第38話『糸』

 国立蒼脈師学院高等科校舎三階の男子便所の個室に籠る男が一人。

 鷲鼻が目を引く面立ち。針金のように細長い手足。極端な猫背。全身黒装束。彼を見た百人が百人とも不審者と断じるであろう風体である。

 男の身体で唯一美しい部位は、白魚のような指だった。数千数万の青く輝く糸が絡みつき、男の顔を薄ぼんやりと照らしている。

 糸を通して伝わる数えきれない触覚が学院内の詳細な様子を男に教えていた。


「食堂のカラスは順調順調―。こっちも順調って……おやー? どんどん糸が切られていくねー視界糸しかいし!」


 人形たちの見ている無数の視覚情報が糸を通して人形使いに流れ込んでくる。数脈を超える映像が男の脳内で複眼状に映し出されたが、接続を確保したのも束の間、凄まじい速度で視界が遮断されて黒く塗りつぶされていく。

 花一華ユウキが蒼脈刀片手に校舎を駆け巡り、人形に繋いだ糸を次々に切断しているのだ。


「なーんて早業―。もー人形の三割が解放されてしまったー。どうしたもんかー」


 腕力・技量・速度、そのいずれもが極限まで錬磨されている紛うことなき達人。

 正面戦闘となれば一分の勝ち目すらないだろう。


「しかーし、まー殺さずにこの数を制圧するーとかやばいね……あーれー? なんかこっちに近付いて来てるー?」


 人形使いの視界を青い閃光が埋め尽くした。間髪入れずに訪れたのは左、肩を抉り抜かれる感覚。真正面から壁越しに撃ち抜かれた。


「蒼牙突による狙撃ー。なんてことだー。こっちの位置がばれてーるー?」


 蜘蛛のような差し捌きで男子便所を飛び出した人形使いだったが、蒼脈刀を振るい上げた花一華ユウキが立ち塞がった。


「どーして位置が? まさか?」


 人形使いの糸は必ず術者の指に繋がっている。何百という数の人形を無力化する過程で糸の伸びている先を予測し、本体の位置を割り出したのだ。

 ユウキのしたそれは至極単純な攻略法であるが、千を超える人形との戦闘中に行うのは至難の業である。

 そしてその領域に至った花一華ユウキは、人形使いに反撃の機会を与えることなく首を切り落とした。


「まーだーだー」


 床に落ちた首が呟きながら、胴体がユウキに飛び掛かってくる。

 さすがのユウキもこれには面喰ったようで、本来であれば生じえない隙を生み出していた。


「隙ありー」


 人形使いの腹がはじけ飛ぶ。

 はらわたはなく、代わりに詰め込まれた糸が躍り出し、周囲一帯を粉微塵に切り裂いた。




 ――――――




 食堂に血しぶきが飛び散り、ツバキの悲鳴が木霊する。


「サクラ!!」


 右肩を貫かれた激痛に、サクラの顔がゆがんだ。カラスの直刀が引き抜かれると、その場に膝をついてしまう。

 直刀についた血を見つめながらカラスは愉悦に浸っていた。


「なるほどなるほど。あと半年……いやあるいはもっと短くてもいい。出会うのが遅ければ、ここにいる四人だけでも僕と互角に戦えただろうに」


 無傷のカラスに対して、サクラとソウスケは全身に切り傷を負っている。どれも深くはなく致命傷になりえない。しかし流血を促し、戦意をくじくには十分な損傷を与えていた。

 一方のツバキとキュウゴは一切傷を負っていないが、圧倒的な戦力差が心に致命傷を与えていた。


「なんやこいつ……つよすぎる……」

「くっそ……あたしの攻撃全く通用してない」


 四人が一斉に攻撃してもかすり傷すら負わせられない。無慈悲なまでの戦力差がサクラたちとカラスの間には存在していた。

 カラスに焦燥は見られない。じゃれつくく幼子を父親がいなすかのような余裕っぷりだ。


「これほどの逸材を殺すのは惜しくなってきた。君たち僕と手を組まないか?」


 サクラは、自らを奮い立たせるために蒼脈刀の柄を両手で握りしめた。


「組まないっての」


 虚勢であるのは誰の目に明らかだ。それでも虚勢すら張れなくなったら敗者となるより他にない。敗北は即ツバキを失うことを意味する。絶対に認めるわけにはいかない。


「話ぐらいは聞いて欲しいな」

「話す余地なんかあらへん!!」


 蒼脈刀を支えにソウスケは立ち上がった。しかし立つのがやっとでとても戦闘継続できる状態ではない。


(しかしどないする? 戦うどころか逃げることすらさせてくれへん。実力が違い過ぎる……)

(あたしとソウスケを殺さないように手加減しつつ、ツバキとキュウゴは完全に無傷。遊ばれてんじゃん。歯が立ってないじゃん! 何のために修行したんだ!! ツバキを守る為だろ!?)


 勝ち目はない。逃げられもしない。


(自分の干渉制御が全く通用しないであります。以前の兄上にならある程度通用したであります)

(私の誘導魔法もオモチャ扱い。強すぎる……)


 ツバキとキュウゴの魔法の精度は低いのではない。カラスが人知を超えた達人なのだ。

 状況を打開する術はあるか?

 サクラたち全員が考えて、瞬時に同じ結論に至る。そんな方法はないと。


「そろそろ僕の方も時間がなくなってきた。花一華ユウキに合流されるのは厄介なんでね」


 カラスの纏う気配が一段重くなる。仕掛けてくる気だ。


「ツバキ。僕についてくるんだ。そうすればサクラとソウスケの両腕は切り落とさないでやろう」

「兄上!!」

「殺さないとは言ったが、殺さない程度には痛め付ける。脈式仙法が扱える蒼脈師は放置するには厄介な戦力だ」


 カラスが両足に力を込め、踏み込もうとした――が、考えを変えたのか突如後方へ跳んだ。その直後天井を突き破り、一つの剣閃と一つの鉄拳が同時に降り注ぐ。


「なるほどなるほど。中々の太刀筋」


 目を細めたカラスの視線の先。そこに居るのは三笠サザンカと蒼脈刀を手にした姫川キキョウだ。


「みんな無事です!?」

「君たちは私を援護してちょうだい! この男とは私が戦う!!」


 キキョウの実力のまたサクラたちを遥かに凌駕している。しかしカラスを手を合わせたサクラたちには分る。キキョウですらカラスには及ばないであろうことに。


「せやけど、いくらキキョウ先生でも一人で勝てる相手やない!」

「ええ。教師としては私に構わず逃げろと言う場面だわね。だけどそうしても私はすぐに倒されてしまって、こいつはあなたたちを追う」

「キキョウ先生! でしたらみんなで逃げるであります!」

「そうしたらこの男は、学校の生徒を手当たり次第に殺すわ。ツバキさんを渡すまで殺し続ける……だったらここで皆一緒に戦ってもらう。それが最善策だわ」


 姫川キキョウを中心とした六対一。カラスの表情に初めて緊張の色が差し込んだ。


「みんな脈式仙法の出力は最大にしてちょうだい。糸使いはユウキ先生が仕留めに行ってるけど油断しないで。とにかくこの男を叩くわ。倒せないまでも花一華先生が来るまで時間を稼ぐのよ」


 直刀を構えるカラスの纏う気迫は、毒蛇の如く強大であった。

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