第5話 エビ天を手に入れろ
「まさか、こんなことになっているとは……」
目の前の光景に、そんな言葉が漏れる。
「これは予想外です……」
隣の雨空も唖然としながらその光景を見つめている。
目の前には、というか店内には、溢れんばかりの客がいる。
たしかに、夕食には少し早い時間だ。普段なら買い出しの時間だろう。だが、今日は大晦日。
「なぜ家にいないで外に出るんだ……」
「それわたしたちもですけどね……」
俺の中で年越し蕎麦に載せるもの代表のエビ天を手に入れるべく、近所のスーパーへと来ている。顔を引きつらせる俺たちがいるのは、揚げ物のコーナーだ。
大量のエビ天や、かき揚げをはじめとするその他の天ぷらの入ったプラスチックのパックが、台の上に所狭しと並んでいる。
その前には、途切れることなく客が通り、吟味をしてはそれぞれパックを手に取っている。
「……よ、よし。いくぞ雨空」
「は、はい。行きましょう……!」
いつまでも圧に負けてはいられない。俺たちは、目的のエビ天を手に入れるべく、客の山に飛び込む。
「先輩、どれにします!?」
「でかいやつ!」
「どれか言ってくださいよ!?」
必死に掻い潜りつつ、なんとかふたり揃って台の前へと到着。バーゲンセールかよ。
目の前で大量のパックを吟味する雨空の盾になりつつ、俺も適当にパックを見る。
……普通に天ぷらが食いたくなってきたな。
「雨空」
「なんですか?」
俺の呼びかけに、雨空はエビ天から目を離さずに意識だけをこちらへと向ける。その視線、主婦の如し。
「普通に天ぷら買って帰ろうぜ」
「いや、今日は蕎麦ですからね。あと、天ぷらが食べたいなら今度わたしが揚げますから」
「マジで!?」
「はい。手間がかかるのであんまり揚げ物はしませんけど、先輩がお望みなら」
「ぜひお願いします」
「わかりました。今年最後の約束ですね」
くすり、と笑う雨空に、俺も苦笑を返す。
「なんとも微妙な約束だな」
「わたしたちらしいとも思いますけどね」
「それもそうか」
「はい。……エビ天、これにします」
そう言って、雨空はエビ天が3本入ったパックをこちらに見せる。多分、俺が2本食べるであろうことを想定した本数だ。さすがである。
「よし、ほかに買うものは?」
「うーん……。特にはないですね。なにか先輩はあります?」
「いや、俺も特には。まあせっかく来たし、餅買い足しておくかな」
買っておく、ではなく買い足しておく、という言葉の理由は、年越しを待たず、俺は餅をすでに食べはじめているのだ。餅、楽に食べられて美味しいという素晴らしい食べ物である。焼くのに時間がかかるが。
「あ、それならわたしの持ってるお餅、先輩の部屋に持っていきますね。実家から送られてきた荷物に入ってたんですけど、量が多かったので」
「どれくらいだ?」
「2袋です」
「わりと食えそうだが」
実際、俺だと2袋くらいはすぐになくなる。
「女の子はお餅ばっかり食べているわけにはいかないんですよ」
「……ああ、なるほど」
「……そういうことです」
なんとなく理由を察した俺は、言葉を濁す。この話題はあんまりよくない話題である。話題を変えよう。
「ま、そういうことならほかに買うものはないな」
「そうですね。帰ってお蕎麦食べましょう」
そう言って、レジへと向かう。想定はしていたが、長蛇の列だ。
「……スーパーが開いてるってことは、年末なのに働いている人がいるってことですよね……」
ふと気づいたのだろう。流れるレジ待ちの列を見ながら、雨空がそんなことを呟く。
「そうだな」
ありがたい話だ。お陰で俺は今日エビ天蕎麦が食えるのだ。
「感謝ですね……」
「感謝だな……」
そうふたりで呟くと、俺たちのレジの番が回ってくる。
キャッシュレス決済で素早く済ませる。ありがとう店員さん。
エビ天を雨空から預かり、帰路へと着く。
住宅街へと近づくほど、アパートへと近づくほどに喧騒が遠くなる。基本的に、このあたりでも大晦日に人は外に出る方が少ないのだろう。
アパートの、音を立てる古びた階段が普段にも増してうるさく感じた。
自室の鍵を開き、扉を開ける。
さて。
「エビ天蕎麦の時間だ!」
「……先輩、やっぱりエビ天好きですよね?」
雨空が、じとり、と視線を俺に向ける。
そんなことはないです。家で昔から食べてたからイメージが強いだけです。
俺は、雨空から目を逸らした。
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