エピローグ 覚えていないでしょうけど
空になった豚丼の器の底を見ながら、記憶を掘り起こす。
「……そういやそうだったな。この後自炊してないことがバレてなんか気づいたら飯作ってもらうことが当然になってたんだよなあ」
思い出した。いや、前半は意識が朦朧としていてあまり覚えていないのだが。
「今回もわたしが目を離したもといご飯を作らなくなった途端に体調崩しましたね」
ふふん、と何故か得意げな雨空。
「今回もってなんだ。お前と会う前の一年間はひとりでなんとかなってたんだぞ」
「インスタントですよね」
「……インスタントです……」
「それで今回は食べてない、と」
「その通りです……」
「はあ……先輩、わたしがいないと死ぬんじゃないですか?」
「……わりとマジで死ぬかもな……」
いつの間にか雨空に生かされるようになっている……。後輩に頼りきりでは先輩としての威厳がなくなってしまう。よくない。いや、もう威厳などないが。
「やっぱり先輩、わたししかいないわけですよ」
「なにがだ」
わかっているけれども。あえて聞き返す。
「先輩を見ていてあげられる女の子です」
「やめろ俺は幼児か」
「幼児みたいなものじゃないですか」
「……言われてみれば?」
俺、雨空に頼りすぎでは?
「いやそこは頑張って否定してくださいよ……」
「いや、うん……。冷静に考えた結果、ね……。……あ、そうだ。お前、よく俺の名前覚えてたよな。俺、一回自己紹介しただけだよな?」
話の中で気になっていたのだ。俺は、一度だけ雨空たちの前で自己紹介をしているが、それ以降は一切していない。本当に、よく覚えていたものだ。俺は雨空の名前は完全に忘れていたというのに。
ちなみに、なぜ俺がひとつ下の学年である雨空たちのゼミに出席しているのかというと、バイトだ。
教授の講義の手伝いをすることで、大学側から給料が払われるバイト。これが結構給料が良い。
俺はこのバイトで生計を立てている。
そんなたかが補助のバイトの名前を覚えているとはなかなか珍しいと思うのだが。
そう思っていると、雨空が口を開く。
「それはですね、先輩にお世話になったからですよ」
「……お世話に? なんかしたか?」
「はい、実はわたしと先輩、ゼミの前に一度会ってるんですよ」
「……マジで? いつ? どこで?」
「入学直後だったので、4月中旬くらいだと」
「まったく覚えがねえ……」
4月中旬ってなにもなかったと思うんだが……。
「そりゃあそうだと思いますよ。だって、わたしが入学してすぐの頃に大学で迷ってたところを助けてもらったってだけなので」
「あー……それは覚えてねえ」
「でしょうね。わたしもゼミで先輩を見るまで忘れてました」
「というかあの時期、教室の場所に迷ってる新入生いっぱいいるからな……。よく聞かれるし」
「その聞いた中のひとりがわたしです。あのときはお世話になりました」
ぺこり、と頭を下げる雨空。
「こちらこそいつもお世話になっております」
雨空よりも俺の方がお世話になってるの、おかしいな。
「ほんと、先輩はもうちょっと自立してくださいね」
じとっ、と半目で見てくる雨空。
「昔よりマシにはなってるはずだけどな」
「それでもダメです。せめて夏にご飯を食べなくなるのはやめてください」
「はい……」
よろしい、と頷く雨空が、立ち上がった。
「さて、と。さっき食べたところですけど、夕飯なにかリクエストあります?」
「特には……あ、そうだ」
食った後だとリクエストも何もなあ、と思ったものの、ひとつ思い出した。
「実家で貰ったそうめん、まだ大量にあるんだが、それにしないか?」
乾麺のそうめんがお中元で送られてきたらしく、貰ったもとい押し付けられたのだが、そんなに食べきれない。
あれ、雨空がいない間に1袋全部湯がいたら大変な目にあったんだよなあ……。
諸君はそんな馬鹿はしないようにしてほしい。いけると思っても食えないからな。めちゃくちゃ増えるからな。
「そういえばそうでしたね……。まあ、わたしはしばらく食べてませんし、食べないと勿体ないですし、そうしましょう。夜は先輩の部屋で食べましょうか」
「え、暑いぞ?」
「窓を開けて夏を感じながら食べるそうめんもいいと思いません?」
「……たしかに。だが……」
それには同意するが、スマホで時間を確認すると、まだ15時にもなっていない。
「まだ時間はあるし、もう少しこっちで喋ってから行くか」
「! ……はい!」
そこから、何故か少し上機嫌になった雨空と、一瞬にも感じた4時間を過ごした。
*
余談だが、この日からまたもやしばらくそうめんが続くこととなる。
雨空の工夫によって、着々とそうめんが減っていくことになるのは、また別の話だ。
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