第9話 海辺で食べたいものは?
海から離れた俺たちは、夜まで適当に商店街を見て回ったり、通り道にあった神社にお参りしてみたりと、当てのないまま歩き回って遊んでいた。
そして今は、19時21分。
「そろそろどっかで飯食うか」
「ですね。何にします?」
何を食べるか。それはもう、俺の中で決まっていた。
「せっかく海沿いなんだから、やっぱり海産物を食って帰らないとなあ」
「わあ、いいですね。わたし、食べてみたいなと思ってたのがあるんですよ」
「お、奇遇だな。俺も気になってたのがあるんだよ」
特に合わせたわけでもなく、偶然にも、俺と雨空は同じタイミングで声を発する。
「「生しらす丼」」
さらに偶然にも、同じものが気になっていたらしい。
「一緒か」
「一緒ですね」
どちらからともなく、笑いが漏れる。
「じゃ、生しらす丼、食いに行くか!」
「行きましょう!」
そんな満場一致で、俺たちは近くにあった海鮮丼屋へと入った。
タイミングよく席が空いていたので、席に案内され、座るとともに注文をする。
店員が去って行くのを見届けると、ふぅ、と息が漏れた。
「久しぶりに結構歩いたな……」
「そうですね。大学生になってからって、あんまり歩かないんですよね……」
そうなのだ。特に、下宿してしまうと大学が近いこともあって、あまり歩かない。
おまけにスーパーが大学までの間にあるときたものだ。そりゃあ歩かないだろう。
そして、移動は基本公共交通機関になる。実家に住んでいると、車を乗ることもあるらしいが──
「そういえば、お前車の免許って持ってるのか?」
ふと沸いた疑問を雨空に投げかけてみる。
「いえ、まだですね。お金が貯まったら取りにいこうかな、と」
「そうなのか。あれ、早めに取っておいた方がいいぞ」
2回生は暇だが、3回生からは忙しくなると聞く。就職活動にも必要なことがあるらしいし、早めに持っておくに越したことはない。
「そろそろ教習所代も準備できそうですし、来年には取りにいけそうです。先輩は免許、持ってるんですか?」
首を傾げる雨空を見つつ、お茶で口を湿らせてから言葉を返す。
「持ってるぞ。もうほぼペーパードライバーだけどな」
「それ、ずっと運転できなくなりません……?」
「……それは不安に思ってる」
「まあ、車がないとどうしようも無いですけど……」
「そうなんだよな……。実家に帰ると確実に乗るんだけど」
俺の実家は田舎にある。田舎は公共交通機関が発達しておらず、基本的には自家用車移動だ。もしくは自転車。稀に農業用のトラクターとか。
「あー、わたしも実家に帰ると運転するかもしれないですね」
「お前の実家の方が俺の実家より田舎っぽいもんな……」
「恐らくですけどね。今度来ます?」
いたずらっぽく笑う雨空。
「遠慮しておく」
それに、ノータイムで返す。
うろたえる必要はない。付き合ってもいない後輩の女の子の田舎の実家に行くとか、怖すぎる。
「……まあ、いつか来てください」
ちょこっと不満そうにしながら、雨空はそう言ってお茶を飲む。
表情は見えないが、耳の赤いところを見ると、恥ずかしがっているらしい。
それを見ながら、どう返すべきか悩んでいると、生しらす丼がテーブルへと運ばれてくる。
ちょうどいいと思い、話題を逸らす。
「美味そうだな。しらすが凄い量乗ってる」
そう言いながら、丼の中身を覗き込む。
丼の中には米を覆い尽くすように、透き通るように輝くしらすたちが所狭しの載っている。
「なんだか、綺麗ですね」
さっきの話は蒸し返すつもりはないようで、雨空も丼の中身を覗いている。
生しらす丼と共にトレーに乗せられてきたうちのひとつである醤油を上から贅沢にかける。
「先輩って、味の濃い方が好きですよね」
「そうだな。味の濃いっていうより味のはっきりしたものが好きって感じだけど。雨空は薄味派だよな?」
「そうですね。元々は薄味の方が好きでした」
そう言いながら、俺より少し少ないくらいの醤油をかけている。
「ただ、こっちに来てから、どんどん味の好みが変わってきているといいますか……。濃い味付けに慣れてきたといいますか……」
「……もしかしなくても、俺のせいだな」
そう言うと、雨空が苦笑する。
「ですね。先輩と一緒にご飯を食べはじめてからな気がします」
雨空は、食事の味付けをわざわざ俺の好みに合わせてくれているのだ。本当に、ありがたい。
以前に、味付けを俺の好みにしなくてもいいぞ、と言ったことがある。
そのとき、雨空は、
「わたしが好きでやってることなので。あと、作戦です」
と、言っていた。
恐らく、胃袋を掴む的な作戦なのだろう。
もし本当にそうなら、俺はまんまと策にはまっているわけだ。我ながら食事に弱い。
そんなことを考えていると、雨空が不思議そうにこちらを見る。
「……食うか」
先ほどまでの思考を捨て、俺は生しらす丼へと箸を伸ばした。
透き通った輝きを、口へと運ぶ。
「うっま……」
ひとこと、思わずそう溢れた。
美味い。そこからは、箸が止まらない。
ただ、掻き込む。
ちら、と雨空を見ると、雨空は目を見開いていた。
「美味しい……!」
そして、そう呟いて、俺と同じようにハイペースで箸を動かしている。
それを見て、俺はまた自分の手元へと視線を戻す。
それから食べ終わるまで、俺たちのテーブルには会話がなく、ただ箸と丼の当たるかちゃかちゃという音だけが響いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます