った、卓上IHだ。


……鍋とはこんなに準備が面倒なものだっただろうか。


俺のイメージだと、とりあえず具材を入れて加熱する、みたいな感じだったのだが。……いや、その加熱するために必要な最低限のものが両方なかった、というのがこの状況の原因なのだが。


ちらり、と並ぶ鍋の一角を見るも、まったく違いがわからない。


「雨空」


「なんですか?」


雨空は、鍋の説明を読み、こちらを見ることなく返事をする。


「もう1番安いやつで良くないか?」


「良くないですよ。コーティングによって焦げ付かないとか、色々あるんです」


まったく説明書きから目線を逸らさない雨空の言葉に、俺は疑問を抱く。


「鍋なのに焦げ付く……?」


鍋に、焦げ付くことなんてあるのか……?


「作るものによって、ですけど、お肉を先に焼くものとかありますし。それに、フライパン代わりに使うことも出来ますからね。そういう使い方をすると焦げ付くこともあります」


「いや、フライパン代わりにしなければいいのでは」


「……先輩は絶対しますよ」


なにか作ろうかと思って、目の前に卓上IH、そして鍋があればどうするか。


……答えは、明確だ。


「……たしかに」


多分、する。火を使わないIHなら、布団の中からの加熱も可能なのだ。わざわざ俺が台所でフライパンを使う理由もない。


「本当はフライパンも買えばいいんでしょうけど、今日は出費が多いですからね……」


「そうだな……」


鍋の材料費はともかく、卓上IHが痛い出費だ。大学生の5000円は、軽いようだが重いのだ。


「ちなみに先輩、お鍋を買うための予算はいくらくらいあります?」


「……野口2枚だな」


給料日までまだしばらくあるので、この辺りが限界だ。下宿生の財布がすっからかんになるのは、死刑宣告のようなものなのである。理由は単純、飯が食えなくなるからだ。餓死は笑えない。


「……ギリギリいけますね」


「決まったのか?」


「はい、これにします。……よいしょ」


雨空が手に取ったのは、外側がオレンジ色の、そこの浅い鍋だ。


「ダイヤモンドコート加工がされた、焦げ付きにくいちょっといいやつです」


「うわ、高そう。俺宝石わからねえんだけど」


「別にダイヤモンドが付いているわけじゃないですからね。というかそんなお鍋わたしも嫌です」


「ちなみにお値段は」


「先輩の予算の2倍です。わたしと先輩、半分ずつでちょうどです」


「……なんか、雨空に出させるのは申し訳ないな……」


「いいんですいいんです。卓上IHは先輩が払ってくれてますし、それに、どうせ使うのほとんどわたしですから」


「とは言っても、なあ……」


雨空は、なんだかんだ言って、俺の部屋に調理器具を定期的に買い足している。それに関しては、まったく俺の知らないところなので、雨空の懐から出ているのだ。


……今月末、断食する羽目になるかもしれないが、全額俺が出すか。


そう考えていると、雨空が下から俺を覗き込み、眉の間あたりをぐいっ、と人差し指で押した。


「先輩、眉間にシワ、寄ってますよ。月末ご飯抜きにしてお鍋代出そうとしてます?」


「……なんのことやら」


目を逸らす俺を見て、雨空が指を離してため息を吐く。そして、逸らした俺の目線の中央へと入り込んで、


「お鍋代は半分ずつにして、しっかり月末までご飯食べてください。こんなことで倒れられたら困ります」


「……とはいえ、だな……」


個人的なプライドなのだが……。男が全額出す、みたいな価値観は嫌いなのだが、それでも好きな女の子の前では格好をつけたいのが男として思ってしまうところで。


そんな俺を見抜いてなのか、雨空がふむ、と言って、それからこちらを見る。


「……わかりました。でも、今日はわたしも出します。なので、今度その分のお金で何かご馳走してください。それでいいですよね?」


「大した額じゃないぞ」


それを出し渋った俺が言うのもなんだが。


実際、2000円で食べれるものなんて、普段よりほんの少しだけ贅沢、みたいなレベルだ。


そう思っていると、雨空はにやり、と笑って。


「いいんです。先輩との外食の口実ですから」


「……なら、まあ」


そう言われてしまっては、もう俺に拒否する理由はない。雨空にメリットがあるのなら、それでこの話は終了だ。……多分、雨空は引く気はない。


それに、学食以外の外食なんて、最近行っていなかったからな。たまには悪くない。


「次の給料日以降で頼む」


「いつでも先輩の都合の良いときで大丈夫ですよ」


後ろに音符が付きそうなくらいに機嫌がよさそうに、雨空がそう言った。

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